7、鶴の声が聞こえる
わたしが「モーセ」の管制室で監視業務に従事してから、一年弱が経過した。おかげでクルーメイトたちとは概ね言葉を交わせる間柄になっている。むろん、オウルも例外ではない。管制室での対話を通じて、彼の行動の鍵を握っているのはクレインだというところまではわかってきた。あとはもう少し、周辺情報を深堀りして確かめなければ。
そんなことを考えていると、急にコンソール画面に砂嵐のようなノイズが入る。故障かと思いパネルを叩くと、「
「モーセの管制室にメッセージを送ってくる存在など限られている。……おそらくOLIVE号からの信号だ。ミノリ、ミスター・オウルに至急連絡を」
「でも、今寝ているんじゃないですか?」
管制室にオウルが姿を見せるのは、夜間と決まっているが、毎日来るわけではない。来ない日は大抵、少し離れた研究棟にある彼の自室で仮眠を取っている。今日まだ姿を見せていないというのは、そういうことだろう。ただでさえ忙しい彼を叩き起こすのは少々気が引けるのだ。
「いや、ミスター・オウルが誰よりもOLIVE号からの通信を待ち望んでいたことは君も知っているだろう。睡眠時間を削ってでも、誰よりも早く情報を得たいはずだ。信号の解読はこちらで進めるから、ミノリはすぐに連絡を」
しかしマネージャーの言葉で、わたしも考えを改める。確かに、オウルが多忙の合間を縫って頻繁に管制室を訪れていたのは、OLIVE号からの信号を待ち望んでいたからに相違ない。そうと決まれば悩んでいる暇はない。わたしは通話画面を立ち上げ、オウルの部屋番号をプッシュした。
「夜分遅くに申し訳ありません」
通話は三コールを待たずに繋がった。反応の速さは、さすが宇宙移行士のホープといったところか。寝起きだからだろう、さすがに映像は切っているが彼が耳を傾けている前提で言葉を続ける。
「オウルさん、待ち人から連絡がありましたよ」
次の瞬間、ガタン、と大きな音がした。どうやらオウルは通話をスピーカーモードに切り替えたらしい。電話越しに彼が部屋で慌ただしく動き回っている様子が手に取るようにわかる。しかし一向に返事が来ないので、本当に話相手がオウルなのか若干心配になる。
「聞いてますか、オウルさん?」
「ああ、すぐそちらに向かう。解析は済んだのか?」
間髪入れずに返ってきた返答と質問に、わたしは隣のマネージャーの画面を見やる。信号はまだ解析中で、内容を読み取れる段階までは至っていないようだ。しかし解析をしているのとは別のウィンドウに、発信元の推定値が記されていた。そこには間違いなく、新星があるとされている座標が書かれている。
「いえ。たった今受信したので、解析は終わっていません。発信元の座標推定値をみる限り、発信者はOLIVE号で間違いないと思いますが」
「分析してわかることを、分析前に断定口調で言うな」
「はいはい。オウルさんが到着するまでには、解析が完了すると思います」
軽くたしなめられて、肩をすくめる。相変わらず彼はお堅い。こんなときでさえ、仕事のことになると小言が絶えない。ともあれ今わかっている事実を全て伝えると、画面の向こうから頷く気配がした。
「了解だ。五分、いや三分で行く」
それと同時に音声に若干のノイズが入り、スライド式の自動ドアが開く音がした。どうやらオウルは通信端末を手に持つか耳にかけるかして移動を始めたらしい。しかしいくら何でも三分は早すぎる。
「さすがに早すぎます! それに今オウルさんがいるの、研究棟ですよね? 急ぎ足でも十分はかかりますよ」
「俺の足はまだ衰えていない。走るから返答はしないぞ。引き続き報告があったら連絡してくれ」
わたしの突っ込みを完全に無視して、オウルは一方的に会話を終わらせる。それでも納得がいかずにわたしはもう一言、言わずにはいられなかった。
「気が急くのはわかりますけど! 焦って怪我しないでくださいよ」
