来訪者

 東京と神奈川の県境けんざかい、そして近隣住民の憩いの場として愛される一級河川、多摩川。

 今日は土曜日ということもあって、河川敷グラウンドで練習に励む少年野球の子どもたちや、遊歩道を仲睦まじく散歩しているカップル、ジョギングやサイクリングで汗を流す人達などで賑わっている。

 天気は快晴。五月も下旬に差し掛かり、初夏の日差しが水面をキラキラと照り付け、空と川をより一層青く魅せている。風も爽やかで気持ちいい。

 そんな、平日に比べてどこかのんびりと時が流れる昼下がりに、それは起きた。


 バヂィッ‼


 小田急多摩川橋梁の上、和泉多摩川駅と登戸駅のちょうど中間くらいの位置に突然、青白いいかずちが落ちた。

 突然轟いた斬り裂くような雷鳴に、付近を通過していた人々がビクリと肩を震わせて立ち止まり、なんだなんだと騒ぎ立てる。

 しかし、以降なにかが起こる気配もなく、人々は気を取り直して各々の日常に戻った。


「ここが、異世界……。我々の世界よりもずいぶんと文明が発達しているようだな」


 橋梁の上――雷が落ちた場所に立っていたのは、高校生くらいの長身の少女だった。

 ピッと伸びた背筋に力強い眼差し。

 高い位置で結われた赤いポニーテールを川風に遊ばせ、その金眼でゆっくりと周りを一望すると、少女は安堵と興奮が入り混じったような笑みを浮かべて「これは期待できそうだな」と独り言ちた。


『そこにいる赤い髪の女の子! 線路内の立ち入りは危険です! 今すぐこっちに来なさい‼』


 和泉多摩川駅のホームの端で、駅員が拡声器越しに怒鳴る。


(センロ? よく分からないが、ここには立ち入ってはならないのか)


 そう思った少女は声を張り上げ、


「あぁ! すまない‼ この世界の事は、詳しくないんだ‼」


 そう律儀に謝ると、二百メートルはあろうかと思われるその距離を「いち、にぃ、さぁ~~~ん!」と跳躍し、終いには空中でくるりと一回転してホームへと降り立った。


「これでいいか?」


 少女が訊ねるも、駅員は口をあんぐりと開けて言葉を失っている。


「すまないが、先を急いでいる。早くアレを探して帰らなければならないんだ。先程の非礼は詫びるが、このまま失敬させてもらうぞ」


 そう言って少女はまたもヒラリと跳躍し、カツンと駅の屋根へ降り立った。

 手頃な足場になりそうなものを次々と渡って駅を後にした。


「幻でも、見ていたのか……?」


 あっという間の出来事に駅員は自分の頬っぺたを抓ってみたが、その痛みは紛れもなく本物であった。


 ◇◆◇


 土日の午後は、うちの模型店「桐生堂」が一番賑わう時間だ。

「世界初の殿堂入りマイスター誕生の地」として有名になったことも大きいが、MFPの開発会社「株式会社ゼオン」にスカウトされた兄が最新のMFP筐体コクピットを送ってきてくれたことで、うちの売り上げはずっと右肩上がりになっている。


