5、宇宙に住む
ソムチャイに頼んだことが功を奏して、わたしは夜のシフトが中心の勤務となった。ジャーナリストをしていると、昼夜逆転の生活をすることもある。ゆえにこの勤務体系は慣れたものだ。特に眠くなることもなく――ただし暇つぶしの熟語辞典は手放せない――、日々の業務を淡々とこなしていく。
話に聞いていた通り、オウルは夜間、よく管制室を訪れた。そしてじっと宇宙空間が映し出されている窓を見つめている。わたしを含めオペレーターたちは皆無言で作業しているので、会話が発生することは滅多にない。しかしそれではらちが明かないので、夜間業務に従事してから二日後、さっそく彼に話しかけることにする。
「ミスター・オウルはなぜ宇宙を目指したのですか?」
オウルは自分に話しかけられていると思わなかったのかもしれない。何も返事が返ってこないまま、数秒が経過した。
――彼はコミュニケーション能力が低い……寡黙なだけじゃなくて、黙殺もしてくるのね――
わたしは心の中で嘆息しつつ、こんなところでめげているわけにはいかないと気を奮い立たせる。
「あの、ミスター・オウル」
「なんだ」
ようやくこちらに顔を向けてくれたオウルに、わたしは心の中で握りこぶしを作る。
「ミスター・オウルは、なぜ宇宙を目指したのですか?」
「なぜ、宇宙移行士になったのかという意味の質問か?」
「はい」
頷く私と一瞬だけ目を合わせてから、オウルは再び窓の外に視線を移した。
「俺は宇宙が嫌いだ」
「えっ。そうなんですか?」
予想外の答えに、思わず声が大きくなる。ちらりと視線を上げた隣の席のオペレーターに目で謝ってから、意識と顔をすぐにオウルのほうへと戻した。彼は「オリーブと鳩」の推進者だから、誰よりも宇宙に興味関心があるものだと思っていた。なぜ、宇宙が嫌いであるにもかかわらず計画に携わろうと考えたのか。しかし彼は続きを話してくれる様子がない。沈黙で流されるわけにはいかないと、わたしは続けて言葉を放つ。
「理由を伺っても、いいですか?」
「俺がこの世で最も嫌いな人間が、宇宙移行士だったからだ」
「嫌いな、人間……」
それはいったい誰なのかと聞きたくなる気持ちをぐっとこらえる。寡黙・沈黙・黙殺が特徴の彼に余計なことを聞いたら、今後一切話をしてくれなくなる可能性がある。それよりも今は、脱線しかかっている当初の質問に応えてもらわなくてはならない。
「あなたが嫌っている人が宇宙移行士をしていたのに、なぜミスター・オウルは宇宙移行士を目指したのですか?」
「俺が最も尊敬する人間が、俺に宇宙に住まないかと、執拗に持ち掛けてきたからだ」
「宇宙に住む。そんなことを言ったんですか」
人工衛星やスペースコロニーに住む、ということだろうか。現代社会においてその発言は旧途上国の人々を揶揄する表現になりかねないから、歓迎されるものではない。言葉の端に棘が出てしまった。わたしが機嫌を悪くしたら、そのまま会話が打ち切られてしまいかねない。しかし予想に反して、オウルは言葉を続けてくれた。
「彼にとって宇宙に住むとは、宇宙飛行士になって星間飛行をすることを指す。彼は俺にこういった。“今は人工衛星やスペースコロニーでの暮らしが喧伝されているが、すでにいろいろな問題が出ている。別の星で地に足つけて暮らしたい。じきにそんな欲求が出てくる。いや、もう出ているに違いない。そうなったら、宇宙飛行士が必要になる。未知の星に向かうんだ。航路も、自らが乗る船でさえも最適解がない。実際に乗って、試すしかない。決まった正解をなぞるだけの宇宙移行士などでは務まらないだろう”とな」
「宇宙飛行士になることが、宇宙に住むこと……」
「最初話を聞いた時は、俺にも意味が分からなかった」
相変わらず窓の外を見ているオウルは、かすかに苦笑いを浮かべているように見える。
「彼曰く、マニュアル通りの業務内容をなぞるだけの宇宙移行士より、何でも自分で判断して行動する宇宙飛行士のほうがはるかに魅力的なのだそうだ。それこそが宇宙に住むメリットであり、醍醐味であるらしい。その魅力は俺には今でもわからないままだが、彼は確かに宇宙飛行士になるという夢をなしとげた」
「では、その人が、ドクター・クレインなのですか」
話の流れでわかりかけていたことを確かめると、彼は小さく頷く。
「そうだ。気がつけばクレインの計画には俺も組み込まれていて、俺たちは共に『オリーブと鳩』を推進する同士になっていた。全て彼の掌の上だった気がするのは少し癪だが、今や俺は宇宙移行士になり、先に旅立ったクレインを待つ役回りを担わされている」
クレインのこととなると饒舌になるのだろうか。滔々としゃべるオウルの話の内容をわたしは頭の中で整理する。
オウルは元々は宇宙が嫌いだった。何らかの理由で、彼が嫌っている人間が宇宙移行士だったから。しかし、尊敬する人物……クレインが共に宇宙に行こうと誘ってくる。度重なる彼の誘いを断り切れなくなり、結局は嫌っていた宇宙移行士になり、クレインを支える立場となった。そういう大筋が見えてくる。彼は積極的に「オリーブと鳩」に参画していたのだと思っていたのだが、どうやら違うようだ。となると、作戦に懐疑的なわたしと感覚としては近いのかもしれない。何だか親近感が少しだけ湧いてきた。
「では、ミスター・オウル……いえ、オウルさんは、尊敬するドクター・クレインの帰りを待ち続けているのですね」
「あまり尊敬すると言われるのも癪だけどな。あいつは大学時代、論文執筆で引きこもりがちな俺を揶揄してよく言ってきたものだ。“宇宙船に籠りきりの生活と、自宅に籠りきりの生活は似ていると思わないかい?”とな。今思えばそうやって、段々と感化されていったのかもしれないが」
「そうなんですね」
わたしは、クレインの人となりに興味が湧いてきた。寡黙・沈黙・黙殺……略して三黙で、かつ宇宙嫌いだったオウルの好き嫌いを百八十度転換させて、共に宇宙を目指させるとは。クレインという男はよほどのカリスマか、オウルにとって大切な存在かのどちらかなのだろう。
それにしても、思っていたよりスムーズにオウルから話を聞き出すことができた。彼が嫌いだという宇宙移行士の話など、まだ気になることはたくさんあるが現状の関係性で得られた情報としては上々だろう。わたしは窓の外を眺めつづけるオウルの横顔を見ながら、次に何を聞くべきか頭を整理するのだった。
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