6、監獄と紙一重のゆりかご
ある日、夜間勤務のために管制室の扉を開けると、入れ違いで若い男性オペレーターが飛び出してきた。部屋の中は騒然としていて、中央にオウルが何とも言えない表情で立っている。
「
ソムチャイとシフトが被っていたので、オペレーター席に座りながら隣にいる彼にこっそり問いかける。彼はわたしの存在を認めると小さく頷き、オウルには聞こえないような小声で返してきた。
「さっき出ていったオペレーターが癇癪を起こしてね。ほら、宇宙移行士って自分の職能にプライドを持っている人が多いだろう? で、何か月たっても代わり映えのしない監視業務だったから、もっと有意義な仕事をさせてくれってミスター・オウルに直談判したんだ」
「でも、ここの業務内容は面接を受ける前に知らされているでしょう?」
わたしたち宇宙移行士はジョブ型採用……職能に応じて応募できる業務が異なる仕事だ。管制室での仕事が退屈なものになるであろうことは応募要項から見て取れたし、面接の際オウル本人からも明言されていた。わたしが首を傾げると、ソムチャイは「お手上げ」のポーズをして見せた。
「ミスター・オウルもそういったんだけどね。かえって彼の癪に障ったらしい。ほら、ときに正論は人を苛立たせるだろう? “エリートコースを歩んできたミスター・オウルに、私の気持ちなどわかりません!”と叫んで出ていってしまったよ。まあ、頭が冷えたら次の業務から普通に戻って来るんじゃないかな」
ソムチャイはあまり気にしていないようだが、わたしは妙に引っかかりを覚えた。確かに彼の言う通り、元々虫の居所が悪いときに原因を作った張本人から正論をぶつけられて苛立ったというのがおおよその真実だろう。あまりにも苛立ちが強ければ職を変えるだろうし、そうでなければ今度のシフトから何事もなかったかのように戻ってくるに違いない。
しかし、オウルは出ていった男性の様子が気になっている雰囲気を出していた。自分が悪いことをしたという思いがあれば追いかければいいし、正論を言っただけ――少なくともわたしはそう考える――という意識なら淡々と監視業務に戻ればいい。しかし彼はいずれの択も選ばずに、ただ男性が飛び出した扉のほうをぼんやりと眺めているだけだ。
何か、オウルの心の琴線に触れるような言動を彼が取ったのではないか。何となくそんな予感がする。男性が放ったという「エリートコースを歩んできたミスター・オウルに、私の気持ちなどわかりません」という言葉。ここに鍵があるような気がする。
「オウルさん?」
だけどわたしは、あえて何も気づかなかったふりをしてオウルに話しかける。彼はなおも扉の方を向いたままだが、視線だけちらりとこちらによこす。
「出ていった彼のことは、今考えても仕方ありませんよ。落ち着けば向こうから謝ってくるでしょうし。今オウルさんが声をかけたところで、きっと話を聞いてくれる状態ではありません。いまは気にせず、業務に集中しましょう」
「ミノリはコミュニケーション能力に自信がある、確かそう言っていたな」
「はい」
正確には多言語コミュニケーション能力により、円滑な人間関係を築けると言った記憶があるが、とりあえずそういうことにしておこう。いまは話の腰を折るべきではない。そう判断して頷くと、オウルは再び視線を扉のほうへと向けた。
「コミュニケーション能力に長けたミノリがいうなら、そうなんだろう。……だが俺は、エリートコースを歩んできたわけじゃない」
「そうなんですか? 大学も大学院も、優秀な成績で卒業されたと伺っていますが」
「詳しいな、ミノリ」
オウルに一瞥されて、しまった、と臍を嚙む。今のはジャーナリストとしての仕事兼趣味で得た知識だ。得ている情報をあまり披露しすぎると、わたしがここに来た目的がが露呈してしまう。更なる追及が来るかと身構えていたところ、オウルは視線を元の位置へと戻す。
「俺は、スペースコロニー出身者だ」
「えっ、ということは旧途上国出身なんですか?」
「母親がな」
提示された新事実に瞠目する。確かに、スペースコロニー出身でも地球にある大学に通うことは可能だ。学費を全額負担してくれる奨学金もあるし、教育機関は名目上、出身地での差別を行わないことになっている。成績優秀でさえいれば、問題なく入学することができるだろう。とはいえ教育環境に恵まれない旧途上国出身者……それもスペースコロニー居住者で、大学進学を成し遂げるのは至難の業だが。オウルはよほど頭脳明晰だったに違いない。
