第3話 冒険者ポールの最後の手紙 後編

 ポールの弟と妹が育てている畑は3号の背に乗り上空から眺めていた。普段食べている質の悪い麦ではなく、柔らかいパンを作れる上質な麦、大きく実ったトウモロコシ、赤々と艶々としたトマト。美味そうだなぁと3号と言いながら腹をさすった事が思い出される。

 あんな野菜、今後いつ食べられるのか分かったものじゃない。ポールの妹を連れた3号は未だ帰ってこないので……。

 

「どうも3号は妹君に付き添っているようですので……その、ありがたく頂戴いたします」

 

 ポールの弟はそんなセイタン卿の反応にクスりと笑うと、「少し待っていてください」と日持ちする硬いパン。サラダに野菜の酢の物。蒸した芋にトウモロコシ、瑞々しいトマトは冷水に浸かっている。

 

「運ばれてくる野菜の数々を見てゴクリ……とセイタン卿は喉を鳴らした」

 

 と後ろからまさにセイタン卿の反応を言葉にした何者か、いや、セイタン卿の相棒である3号。彼女の言葉が後ろから聞こえてくるので慌てて振り向く。

 

「こ、これはこれは3号」

「いやぁ、これは久方ぶりですねセイタン卿、本日も麗しゅうございますよ? しかし非常に美味しそうな野菜の数々です。で? こちらは? あぁ、きっとご馳走になられるんですね? 仕事中に、良いご身分だ」

 

 3号はポールの妹を寝かしつけ、丁度戻ってきた。一人で野菜を食べようとしていたセイタン卿はタラタラと冷や汗を流しながら3号に言い訳を考え、出た言葉が……

 

「3号、貴女の折れた角、左右非対称で素敵ですね」

「最新のファッションスタイルだよ羨ましいかい?」

「えぇ、それはもう……えぇ、えぇ……」

 

 もはや言い訳が不可能に近い状態で、ポールの弟は、何かの生き物の内臓で作った大きな袋を持ってくると……

 

「お仕事中ですけど……お酒って飲まれますか? 山葡萄の良いお酒が作れたんです」

 

 酒、という言葉を聞いて3号が一瞬固まる。そして視線だけセイタン卿に向ける。同じくセイタン卿もまた視線を3号に向ける。当然、配達人の仕事中、さらに言えばそれは二人の罪の償いである。

 がしかし、欲望に忠実な二人、というよりは生き甲斐という物が極端に少ない故、食べる事。飲む事が結果として原始的かつ唯一の楽しみである。さらに言えば二人が飲酒を許される時なんてこういう状況を除けば皆無に等しい。

 

 二人の意見は当然の如く一致する。頷く3号、頷くセイタン卿。キメ顔を作ってセイタン卿はポールの弟に、「ご厚意とお酒に変わった山葡萄を無駄にするのは配達人として無碍にはできませんから」「そうだね。ワタクシ達が消費する事で野菜やワインが天寿を全うできるのであれば素晴らしい事だ」。と前のめりになって語る3号にポールの弟も苦笑してグラスにワインを注ぐ。

 

「あはは、どうぞお楽しみください」

 

 チンとグラスを軽くぶつけセイタン卿と3号は血のような赤い液体を飲み干す。そして少し熱い息を吹く。野菜をできる限り上品に食べ進める二人、ポールの弟も同じくワインをグラスに注いでそれを一口。一心不乱に畑の野菜を楽しんでいるかに思えたセイタン卿に3号はトマトに牙を入れながら肘でこずく。セイタン卿はナプキンで口元を拭うと、ワイングラスをテーブルに置いた。

 

「弟君、最後まで読まなくてもよろしいですか? 基本、配達人は同じ方のところに便りを運ぶ事はありませんので」

 

 3号はセイタン卿がそう言うのを聞きながら手酌でワインをグラスに注ぐ、香りを楽しみ、蒸した芋をおつまみにワインをキュッと飲み干した。ポールの弟はどう反応をするのか、ポールの弟は水差しから水を入れると3号のようにきゅっと同じく飲み干して小さく、震えた声で呟くように言った。