 近隣で筐体コクピットを置いてあるのはウチだけだから、土日の営業時間はほぼ引っ切り無しに人が来る。

 そんな忙しい土日の営業日は、父さんと母さんが店の切り盛りをして、僕がMFP筐体とモデリングスペースがあるプレイルームの受付管理をする。


 この日も、いつもと変わらず僕が店の手伝いをしている時だった。

 店の前に、見覚えのある黒塗りの高級リムジンが停まった。


「げっ……」


 それを見て、思わず僕は呻いてしまった。リムジンに気付いた他のお客さん達も顔をしかめている。


 運転席からまるでモーツァルトのようなパーマを巻き、白い口髭を蓄えたいかにも執事然とした男が現れ、後部座席を一礼しながら開けた。


「うむ、ご苦労でゲス」


 リムジンの中からのそりと現れたのは、白いブラウスシャツ、赤い蝶ネクタイ、サスペンダー付き半ズボンというお坊ちゃま三種の神器に身を包んだ肉の塊だった。

 富田とみた福多男ふたお

 僕達は影で「ブタオ」と呼んでいる。丘の上の高級住宅街に住む、正真正銘のお坊ちゃまだ。

 僕は正直、いや、この店にいる殆どの人達は、こいつの事が好きじゃない。

 僕らを「庶民」と言って下に見る態度や、お金に物を言わせて筐体を独占したり店の秩序を乱すからだ。


 でも、僕が一番嫌なのは……


「壊れた。新しいのを作ってくれでゲス」


 プレイルームの受付台に、ブタオはバラバラになったマシンフレームを投げ捨てた。

 何度も塗装されたパーツは傷んで割れ、フレームも軸ごとポッキリ折れている。


「ひどい……これ、先週作ったばかりのヤツじゃないか! どうしたらこんなふうになるのさ!」


「どうしたらって、決まってるでゲス。『スキルガチャ』でゲス」


 スキルガチャ。

 MFPアプリにマシンを登録する際に、その出来栄えによって機体に付与されるパッシブスキルを調整する作業の事である。

 パッシブスキルとは、その機体がアプリ内で常に受けられるステータス上昇スキルの事だ。


 アプリにマシンを登録すると、体力、威力、防御力、素早さ、技量、地形適応などの項目に、5パーセントから30パーセントまでの上乗せ補正スキルがその出来栄えに応じて抽出され、三つのパッシブスキルを機体にセットできる。

 部分塗装やちょっとしたパーツ交換などで出てくるスキルも変わるので、最初に出てきたスキルの微調整をするために行うのが一般だけど、中には高数値のスキル欲しさに無理な改造を繰り返す奴もいる。


 特にブタオは、マシンフレームの扱いがぞんざい過ぎた。まだ乾ききってないところに塗装を重ね、位置など考えずにドリルで穴を空けてパーツをねじ込み、プロにだって難しいフレームの改造にまで手を出す。

 そうして無理な改造を強いられたマシンフレームは、この受付台で倒れ伏しているように、バラバラになって捨てられる。

 そして、こんなふうに改造される前の機体を作るのが僕だ。


「お前は手先だけは器用でゲスからねぇ。新しいマシンを作るのなんてワケないでゲしょ? レジェンド竜也の弟なんだし、ケチケチしないで欲しいでゲス。金なら好きなだけ払ってやるでゲス」


「……お金の問題じゃないよ」


 無惨にバラバラにされた機体を見ると、涙が溢れてくる。

 何度も何度も、壊されるためにマシンを作りたくない!

 今日こそハッキリ言ってやろう。


 僕がブタオを睨むと、その向こうの――外の様子が目に入り、


「い゛っ⁉」


 その異様な光景に、思わず奇声を上げてしまった。

 僕があまりに変な声を上げたので、ブタオも僕の視線を追って、固まる。


『ふごい! まひんがひっぱいば‼』


 異国の服? に身を包んだ赤髪の女の子が、ハァハァとガラスを曇らせながら危ない眼を金色に光らせて、外に向けたショーケースに顔をべったりと貼り付けている。

 そのあまりにも異様な光景に僕は父さんと母さんに目を向けた。母さんは「あらあら」なんて言いながら手を振っているし、父さんは「おいでおいで」と手招きをしている。

 ダメだ。ブタオに続いてあの珍客までご来店だ。


 父の手招きに気付いた女の子が、背筋をピンと伸ばして店へと入ってくる。

 最初の印象こそ変だったけど、スラっとした長身に赤髪のポニーテールがよく似合う、とても綺麗な女性ひとだった。異国の服も相俟あいまってか、まるでファンタジー世界のコスプレをしたモデルさんみたいだ。