「でもスペースコロニー出身とはいえ、大学と大学院まで出ているなら十分エリートコースだと思いますよ。僕なんて地球出身ですけど学校は高校までで、宇宙移行士の資格は独学で取りましたから」
わたしたちの話を聞いていたらしいソムチャイが横から口を挟んでくる。基本的に彼がオウルと言葉を交わす場面を見たことがないが、先ほどの件が多少は気になっていたのだろう。ソムチャイの言葉は、納得がいかない、といったふうな口ぶりだった。
「そうだな。確かに、傍から見ればそうなる。俺が悪かった。バラフには後で俺から謝っておく」
「でも、オウルさんは自分はエリートコースだったとは思っていないんですよね? その状態で謝罪に行っても、火に油を注ぐだけだと思いますよ」
おさまりかけた場の雰囲気を、わたしは勢いで押し戻す。さきほどのオウルの言葉はいつもと同じように淡々としていたが、心の底から納得して発せられたものだとは感じられなかったのだ。自分が思ってもいないことを口にしたら、相手は納得してくれない。謝罪ならなおさらだ。だからここは“コミュニケーション能力”を買われてクルーとなっている私としては、見過ごせない盤面だと感じる。
オウルはわたしのほうに身体ごと向き直り、しかと目を見据えた。真顔の彼に見つめられるのは少し怖いが、わたしも臆せずに見つめ返す。
「バラフには、俺の出自について包み隠さず話すつもりだ。そうすれば、俺がなぜ生まれと育ちにコンプレックスを抱いているのか、理解してもらえるだろう」
「出自、ですか」
わたしはオウルの言葉を反芻する。問題なのはスペースコロニー出身というだけではないのか。彼の口ぶりだとそれだけではなさそうだ。
やや間があって、オウルはためらいがちに口を開く。
「俺の母親がスペースコロニー出身者で、俺もそこで生まれたという話はしたな。だが父親は違う。父親はスペースコロニーに出稼ぎに来ていた宇宙移行士だった」
ふと、以前オウルから聞いた話を思い出す。この世で最も嫌いな人間が宇宙移行士だったのだと。もしかすると彼の父親が該当するのかもしれない。わたしは頷き、続きを無言で促す。
「父親は母親に俺を産ませ、結婚をすることなくスペースコロニーから逃げ帰った。宇宙移行士がスペースコロニーの住人と家族になるケースもなくはないが、俺の家はそうならなかった。おそらく父親は裕福な家の出で、スペースコロニーに住むような貧しい家の女と結婚するなどもってのほかだったのだろう。母親の周囲の人間は、皆そう噂していた」
やはり予想通りだ。オウルが語る父親に対する思いには、怒りがにじんでいる。淡々とした口調からは気づきにくいが、彼が両手の拳をぎゅっと握るのをわたしは見逃さなかった。
「母は周囲の噂にめげずに俺を育ててくれたが、俺は色眼鏡で見てくる周りの人間に我慢がならなかった。だから、勉強に逃げる。周りの連中と顔を合わせたくなくて、地球の学校に進学できるようにな。首尾よく地球の大学に合格してからは、一度もスペースコロニーには帰っていない」
「お父さんのことが嫌いだったから、宇宙移行士を目指すつもりはなかったんですね」
「ああ」
短い肯定に、オウルの感情が込められているような気がした。
宇宙移行士のおかげでスペースコロニーの居住環境が良いのは事実だが、スペースコロニーの住人はよほど何かの能力に特化していない限り外へ出ることは叶わない。旧先進国から間接的に監視されている監獄のようなゆりかごの社会。オウルはその中で生まれ育ち、そこから出たい一心で勉強し続けたのだろう。結果的に、彼が憎んでいた父親と同じ職に就いているというのは皮肉な話だが。
「きっと、バラフもわかってくれますよ」
「そうだと、いいんだがな」
わたしの心の底から出た言葉に、オウルは扉をちらりと見やる。
「モーセ」管制室で働く誰もが、何かしらの事情を抱えここで働いている。しかしオウルのようにコミュニケーションが不得手であったり、ソムチャイのように母語と共通語が異なったりすると円滑な意思疎通が難しくなる。わたしが少しでも、彼らの関係性の潤滑油になれたら。少し落ち着いたように見えるオウルを見ながら、そんなことを思うのだった。
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