第3話 ある新聞記者の語り

あたしはちろりと唇をなめて、再び言葉を紡ぐ。



つまり、それがあたしだ。

あたしは、薬を飲まなかった。


同志たちと一緒に、みんなに真実を訴えて回った。でも、無意味だった。

誰の心に響かない忠告なんて、やってないのと変わらない。


働かなくていい、いつだって好きなものを食べれる、遊べる。好きな相手とだって、有名人とだってセックスできる。しかも、社会的な責任なんて問われずに。

そんな世界が待っているのに、どうして薬を飲まずにいられる?


幸福な幻想に人類は負けた。

あたしたちのことは、誰も見てくれない、誰も取り合わなかった。

仲間も少しずつ減っていって、いつの間にかあたしは一人きりになってた。

つらい現実なんかより、薬で楽になったほうがいいって。

みんなそう、薬に手を出していった。

知ったうえでそうしたんだ。

自分の心のために。

あたしは彼らに何も言えなかった。


だってほんとは……あたしだって、そっち側に行きたかったんだ。

でもね、見ちゃったんだよ。


おいしいおいしいって幸福そうな顔して食事している人が食べているのがただの泥だったり。

この化粧品いいわねぇ、って言って顔につけているのが他人の糞尿だったり。


たまたま入った廃ビルで、喘ぎ声が聞こえてきて興味本位で覗いてみたこともあった。

旧時代の名残でこそこそしながら覗いてみたら、男のほうは虚空に向けて股間を突き出してたし、女のほうは一人でゆらゆらしながら喘いでた。


それ見たら心の底から、笑いがこみ上げてきちゃって。もうおなか痛いのなんのって。

しかも、いくら笑い声あげても、そいつらは全然気づかないのよ。

もうそれもおかしくって。


妄想の中ではあたしなんかいなくて、二人でよろしくやってるのかなって。


でも、そこまで考えたらなんだか腹が立っちゃって、あたしは、男のほうの頭を殴り飛ばしてみたんだ。


どうなったって?


何も変わらないさ。


痛いって顔もしなくて、かくかくかくかく、そいつは股間を振り続けてた。

それでさ、あたしわかっちゃったんだ。

飲んだ人間にとって、もう体なんかどうでもいいんだって。頭だけあればいいんだなって。

そりゃそうだよね、頭だけあれば幻想は見えるもん、夢は見れるもん。


その事実が一番、怖くてさ。

あたしにはもう、ソレを飲むことができなかった。



あたしは軽く自分のポケットをたたく。



このポケットの中にはね。

最後の仲間が向こうに行っちゃう前にくれた、MUPが入ってるんだ。

でも、あたしはそれに触ったことさえない。

整備されていないぐちゃぐちゃの世界を汚れながら歩いて。転んだりしたときに、薬が壊れたんじゃないかとのぞき込むことはあるけれど、薬は綺麗なまんま。

あたしがどんなに汚れてもきれいなまんまなんだ。

ぼろぼろになってもそのままそこにあるんだ。


みんなこの現実にはいなくなって、あたしは一人になって。でも、あたしは騒ぎつづけた。訴え続けた。誰もあたしなんて認識していない中で。

だって、そうしていないと頭がおかしくなりそうだったから。

何度も薬の入ってるポケットを覗き込んで、そっと閉じる。


見はするんだけど、やっぱり。

あたしには、ソレが飲めなかった。



「ねえ、おねえさん」


「なんだい?」


あたしが言葉を終えたところでその子は声を上げる。

その時、あたしは背筋にゾクッとした感覚が走った。


待て、あたしはナニと話していたんだ。

この目、この表情……この子が純粋無垢な子どもだって?

この恐ろしい存在が?


それは、あたしがMUPに感じる恐怖と似ていた。

その瞳はどこまでも遠く、深く見通すようで、そして冷たくて。

見つめると、胸の奥が痛い。怖い。

目をそらしたくても、体がうまく動かない。


「おねえさんはどうして、死なないの?」


死ぬ、という言葉にハッとする。

少しだけ体の感覚が戻る。

確かにそうだ。

これだけ絶望して、希望もなにもなくて。

なんであたしは死んでない。


そこに浮かび上がってくるものが一つ。

言葉は心からあふれて、口をついて出た。


「あたしが欲しいのは、愛とか希望とか幸せじゃなくて、真実だから」


口から笑みがこぼれる。

どれだけ久しぶりに笑っただろうか。


そんなあたしの言葉に、少女は恐ろしいほど美しい顔でにっこりと笑う。


「おねえさんは今、真実が欲しい?」


「真実なら持ってる。この歪んだ世界のことわりをあたしは全部知ってる。MUPが幻覚を見せる薬だってこと。あたし以外、みんなみんな飲み込まれてるんだってことも」


笑ったことで、あたしの中に力がみなぎる。

強い言葉で、答えられる。


「自信たっぷりってすてき。でも、ちょっとだけまちがってるよ、おねえさんは」


そうして彼女は小さな手鏡を差し出してくる。


「この鏡を上げる、はい」


受け取るつもりなんてなかったのに、あたしはその子の美しさと迫力に押されて、思わずそれを受け取ってしまう。


「あ、ありがとう」


反射的に出てくるお礼。

その言葉にその子は満足したのか、バイバイと言って歩き出す。


「それを覗けばすべての真実はあなたの中に」


そう言い残してその子は、あたしの近くからいなくなった。

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