あれはうちの…
なんで木の上? 誰が? 何のために?
ぐるぐると疑問が渦巻く。
それからその家のチャイムを鳴らすまで、ムダに悩んだ。
インターホンに出てみたら見知らぬ男がいて、
「あのう、お宅の木の上にうちのぬいぐるみが…」
と切り出してきたら。警戒心が強い人ならガチャ切りされるかも。というか僕なら警戒心丸出しで「は?」とか言いそう。
何もしてないのに、不審者扱いされたらまあまあへこむ。
大体、あれが確実に僕のものだと証明できるか? 購入した時の納品書が必要か。
いや、あんなマニアックな物を持っている人間が、近所にそんな大勢いるとは思えないし、証明とかは大げさすぎるか。
起こったことを話すしか説明のしようもない。いつまでも近隣をうろうろしていたら、間違いなくただの不審者だ。
そもそもどういうわけで、この家の木の上にブッコローがいるのか意味不明だ。二階の屋根に届くほどの、枝も葉も豊かに生い茂った木である。放り投げてちゃんと乗るかどうかも微妙だし、簡単にてっぺんに物を置ける感じではない。綺麗に掃除が行き届いた一戸建てだ。この家の人が何かしたようにも思えないが、住人の敷地内である。勝手に入り込むわけにもいかない。
僕は意を決してチャイムを鳴らした。
だが予想に反して、インターホンに出た人は愛想良く応対してくれた。
「ぬいぐるみですか。ちょっと待ってくださいね」
あっさり玄関先に出てきてくれたのは、六十代前半くらいか。初老らしき優しげな丸顔の女性だった。
「あれ…なんですけどね」
僕は木の上にいるブッコローを指差した。
「うちのブ…いえ、ミミズクのぬいぐるみが」
「みみずく?」
女性が木の上を指差して、ああ、あのフクロウみたいな、と言った。
「ええ、というか、ミミズクで」
奇跡的にブッコローは横に倒れず、仏像みたいに木のてっぺんに鎮座している。
あれはあれで、天から降臨してきた風で、何やらありがたい感じがしなくもない。色が派手なので縁起が良さそう。ご利益がありそうだ。
昨日、自宅のバルコニーに干したらなくなっていたこと、被害届を出そうか迷っていたことなどを話した。
すると女性は、家の奥に向けて、お父さーんと声をかけた。
おう、という声とともに、こちらも六十代半ばくらいか、きちんと櫛の入った白髪頭の男性が顔を出した。
「この方のフクロウのぬいぐるみが、うちの木の上に上がっちゃってるんだって」
いえミミズクですが、と言いかけてやめておいた。
やたらミミズクを連呼する奴になりかけている。
ちなみに以前、フクロウとミミズクの違いをググったことがある。
実は両者は生物学上同じ種(フクロウ目フクロウ科)で、
地上からも、枝上のブッコローの羽角と4色カラーの飾りが見えている。
木を見上げた男性は、ああ、と言うと頭をかいた。
「ありゃ、またカラスだね」
カラス?
きょとんとした僕に、女性が説明してくれた。
「たまに巣を作っちゃうんですよ。枝とかハンガーなんかを運んでくるみたいでね」
それで、ブッコローがくっついたままのハンガーをくわえて持ち去ったのか。
確かにぬいぐるみは洗濯バサミで止めていたが、ハンガー自体は物干しに引っかけていただけだった。
ぬいぐるみごとやらかすとは。飛んでいたカラスは重くなかったのだろうか。
カラスが色を識別できるのかをググってみた。
なんと、人間よりも高精度の色覚を持っているらしいという、まさかの情報を得た。近紫外線を含めた四原色で色を認識してるとか(近紫外線が何なのかは知らない)。
カラスなりにオレンジ色のブッコローが目について、気になって仕方なかったのかもしれない。
なんというやつらだ。
ブッコローを吊り下げたハンガーを加えて飛び去るカラスの画を想像してみた。
強すぎる。動画に撮りたかった気もする。
「なんか、すいませんねえ」
女性は申し訳なさそうに言ったが、全くこの方々のせいではない。
人んちのバルコニーに勝手に侵入してハンガーを盗み、ブッコローを巣作りの素材にしたカラスが悪い。
そんなにでかい巣でもあるまいに、ぬいぐるみがいたら邪魔じゃないのか。やつらブッコローを何に使うのか。雛のための保温材か。"蹴りぐるみ"にでもするのか。
カラスの子供達に蹴られているブッコローの画を想像してみた。
おもしろかわいそうな感じがする。
「また業者さん頼まにゃならんね」
男性が腰に手を当てる。
僕は恐る恐る提案した。
「あの、脚立に乗って物干し竿でつつくとかどうですか。…よければ僕やりましょうか」
業者に頼むなら費用がかかるだろうし、僕が言い出さなければ撤去する必要がなかったかもしれないのだ。親みたいな世代の人たちに高所で作業させるのは気が引ける。僕がやっても危ういかもしれないが。
「それがね、高さがあるもんだから、下手に突くとお隣さん側に落ちるかもしれなくて。卵があったりすると余計に大変なのよね」
「お隣さんの物を壊しちゃうかもしれんからな」
確かに木は隣の境目とギリギリのところにある。高所で手探りの作業になるだろう。僕が棒でつついても、器用にこちら側だけに巣を落とす自信は全くない。
間違って隣の家に落ちてしまったら、また別の人にミミズクのぬいぐるみ回収の話をしなくてはならない。いや、別に構わないのだが…何となく微妙な空気になる気がする。ぬいぐるみ? ミミズク? みたいな。
「じゃあ、こちらで撤去の費用を」
いいよいいよ、と男性はにっこりして手を振った。
「毎年、植木屋さんに剪定頼んでるからね。ついでに取ってもらうさ。近々頼むから、一週間ばかり待ってもらえるかな」
急ぐかしら? と女性が尋ねてきたが、僕はブンブンと首を振った。
ミミズクのぬいぐるみを回収するのに急ぐ用事はどこにもない。
もうブッコローにめぐり会えないと思っていた。助かりすぎて恐縮だ。
良い人たちで本当にありがたい。
「大体、撤去の費用払うくらいだったら、新しいの買った方がお得じゃないの? お兄さんも」
男性が至極もっともなことを言ってきた。
「あ、まあそう…かもしれないんですが、大事な人にもらったもので」
そうだったの、と女性が同情的な目を向けてきた。
完全な嘘だったが、彼女らには「人の誠意を大事にする感心な若者」みたいに映ってるっぽい。
恐縮が倍増する。僕は頭を下げながら、連絡先を紙に書いて渡した。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます