4、ソムチャイ
人工衛星「モーセ」の管制室では、無言でコンソールパネルを叩く音だけが響いている。
わたしが採用されたのは、管制室での宇宙船OLIVE号の監視業務。といっても、昨年新星に向けて旅立ったOLIVE号をカメラで視認するのは不可能だ。OLIVE号は新星到着後、「モーセ」に向けてメッセージを発信することになっているらしく、それを受信するのがメインの仕事になる。ミスター・オウルが面接で口にしたように、いつ届くのか、そもそも届くのかもわからない不確かな仕事だ。
よって、わたしたちの仕事は基本的に暇だ。せいぜいできることと言えばオペレーター用のコンソロール画面を叩き、OLIVE号の現在地を推定してみたり、管制室にどんな設備があるのかを見渡してみたりすることぐらいである。もっとも、勤務時間内に持ち場を離れると他の監視員に注意されるので歩き回ったりすることはできないのだが。
「オリーブと鳩」の計画に迫ると威勢よく乗り込んだわたしだったが、三日目にして早くも飽きてきてしまった。何せ、話を聞きたい相手であるミスター・オウルは管制室にほとんど姿を見せない。少しだけ顔を出すことはあっても、OLIVE号からの通信有無を確認してすぐに引っ込んでしまう。無論、彼は「オリーブと鳩」の推進者だから他にもやることが色々あるのだろう。それにしても、空振りばかりの日々に正直げんなりしてきた。
仕方がないので、管制室にこっそりと熟語辞典を持ち込み、暇なときはそれを読むようにしている。ジャーナリストになってから、語彙力を鍛えるためにこの類の辞書は色々と購入していたのだが、熟語辞典は暇つぶしになってよい。ぱらぱらめくっていると、ふと隣から小さなつぶやきが聞こえた。
「
わたしはハッとして右隣を見る。わたしと同じくオペレーター業務についている短髪の男性が、ちらりとこちらを見ていた。恐らく彼は独り言のつもりで、母語で呟いたのだろう。しかしわたしには意味が通じてしまう。タイ語は読み書きできる言語の一つだからだ。
「
即座にタイ語で返事をすると、男性は答えが返ってくると思わなかったのか目を丸くしている。
「きみはタイ人じゃないよね? なぜタイ語がわかるんだい?」
標準語で問いかけられて、迷いなく答える。
「これがわたしの宇宙移行士としての特技だから。言語習得はわたしの趣味みたいなものだよ」
「物好きだね……今は翻訳ツールを使えばどうとでもなる時代なのに。まあ、宇宙移行士なんてみんな趣味を突き詰めた変人の集まりだけど。おっと、きみをけなしているわけじゃないよ。僕だって同じ宇宙移行士だからね」
そういって彼は下手くそなウインクをしてみせる。ユーモアがありそうな人だとわかり、わたしも口角を上げた。
「あなたの宇宙移行士としての特技は何なの?」
「おや、面接かい? まあきみが先に答えてくれたからね。僕も君の問いに答える義務がある」
ややもったいぶってから、彼はすぐに言葉を続けた。
「特技、というより本職は電気技師だ。宇宙移行士の中で最もポピュラーで、面白みのない立場だね。まあでも、僕みたいに貧しい家の生まれの人間からすれば実入りのいい仕事だから。僕はずいぶん恵まれている方だと思うよ」
軽快に答える彼の言葉に、私は思考を巡らせた。タイは旧先進国の中でも遅れて先進国認定された国だ。国内の経済格差は激しく、旧先進国で重視される識字率も低いままだと聞く。彼は貧しい生まれだと言っているが、この場に立てているだけ学がある家で生まれ育ったのだろう。
「僕の名前はソムチャイって言うんだ。きみは?」
考えごとをしているときに問いを投げ掛けられ、一時思考が中断する。
「わたしはミノリ」
「ミノリ、か。やっぱり日系人なんだね。日系人は豊かだから、宇宙移行士なんていう過酷な仕事には就きたがらないイメージがあるんだけど、なぜきみはこの仕事を選んだんだい?」
真っ直ぐにこちらを見てくるソムチャイに、一瞬答えに窮した。彼が指摘したとおり、日系人の間で宇宙移行士の仕事はあまり人気がない。昔わたしの出身国には3K労働(きつい・危険・汚い)という不人気業種を指す言葉があったらしいが、宇宙移行士の仕事はまさにこれだ。
高難度な試験を突破し、待ち受けているのは過酷な宇宙環境での居住環境維持業務。肉体的にも精神的にも負荷は大きいし、一歩操作を誤れば死が待っている。それにスペースコロニーや人工衛星内のごみ処理なども宇宙移行士の仕事の一つなので――危険物でなければ地球に落として摩擦熱で焼却処分するのが一般的だが、その操作には精密性が求められる――不衛生な職場環境にある人も存在する。
ゆえに地球在住の旧先進国出身者で、それなりに家が裕福か満足いく教育を受けられている者は、まず宇宙移行士にはなりたがらない。進んでなろうとするのはソムチャイのように貧富の差が激しい国の出身者が一攫千金を狙うパターンと、旧途上国出身者がスペースコロニーで「飼い殺される」現状を打破するための手段として選ぶパターンが多いだろう。むろん、後者の場合間近で宇宙移行士の仕事ぶりを見ているので、彼らに憧れて目指す人もいないわけではないだろうが。
ソムチャイの問いは純粋なものだろう。彼の瞳には腹を探ろうといったたくらみが感じられない。わたしは少し考えて、素直に答えることにした。
「わたしは、この業務の責任者であるミスター・オウルに興味があるの。彼が計画している『オリーブと鳩』について、詳しい話が聞きたくて。でも彼に会うために仕事についたのはいいけれど、中々顔を合わせる機会がなくて困っている」
「ミスター・オウルに? あのだんまり男に興味があるだって? ミノリはなかなかに物好きだね」
裏表のないソムチャイの言葉に、わたしは苦笑する。オウルのコミュニケーション能力が低そうだという、初対面での印象は間違っていなかったらしい。
「でも、ミスター・オウルに会いたいのなら、今の日中監視業務じゃだめだよ。夜間監視業務でないと。ミスター・オウルは日中は別の仕事に明け暮れているみたいで、ミノリも知っている通りほとんどこの管制室に来ることはない。でも夜、身体が空いたらたいていこの部屋にやって来るよ。無言でじっと通信画面を眺めているから、居心地悪いったらありゃしない」
突然降って湧いた有益な情報に、わたしの頭は回転をはじめる。ソムチャイとわたしのシフトは違う。わたしは入りたてということもあり日中の勤務シフトで固定。ソムチャイはおそらく夜間も含んだ勤務体系になっている。もし彼の話が本当なら、私のシフトを変えてもらった方がいい。
「ソムチャイ。突然の提案なのだけど、わたしのシフト、夜をメインにしてもらえないかな。わたしの目的は、ミスター・オウルと話をすることだから。話ができるチャンスがあるなら、それを逃したくない」
「本当に、君は彼に興味があるんだね……そこまで物好きな人は初めて見たよ」
ソムチャイは目をぱちくりさせながらも、コンソールパネルを叩く。ほどなくして、勤務シフト表が目の前に現れた。
「そうだね。僕が何日か代わってあげてもいいし、他の人と交渉して変えてもらうこともできる。僕からマネージャーに打診してみるよ。君はまだ入ったばかりで、シフト変更の提案はしにくいだろうからね」
「ข
思わずタイ語でお礼を言うと、彼はへたくそなウインクをしてみせた。
「タイ語が話せる仲間に会えるとは思わなかったからね。ちょっとしたお礼だよ。代わりに、こうしてシフトが被る日にはミノリの話を聞かせてほしいな。君はかなり変わった感覚の持ち主なようだから、話していたらきっと飽きない」
「もちろん。退屈な監視業務の間に話し相手ができたら、わたしも嬉しい」
「同感だ」
わたしとソムチャイは顔を見合わせて笑いあう。さっそく、話しやすい同僚が現れたことに感謝だ。オウルに近づく足掛かりも作れた。これからの「本業」もいいほうに進展してくれそうな予感がした。
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