9、わたしたちにできること①

「やあ、ミノリ。きみから連絡をもらえて嬉しいよ」

 片手を上げたソムチャイは、見慣れたオペレーター席に腰かけている。

 OLIVE号からの信号を受信して以降、「モーセ」の管制室は開店休業状態だ。OLIVE号からの追加のメッセージが来る可能性を考えて常に人員は配置されているが、責任者であるオウルの意識は既にここにはない。彼は新たな宇宙船でOLIVE号の後を追うことを中心に考えている。故に夜間であっても管制室に来ることはなくなった。結果的に、部屋は閑散としており今まであった緊張感も薄れている。

 話を聞いてもらうためにわたしと同じシフトにしてくれたソムチャイは、隣の椅子を引いてわたしに腰かけるよう勧めてくる。遠慮せずに座ると彼はへたくそなウインクをした。


「ミスター・オウルの手紙の件だろう? 僕も最初読んだ時は驚いたよ。だってOLIVE号が新星を往復するものだと思っていたからね。まさかミスター・オウル自身が新星に行くつもりだったなんて、考えてもみなかった」

「ソムチャイは、どうするつもりなの?」

 相槌もそこそこに、彼に真っすぐ問いをぶつける。インタビュワーとしては失格だが、今ここにいるのはジャーナリストのミノリではなく、一人の進路に悩むオペレーターだ。ソムチャイはいきなりの質問に気を悪くした様子もなく、少しだけ考えてから口を開く。

「もちろん、ドクター・オウルについていくつもりだよ」

「理由を、聞いてもいい?」

「この世で一番夢のある仕事だと思ったからさ」

 ソムチャイの回答は抽象的だが、本音のようだ。彼の目はきらきらと輝いている。

「もちろん、僕が宇宙移行士になった大きな理由の一つは、高い給料を家族のもとへ仕送りして、楽に暮らしてもらいたいからだ。でも、仕事をするからには夢がある業務につきたいじゃないか。宇宙開発計画はひと段落着いたと言われ、マニュアル通りの仕事をこなすだけの宇宙移行士は、やりがいはあるけれど夢はあまり感じられないよね。でも、ミスター・オウルが提示してきた仕事は違う」

 彼は目の前の画面を操作して、オウルから届いたメールを表示させた。スクロールして、ある一文を指で指し示す。

「ほら、ここ。“新星の環境を整える業務は、今の地球や人工衛星、スペースコロニーの維持管理業務では得られない充実感と、唯一無二の経験ができると俺は確信している。”ってあるだろう? 僕はこの一文に惹かれたんだ。宇宙移行士としての仕事をこなしながら、今までにない充実感を得られる。素晴らしいことじゃないか。それに、今まで誰も見たことがない星で生活するなんて、夢がある仕事だ。そうだろう?」


 メールを閉じたソムチャイは、身体ごとわたしのほうへと向きなおる。

「人が造った人工衛星やスペースコロニーの環境を維持するのは、『誰かが造ったものをきれいに保つ仕事』だ。でも、ミスター・オウルが提案する仕事は違う。『自然にできたものを人が使いやすいように整える仕事』だ。いわばゼロからイチをつくる仕事に近い。とてもクリエイティブじゃないか。まさか生きているうちに、こんな業務に就けるチャンスが来るなんて思ってもみなかったよ。だからすぐにミスター・オウルに連絡したさ。是非参加させてほしいってね」

「そうなんだ……」

 わたしは小さく頷いてから、逡巡する。以前オウルから言われた言葉を思い出していたのだ。

 “未知の星に向かうんだ。航路も、自らが乗る船でさえも最適解がない。実際に乗って、試すしかない。決まった正解をなぞるだけの宇宙移行士などでは務まらないだろう”

 オウルはこれを、クレインが発した言葉だと述べていた。宇宙飛行士を目指していた人だからこそ出てきた台詞なのだろう。しかしオウルは、宇宙飛行士を目指しているわけではない。宇宙移行士の立場のままで、外宇宙へ旅立とうとしている。それはクレインが言う通り、“決まった正解をなぞるだけ”の凡庸な宇宙移行士では務まらない。高いモチベーションと目的意識、それに確かな実力を持っている者でなければ実現できないはずだ。

 きっとソムチャイは、オウルが求める非凡な宇宙移行士に当てはまる。だからきっと彼の望みは受諾され、共に宇宙へ出ていくのだろう。


 では、わたしはどうなのだろうか? 宇宙に行く場合、武器である多言語コミュニケーション能力は役に立つだろうか。日常業務では皆共用語を使うから、母語で話す機会はほとんどない。それに他の人たちは電気技師であったり設備管理者だったり、機械に強い職能を持っているケースがほとんどだ。彼らが宇宙船で役立つ想像はできるが、基本的に文系なわたしが活躍できる場面はあまりないかもしれない。

 黙っていると、ソムチャイはわたしの顔を下から伺うように、少し背中を丸めて座高を下げた。

「ミノリ、悩んでいるようだね。ぼくでよければ相談に乗るよ」

「宇宙船に乗ったとして、チームに貢献できる自信がなくて」

 ゆっくり悩みを口にして、驚いた。わたしは数年間地球を離れることで、ジャーナリストとしての職を追われる可能性を恐れていたのではなかったのか。しかし今はそれより、宇宙船で自分の役割を果たせるか、存在感を示せるかを気にしている。つまり宇宙船に乗りたいという思いが心のどこかにあるということだ。わたしはいつから、「オリーブと鳩」にこんなに前向きになっていたのだろう。

 わたしの思いを知ってか知らずか、ソムチャイは手を前で組みゆっくりと言葉を紡ぐ。

「ミノリは、きっと宇宙船の中でも活躍できるよ」

「そうかな」

「そうさ」

 ソムチャイは組んでいた手をほどき、己の胸元を指差す。

「だって、ぼくと仲良くなったきっかけは、きみがタイ語を喋ったからじゃないか。きみは色んな人の母語を操って、心の距離を縮めることができる。もちろん翻訳ツールがあれば他言語を理解できなくはないけれど、即興の会話には参加できないよね。でもミノリにはそれが可能だ。その力ときみの人柄で、クルーメイトの精神安定を担えるんじゃないかな」

「でも、わたしはカウンセラーじゃない。確かに色んな国の言葉を理解することはできるけど、毎回適切な言葉を選んで声をかけられるわけじゃないよ」

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