第21話 ハーブバスソルト

 銭湯。

 カゾの村の大衆浴場は、古き良きノスタルジーを感じさせた。


 おじさんは賢くないので、一応異世界にシャワーやジャグジーバスがあるなんておかしいと気付けない。

 蛇口をひねって、お湯を出しただけだが? 日本の若人転生者がチートでどうたらー。


 ド田舎に立派な温泉施設があるのはなぜ? 地熱? 上下水道管理、どうなってるん?

 そんな指摘ができるほど、文化レベルを理解していない。便利だし、良いじゃん。


 シェアハウスにもバスルームはあった。

 ただ今、変人たちの怪しげな物置として絶賛活躍中。悲しいね。


「番頭、すまないな。営業後に貸し切りの時間を設けてもらって」

「いえいえ、カミツレさんにはいつもお世話になってますからー。お菓子まで頂いちゃって」

「袖の下ですわぁ~。山吹色のおハーブがチラつきましてよぉ~」

「そんな草を渡して喜ぶのは、お前くらいだからな」


 そんな会話がありまして。

 おじさんたちは、営業後の銭湯を貸してもらう運びとなった。

 お金の力って、すごーい! 他の客に迷惑かけず、好きなだけ騒げるね。

 女湯と書かれたのれんの前、おじさんは立ち止まる。


「じゃあ、これ。後で感想教えて」

「もし、タクミ様? 共に参りますのに、入浴剤を預けるとは如何ほどでして?」


 ローレルさんが首を傾げ、おじさんも首を傾げた。


「いやいや、流石に女湯は行けないでしょ。おじさん、おじさんだし」

「はて、貸し切りですわよ? 他の方に迷惑はかからないでしょう」

「そうだけど、いろいろと問題が……」


 困惑おじさん、カミツレさんに訴えかける視線を飛ばす。


「エンドー氏は、私たちの入浴を覗くようなふらちを行わないそうだ。極めてまともな対応に、感心させられるぞ。ローレル、真の仲間と嘯くなら見習うがいい」

「覗きがふらち、分かりますとも。つまり、混浴を所望したのですね」

「違うよっ」


 ローレルさんがうんうんと頷いた。


「わたくし、タクミ様のために一肌脱ぎましてよ! これもひとえに、世のため、おハーブのため!」

「風呂に入るためだけに脱いでね」

「風呂に入る時くらい、頭からハーブを消してくれ」


 ハーブバスソルト、コンセプトを否定される。

 ポニテ美人は、億劫そうに肩を落として。


「私とローレルが入浴剤を使って、被験者となるわけだ。エンドー氏は待機、もしくは男湯でその効能を確かめればいい。すこぶる簡単な話だ」

「ノンッ、おハーブマイスターとは一蓮托生ですの。それでは、真の仲間外れでしてよっ」

「などと、のたまう奴の扱いに困っているのだな。とてもよく分かるよ」


 どこか遠くを眺めた、カミツレさん。在りし日の過去かもしれない。


「……気は進まんが、あなたの立ち会いを許可しよう」

「いや、それは」

「むろん、裸を晒すわけにはいかぬ。タオルを巻いて入浴するゆえ、節度を保ってくれ」

「御意」


 ローレルさんを説得するのが面倒、もとい妥協へ舵を切ったカミツレさん。


「混浴で問題ありませんのよ? 全然、問題ないですのよ?」

「おじさん、恥ずかしい。見学コースでお願いします」

「わたくしたちの間に隠し事はなしですわ。裸のおハーブこそ、理想の関係性でしてよ」

「お前は、己の欲望を秘め事にしてくれ」


 話はまとまった。まとまった?