 

「お願い……できますか? 兄にお別れを言いたので」

 

 セイタン卿は「かしこまりました」とポールの弟から手渡されたポールの手紙を丁寧に開封する。先ほどまで読んだ手紙の続きを読む為に、3号は「セイタン卿、ワタクシが腰掛けにでもなろうか?」、「いいえ結構です。3号は野菜にワインと引き続きお楽しみください」「これだけの品だ。是非もないね」と3号は酔うそぶりも見せずに皮袋のワインを殆ど一人で飲み続ける。

 

 3号を少し睨むように見て、ゆっくり深呼吸を繰り返すと、セイタン卿は手紙に集中した。

 

 

 嗚呼、冒険者になんてならなければ良かった。

 そう言えば、アルは怒るだろうな。手紙はそう続いていた。ポールはきっと、冒険者にならなければ立派になっていくアル、美しくなりどこかの誰かに嫁いでしまうメルを見る事ができたんだろう。

 だけど……きっと心のどこかで冒険者にならなかった事を後悔していたと思う。本当に自分勝手でダメな兄で

 

「ごめんな?」

 

 セイタン卿がそう言ってポールの弟、アルを見つめる。その瞬間、アルの目の前には……

 

「兄さ……」

 

 そこにいるのは確かにセイタン卿だが、アルには兄を重ねて見た。その様子を3号は他人行儀に見つめ、ワインが空になったところで、隣の部屋で休んでいるアルの妹、メルの所に向かう。そして彼女を支えながらアルの隣に……何事かと思うメルもすぐにセイタン卿に釘付けになった。

 

 

 ポールの手紙は、冒険者になって好きな人が出来た。紹介したかった。その人を泣かせてしまった。

 もし、いつか……いつかその人が訪ねてきてくれる事があったらもてなしてほしい。アルとメルが冒険者になりたてのポール達をもてなしてくれたようにと、ポールとアルとメルの子供の頃の思い出が語られた。そこには死への恐怖も後悔も何もなかった。昔を懐かしみ、愛する弟と妹への別れの言葉が綴られていた。もう兄はいない、されど今ようやく今にして本当に兄が旅立ってしまった事をアルとメルは受け止めることになった。

 

「願くば、二人に幸があらん事を、ポール」

 

 ポールは冒険者組合の保険に加入していた。二人に仕送りをせっせと行う中、自らの生活費の中から少しずつ積立てその保険証明の魔法アイテムが一緒に添えられていた。これからの生活の足しにしてくれてもいい。メルが嫁ぐ際の資金にしてもいい。貯金しもしもの為に残しておいてくれてもいい。

 

 これが、ポールが兄として二人にしてあげられる最後の事だと綴られ、手紙は終わった。

 

「アルさん、メルさん。以上でポールさんからの終生便りは配り終えました。お二人にはこれから兄君のポールさんよりも長い人生が待っていると思います。それは時に辛く、悲しい事もあるかもしれません。ですが、そんな時にご立派な兄君がいた事を思い出して強く、強く生きてください。私たちができるのはここまでです。長居と、野菜とワイン、ご馳走になりました。大変美味しゅうございました」

「もうワタクシ達と出会うようなことはないと思いますが、健やかにね!」

 

 アルと妹のメルは3号が大きな翼を織りなす何かに変身しその背にセイタン卿は跨るまで見送る。セイタン卿が手を振ると一気に上昇。すぐに二人は点のように見えなくなる。キメ顔のまま二人の元を去ると、お土産に渡された野菜を見て顔がにやける。

 

「3号、私は思うのですよ」

「何をです? 薮からスティックに」

「私たちの仕事はどこまで行っても大事な人の死を知らせる言わば死神です」

「おぉ! セイタン卿は自らを神と申しますか? 御大層なことで、で? その神が何を思いました?」

「多くの方は泣き、悲しみ、後悔し、こんな知らせを持ってきた私達に怨嗟の気持ちを抱きますよね? ですが……たまにごく稀にですが、私たちのこのどうしょうもない仕事でも感謝されたり、送り主を前に進ませる事ができる時があるということです」

