第14話 ドリア②

僕が初めて作ったドリアは、見事三ツ星の出来栄えだった。それに、こってりのドリアに対して、あっさりとした卵スープがあったおかげで飽きずに食べることができた。さすがだなと感心しながら、横目に水島さんを見る。

水島さんはベッドに寄りかかりながら両膝を抱えた姿勢で、何となしにつけたテレビを見ている。

僕は、そういえばと口を開く。

「藤沢さんは今日どこに出かけてるんですか?」

「えっと、企業の説明会とか言ってました」

「やっぱり就活か」

ここ最近、大学内でスーツを着ている三年生が増えたことを思い出す。

「最近詩乃ちゃん、忙しそうにしてます」

そのことを聞いて、僕もあと二年後に同じ状況になるのだと思うとげんなりする。あまり聞きたくない話なので、話題を変えることにした。

「水島さんが料理上手いのって、誰かから教えてもらったの?」

「いえ、誰からも。詩乃ちゃんが持ってたレシピ本を頼りに一人でつくってました」

「へえ、すごいね」

「毎日つくっていれば誰でもこれくらいできますよ。それに、私は料理くらいしかできることがないですし」

水島さんが自嘲気味に笑う。やはり、水島さんは自分が透明人間であることに引け目を感じているのだろうか。返答に困った僕は、テレビの方に目線を逃がす。

「あ、これ近所の動物園ですよね」

水島さんがテレビの画面を指差す。夕方の地方のニュース番組に近所の動物園が映っており、休日の盛況ぶりを女性アナウンサーがリポートしていた。

画面に動物が映るたびに水島さんが、「わぁー」と声を漏らす。

「動物好きなんですか?」

水島さんは少しも恥じらうことなく、「好きです」と返事をする。

「三浦君は動物園に行ったことありますか?」

「そりゃあ、あるよ」

「やっぱり、テレビで見るのと実際に見るのとでは違いますか?」

水島さんはいたって真剣に質問をする。動物園に行ったことがないであろう水島さんにとっては、やはり気になるのだろう。

「そうだね、リアルの迫力は違うね」

「そっかぁ...」

そうつぶやいた水島さんは、ベッドに寄りかかっていた体を前に起こす。

「幼稚園の遠足で一度だけ行ったことがあるんです」

その言葉に、僕は顔を上げる。

「当時のことはほとんど覚えていませんが、すごく楽しかったという記憶があって」

「水島さん、行ったことあるの?」

たまらず、聞き返してしまった。

少しの沈黙の後、

「ああ、そっか、驚きますよね」

と、水島さんは僕の聞き返した意図を理解したようだった。

「私、今はこんな体だけど、昔はちゃんと見えてたんですよ。普通の人と同じように」

そう言って、水島さんは着ているパーカーの袖を少したくし上げ、腕を前に伸ばした。僕は、その袖口から生えているはずのものを見ようとするが、やはりそれを跨いだ奥にある本棚が映るだけだった。

「それじゃあ、いつから透明人間に?」

「...確か、八歳のときだから、十年くらい前になりますね」

水島さんはもともとは普通の人間で、八歳のころに突然透明人間になったということだろうか。

僕は、なんとなしに自分の十年前の記憶を辿ってみる。友達と馬鹿なことをして、先生に怒られた記憶。徒競走でたまたま二位になってすごく嬉しかった記憶。特に何も考えず、その日あったことに一喜一憂して過ごしていたように思う。

そんな年齢で、彼女は透明になったのだ。

どんな思いで生きてきたのだろう。

いくら考えても、水島さんの胸の内は見えない。


なぜ、どのようにして、透明人間になったのだろうか。水島さんを知りたいという気持ちから、次の疑問が湧いてくる。聞いていいのだろうかとも考えたが、それを無視して自分の口がかってに開くのを感じる。

「あのさ、」

水島さんの方を向いた僕は言葉を止めた。

目線の先の空間。

ジワリとあふれ出た雫が、ゆっくりと透明な輪郭をなぞって落ちている。

僕の声にハッとしたように、水島さんは袖で涙を拭う。

「すみません」

でも、拭うたびにまた次が落ちてくる。

――—詳しいことは秘密ね。

初めて水島さんと握手を交わした日、藤沢さんに言われたことを思い出す。

「ごめん、俺のせいで話したくないこととか...」

「違います、三浦君のせいじゃないです」

水島さんは食い気味に、涙交じりの声で否定する。

こういうときは、どんな言葉をかけてあげるのが正解なんだろう。彼女の辛さや悲しみを知らない僕の言葉に意味はあるのだろうか。

テレビの音が、嫌にうるさく感じる。


「大丈夫?」

水島さんが落ち着いたタイミングで声をかけた。

「...大丈夫です、すみませんでした」

いつもの明るい声が帰ってきて、ひとまず安心する。

「お母さんのことを思い出してしまって、泣いちゃいました」

「お母さん?」

「はい」

水島さんは一呼吸おいて、言葉を続ける。

「何の動物を見たかはほとんど覚えてないのに、なぜかそのとき繋いでいたお母さんの手の感覚は覚えてるんですよ」

水島さんは懐かしむように話す。

それを聞いて、僕は自分の手を見つめる。

「それ、わかるかも。僕も水島さんと握手したときの感覚、少し覚えてるもん」

僕はいたって真面目に言ったつもりだったが、水島さんはクスクスと笑いだした。

「それ、他の女の子に言ったら引かれるかもしれませんよ」

「え、そっか、ごめん」

僕はとっさに謝る。

「謝らなくていいのに」

そう言って、水島さんはまた笑った。

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