 一旦、おじさんは2人と別れた。

 脱衣所でタオル姿に着替えてもらい、美人たちの後を追いかける。

 一応、濡れてもいいように薄着に着替えた。


 女の湯ののれんをくぐった時、ドキドキしたのは内緒。視線の端に、ローレルさんたちの下着がチラリズムしたのは内緒。白のフリルと黒のレースだったのは、内緒。

世の中、隠し事ばかりだなあ。


「よし、行くぞっ」


 一息ついた、おじさん。覚悟を決める。

 浴室に踏み込めば、温泉特有のかぽんと音が鳴った。

 エッチなシーンじゃないので、謎の湯気が視界を遮ったりしないね。


「タクミ様、準備はよろしくて?」

「……っ!」


 ローレルさんから、思わず目が離せなかった。

 タオルを巻いた細い身体から伸びた、しなやかな手足が眩しい。さこつのラインが綺麗やら、胸元のボリュームが大盛りやら、女性らしい特徴におじさん参っちゃった。


「エンドー氏、かけ湯は済ませたぞ。よろしく頼む」


 カミツレさんもまた、タオル越しにスタイルの良さを披露した。

 ローレルさんより上背があり、特盛りお姉さんである。


「う、うい」

「なぜ、頑なに目を合わせようとしない? 何か、具合が悪いのか?」

「いや、全然っ。あらためて2人が美人だなあと。驚いちゃったもんで」


 カミツレさんに詰め寄られて、挙動不審なおじさん。


「フッ、お世辞は要らないよ。ローレルはともかく、私は騎士学校で鍛錬の日々ばかりだった。全くもって、女らしさなど学んでこなかったさ。可愛げとは、程遠い身だ」

「カミツレさんは、女性たちにかっこいいと人気がありますの。昔から可愛いですわ」

「かこかわ……ってこと?」


 ローレルさんに抱き着かれるや、カミツレさんがポニテを揺らして。


「よせっ、もうよせ! 私を褒めそやすなッ。むず痒いぞ」


 困惑と不満が混ざったような顔で抗議した。


「もう知らん。私は風呂に入るぞ。勝手に始めてくれ」


 ぷぅと頬を膨らませ、カミツレさんは一人で温泉に浸かってしまう。


「わたくしの幼馴染の可愛らしさ、伝わりまして?」

「そういうところだぞ案件」

「では、ご機嫌取りに励みましてよ」


 ローレルさんが幼馴染の元へ向かった。肩まで浸かるんじゃよ。


「うむ、やはり大きな風呂は良いものだ。気持ちが開放的になるな」

「わたくしもバスタイムは好きですわ。風呂上がりのおハーブティーは、喉が潤いましてよ!」

「それはただのハーブ好きだ」


 美人の入浴姿を眺めた、おじさん。覗きじゃないよ、ガン見だね。

 満ち足りた感覚を抱き、くるりと踵を返した。解脱かなあ。


「タクミ様、どちらへ?」

「ふぅ……いけない。あまりの眼福に仕事を忘れちゃったよ」


 さらに、クイックターン。

 おじさんは浴槽に手を置き、例のブツを取り出した。


「ハーブバスソルト、入れまーす」


 容器が空になるまで、試作品の入浴剤を温泉へ流し落としていく。

 自然な香りが広がる。茶色の液体が水面を叩き、ハーブ成分の波紋が生じた。

 しかし、温泉の色が濁ったのは一瞬で乳白色に変化がない。


 効果を早く出したく、お湯に手を突っ込んでぐるぐるかき混ぜていく。

 うーん、特に意味がなさそう。温泉の水量に対して、ハーブバスソルトが少ないかも。


 家の風呂で使う入浴剤をイメージしており、業務用は想定外である。

 これは出直しだな。失敗おハーブと、ローレルさんに報告おハーブしよう。

 おハーブ感染に気付かぬまま、おじさんは2人に経過を尋ねようとした。

 頭の先でちゃぽんと音が響く。


「あ、あぁ~……」


 うっとりとした様子のおハーブ大好きお嬢様。口が開いたまま、呆けている。

心なしか、様子がおかしい。いつもおかしいかもしれない。


「ローレルさん?」

「おハーブ……気持ちいいですわぁ~」

「――っ!?」


 ナチュラルに、ヤバい発言だった。それだけは、いろいろアウトでしょ!


「わたくし……おハーブに包まれて幸せでしてよぉ~」


 ローレルさんが恍惚の笑みを携え、おじさんへ流し目を送った。


「完全に、おハーブ酔いしてるっ。カミツレさん、一旦おハーブ狂を回収して!」


 こういう時、頼りになる多分常識人にフォローを頼んだところ。


「クッ、いくら身体をハーブ浸けにしようとも! 私の心まで、ハーブに染まると思うなッ」


 流石、ナイトの称号を持つ騎士殿。

 クッコロの精神で、ハーブバスソルトと戦っていた。絶対負けないね。


「まさか、本当にヤバい成分入ってた!?」

「いや、違う! 心地良いぞ。心地良くてむしろ、堕落寸前だッ」

「あ、そっすか」

「はぁぁあああんんっっ」


 おじさんが肩を落とすと、カミツレさんが嬌声を上げてしまう。

 美人が頬を紅潮させ、とても艶っぽいと思いました。おじさんには刺激が強い。


「さっき鑑定したはず。効能は、リラックス、血行促進、リンパ改善、心身の疲れ、冷え性、肩こりなど。よく入浴剤に書かれた文言だけど?」

「ハーブバスソルト……それは危険な代物だ……原液をもっと、希釈せねばなるまい……」

「ハーブティーと一緒だ。販売するなら、もっと薄めるよ」


 貴重なサンプルデータだ。お嬢様はともかく、カミツレさんも篭絡寸前なんて恐ろしい。


「クッ、ハーブに意識を持っていかれる……っ! エンドー氏、任せるぞッ」


 カミツレさんの懇願に、おじさんは咄嗟に身体が動いた。

 ハーブバスソルトの温泉へ飛び込み、美人を救い出さんと手を掴めば。


「タクミ様! やはり、混浴を希望しまして? 素直でよろしいですわっ」


 おハーブの人に抱き着かれた。背中にむにゅっと、弾力性を押し付けられる。


「ひゃんっ」


 おじさんの悲鳴です。

 大盛りの胸に押し出され、あまつさえ特盛りの胸まで飛び跳ねてしまう。

 クッ、おっぱいに意識を持っていかれる……っ! カミツレさん、任せたぞっ。


「――っ!?」


 カミツレさんの言葉にならない悲鳴と共に、ゆっくりと全員がお湯に飲み込まれた。

 ハーブの底なし沼へ、沈んでいく――

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