「……ふむ、一理あるのかもしれないけど、ワタクシはそういう事は思わないようにしているよ。セイタン卿はまだ夢や希望という実に実りのない感情を持ち合わせておいでであらせられるが、ワタクシ達ができることなんて、頂いた野菜を腐らせる前に美味しくいただく程度ではないだろうか?」

 

 セイタン卿は折角いい事を言って話を纏めたのに、茶化された挙句、結局3号も食い意地には勝てないという事を知っただけだった。ナイトキャップにと渡されたワインも皮袋で一つ頂いているので本命として3号が楽しみにしているのはこれだろう。しばらくの間、麦粥以外にも豪勢な食事を頂く事ができるかとセイタン卿もこの話はここで終わらせることにした。

 

 それからセイタン卿と3号は同じ日々を繰り返し、終生便りを配る仕事を続ける。配れども、配れども鞄の中の手紙が無くなる事はなく、いつしかセイタン卿も3号も罪を償う事なんてできないようになっていると理解していた。まぁ、それでも3号との日々は別段悪くない。いつもの美味しくない麦粥も二人でくだらない話をしながら食べるだけで美味しく感じられた。

 

 それがいつも通りの日常。

 

「セイタン卿、本日の配達場所はどこだい?」

「……3号、それがさ。前に行ったことがある場所なんですよ」

「ほぉ、実に珍しい。同じ地でも中々ありえないのに、これが前に終生便りを送った人と同じだったらとんだミラクルだね?」

「それが………同じ人なんですよ。覚えていますか? 大きな畑を持った中睦まじい兄妹がいた事」

「嗚呼! 兄が冒険者になってデッドエンドした?」

 

 3号はあまり興味なさそうにそう言って、自分の名前が書かれている滑走路へと向かう。セイタン卿は渋い顔をしながら、そんな3号についていく、鞄一杯の手紙、全て冒険者の最後が綴られている。

 誰かの死を知らせる事はそれそのものが罰である。もちろんそれを慣れてしまえば楽なのかもしれないが、セイタン卿はそこまで割り切って生きられない。どちらかと言えば、大きな有翼の生物に変身する3号の方がそういう部分はうまくやれるのかもしれない。

 

「3号、この手紙ってどこから来るんでしょうね?」

「さぁ? 魔法って力の応用でしょ? ワタクシ、そういうの疎いので知りませんが、セイタン卿、乗ってください」

「あぁ、はい。すみません」

 

 翼を羽ばたかせて3号は浮かび上がる。一体彼女がどういう生き物でなぜ生まれてきた事が罪なのかはセイタン卿は知らないし、聞く必要もない。とにかく3号は毅然とし、きっと冒険者の死なんてなんとも思っていないんだろう。そうセイタン卿は思っていて少しでも見習わないとなとか考えていた。

 

「ところでセイタン卿、あの農耕をしていた弟君がまさか、冒険者になってしまったとは思いもしなかったよ。彼の作る山葡萄酒は逸品だったのにね? 残念だよ」

 

 やはり、3号は動じていないんだなとセイタン卿は思って言葉を返した。

 

「あぁ……届け先はアルさん、弟君の方です。冒険者になられ、お亡くなりになられたのはメルさん、妹君です」

「えっ? あの愛らしい妹くんが? いや、ちょっと凹むな。というか、それを弟くんにまたワタクシ達が届けるとかちょっと勘弁してほしいね……ワタクシ、泣いちゃうかもしれない」

 

 セイタン卿の考えは間違っていたらしい。3号も当然、この仕事での死神の役目をすることになれてなんかおらず、心底嫌さそうにため息なんかをついていた。きっと、セイタン卿と3号が解放される事はこれからの未来にもないだろう。だけどセイタン卿は少しだけ、今救われた気がした。

 

「3号、一緒に泣いちゃいましょうか?」

「いいね。ワタクシ、そのセイタン卿ジョーク好きですよ」

 

 暮れゆく空の中を泳ぐように飛ぶ3号の背でセイタン卿はひとしき3号と笑い合い、今この瞬間も死にゆく冒険者達の終生の便りを運ぶ。

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