「ミノリ、しゃべるより手を動かせ」
しかし忠告すらも受け流されて、通話の向こう側では壁を蹴るドン、という鈍い音が断続的に響いている。恐らく低重力区画の廊下を蹴り上げながら浮遊して進んでいるのだろう。本来であれば廊下の端につけられた安全に移動するためのハンドルを持って進むべきなのだが、今のオウルは余裕が無いらしい。わたしはこれ以上何か言っても無駄だと思い、ため息をついて隣の席を見やる。
「マネージャー、オウルさんはあと三分で来ると言っています。解析、終わりそうですか?」
「終わらせてみせる。おれの本職は暗号解読。三分もあれば十分だ」
頼もしい答えが返ってきて、わたしは軽く息を吐いてからヘッドギアをセットしなおした。マネージャーの解読内容如何では、再びオウルに報告すべき事柄が出てくるかもしれない。ゆえに彼との通話は切らない。相変わらず通話口からは壁や床を蹴る音が響いているので、彼が急いでいるのは十二分に伝わっている。無理して怪我をしなければいいのだが。
「ミノリ、発信元の座標が特定できた。新星の存在地。発信者はOLIVE号でほぼ間違いない。ミスター・オウルに報告を」
「了解」
間もなくマネージャーから指示が飛び、同時にわたしの画面に発信元の座標情報が送られてくる。わたしはその情報をオウルの端末あてに送信しながら、ヘッドギアに口元を近づける。
「オウルさん、聞こえますか?」
「ああ」
短い返答を受け、わたしはマネージャーに言われた通りの情報を伝える。
「暗号解読はまだですが、暗号の発信位置は特定されました。OLIVE号が向かった空域でまちがいありません。座標情報はいま送りました」
「わかった。もうすぐ、着く」
若干息があがっているため、言葉が途切れ途切れになっているオウルの声にわたしは若干呆れる。
「ほんとうに走ってきたんですね。通信は逃げないので、無理しないでくださいよ」
言っても無駄だと思いつつ、念押しせずにはいられない。案の定それに対する返答はなかった。そして数十秒後、オウルに通信をしてからきっかり三分後、管制室の扉が開いた。マネージャーが扉の方へと振り返る。
「ミスター・オウル。解読はできたのですが……」
座標を特定した後のわずかな時間で、通信暗号の解読をやってのけたのか。やはり特技は暗号解読だと言っていた彼の力は伊達ではない。通信が到着した時に当直でいたのが彼で本当に良かった。そんなことを考えていると正面の大型スクリーン――通常時は宇宙の風景が映し出された窓ガラスに過ぎない――に、英語の一文が大きく表示された。
Crane turned into a pigeon.
――鶴は、鳩になった……?――
心の中で直訳してから、かぶりを振る。これはOLIVE号からの通信内容だ。ということは主語は船長であるクレインに違いない。つまり……
「クレインは、鳩になった……」
わたしが辿り着いた答えを、オウルが口にする。
「オリーブと鳩の伝説だ」
この文章が「オリーブと鳩」の計画に則っているのであれば、意味は明白だ。
「旧約聖書の創世記では、人類の祖先ノアが、大洪水の水が引いたかを確認するために鳩を放つ。鳩は、オリーブの小枝をくわえて戻ってきた。それでノアは、洪水が引き、人が住める大地が現れたことを知る」
「それじゃあ」
「あいつは、クレインは見つけたんだ」
オペレーターの問いかけに、オウルは断定調で言い切る。その声には確信がこもっていた。
「ドクター・クレインが鳩になった……つまり、人が住める土地を見つけた。あとは証拠となるオリーブの枝をもって帰るだけ、ということですね」
「そうだ」
オウルは無言で宙に浮かんだメッセージを見つめる。そこには、万感の思いが込められているようにわたしには感じられた。
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