 その美しさに僕もブタオもプレイルームの人達も思わず見惚れてしまう。

 いや、美人だからじゃない。この人から溢れ出るオーラみたいなものが、僕の心を掴んで離さなかった。これがカリスマってやつなんだろうか。


「店主、すまない。あの魔神ましんを作ったのは、そなたで相違ないか?」


 ショーケースを指差す彼女に、父は眼鏡をくいっと上げて、


「あぁ、いやぁ、あそこに飾ってあるのは僕のも少しあるけど、殆どはうちの息子たちが作ったヤツだよ」


 と、暢気な声で答えた。


「息子……」


「うん。そこにいる蒼太って子と、今は会社の寮で生活してるけど竜也って子。桐生竜也、知らない? MFPやってる人なら、誰でも知ってる有名人だよ?」


 自慢げに話す父。

 普通の人ならその名を聞いて仰天するのに、女の子は眉間に皺を寄せながら首を傾げた。


「すまない、私はここに来て間もないんだ。この世界の事は、何も分からない」


「そう……か。初心者さんなのかな?」


 父の問いには答えず、赤髪の女性はまっすぐに僕の元へとやって来た。


「私はアリスレイヤ=フォン=アルーシェ。君を優秀な魔神創師ましんそうしと見込んでお願いしたいことがある」


 隣にいるブタオを肩で押しのけ、赤髪の女性ひと――アリスレイヤさんは僕の手をガッチリと握ってきた。


「お、願い……ですか?」


「あぁ。あの中の魔神を一体、私に譲ってくれないだろうか? 私にはどうしても、強い魔神が必要なのだ」


「え、えぇ? あの……あれは売り物じゃないので……」


「そこを何とか! あんなに素晴らしい造形をした魔神は見たことが無い! 時は一刻を争うのだ……頼む‼」」


 興奮と焦りが入り交じった表情で僕の手を握り締めながら、アリスレイヤさんは座っている僕に旋毛が見えるくらい深く頭を下げた。


 リンゴも粉々にしてしまえるんじゃないかと思える凄まじい握力が、僕の手をどんどん締め付ける。


「痛い痛い痛い! 分かりました! 分かりましたからとりあえず手を離してください‼」


「本当かっ⁉」


 涙ながら訴える僕に、アリスレイヤさんはパッと手を離して僕を凝視した。


「は、はい……僕が作ったので……よかったら……」


 鬼気迫る彼女の眼差しに、僕はそう答える以外に出来なかった。

 僕の答えに、彼女は「良かった、これでみんなを助けられる」と呟きながらため息を吐いた。


 そこへ、


「ちょーーーっと待つでゲス‼ 先にお願いしていたのはボックンでゲス‼」


 アリスレイヤさん登場以来置いてけぼりを喰らっていたブタオが割り込んできた。


「……そうなのか?」


 ブタオを一瞥した後、アリスレイヤさんが訊ねる。


「いや、そのぉ……頼まれたんですけどォ……」


 さっきの威勢はどこへやら。

 僕がごにょごにょとしていると、アリスレイヤさんは受付台でバラバラになったマシンを見て、


「……泣いてる」


 と呟いた。


「この魔神、不当な扱いを受けた上に一度も戦うことなくこのような有様になって、悔しがって泣いている……」


 アリスレイヤさんの細い指がそっと優しく、労わるように壊れたマシンフレームを撫でた。

 まるで親しい友人を失ってしまったかのような、悲しそうな表情かお

 それを見た瞬間、胸の奥が温かくなるような、熱い何かが込み上げてくるような、そんな感覚が僕の心を捕らえた。


「お前に魔神を手にする資格はない」


 アリスレイヤさんがブタオに向かって言い放つ。

 その歯に衣着せぬ物言いに、ブタオは顔を真っ赤にして「ゲススススゥ!」と怒鳴った。


「た、たかが玩具おもちゃに、お前はさっきから何を言ってるんでゲス⁉ ボックンにそれだけの口が利けるんだ、さぞバトルも強いんでゲしょうな⁉ 爺や! ボックンのスマホを持ってくるでゲス! この女に、ボックンの強さを思い知らせてやるでゲス‼」


 ブタオが吠えると、爺やさんは「かしこまりました」と恭しく頭を垂れ、車へと戻った。

 その様子を黙って見ていたアリスレイヤさんが、


「ソウタ、先ほどの頼み、今叶えてもらって良いだろうか」


 と訊ねた。


「え、それは別に構わないですけど……勝負、受けちゃっていいんですか? アリスレイヤさん、その、MFPやったことあります?」


「ない」


 ブタオと睨み合いながらアリスレイヤさんは答えた。


「だが、一国を背負う者として挑まれた戦いは受けねばならぬ。民の日常を守るためにも、王が逃げてはならぬのだ。それに……」


 わけの分からないことを口走った後、アリスレイヤさんは僕と視線を合わせ、


「それに、やっと優秀な魔神とその創師に巡り合えたのだ。ヤトゥムしんのお導きを、無駄にするわけにはいかない」


 とにっこりと片笑んだ。


「や、やつ虫……?」


 僕の問いには答えず、父にショーケースを開けてもらったアリスレイヤさんは、一体のマシンフレームを持ってきた。


「あ……」


 その機体を見て、思わず声を漏らした。

 もう長いことショーケースの中で過ごしたせいか、どこか色褪せたような気がする――赤い鎧を着た獅子の戦士。

 アリスレイヤさんが持ってきたのは、僕がMFPデビューをした時に兄からプレゼントされた機体、レーアゲインだった。


「これだ。私はこの魔神に、一目惚れした」


 嬉しそう機体を見せるアリスレイヤさんに、僕は何て言葉をかけていいか分からなかった。

 レーアゲインは、今のMFP環境では不利な点が多すぎる。初心者が扱っても勝てることなんて滅多にないだろう。そう、昔の僕みたいに。


「その……本当にその機体でいいんですか?」


「あぁ。この魔神とだったら、私は誰にも負けない」


 おずおずと訊ねる僕に、アリスレイヤさんは自信満々にそう答えた。

 爺やさんが車から戻り、ブタオにスマートフォンを手渡す。


「そんな近接戦闘特化の機体で、ボックンに勝てるわけがないでゲス。今からお詫びの言葉を考えておくでゲスね!」


「ふん、お喋りな子ブタちゃんだ。吠え面かかせてやる」


 両者バチバチと睨み合う。


 かくして、アリスレイヤさんとブタオのバトルが始まった。


 そして僕は知ることになる。

 このバトルが僕にとって、一生忘れられない大切な思い出になるということを。

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