第9話 ハーブソルト
おハーブマイスターの朝は早い。
否、おじさんは自分をおハーブマイスターと思っていないのだが。
認めてない肩書をぶら下げつつ、おじさんはいつものルーティーンをこなしていく。
店内に並べたプランターと鉢植えを、日光が当たり風通しの良い場所へ移した。土が乾いているか触って、ウォータースペースまで水をたっぷり与える。
「大きくなれよ。強くなれ。お前らの世話、おじさん頑張ってるんだぞ」
植物に話しかけて意味があるかと問われれば、知らん。
エセ科学ホメオパシーの力で、どうたらこうたら~。
「タクミ様……」
「ふぁっ!?」
振り返れば、ローレルさんが目を細めていた。
まさか、挙動不審なおじさんが遠慮がちに気持ち悪かった……
「す、すすす素晴らしいですわ! 溢れんばかりのおハーブ愛! 情熱を注いだからこそ、あのようなおハーブティーが完成するのですわっ」
興奮冷めやらぬお嬢様は、満面の笑みで。
「おハーブを愛し、おハーブに愛されし者! それが、おハーブマイスターの極意っ」
「……こういう全肯定は、おじさんが求めるものじゃない」
異世界転生あるあるを味わったのに、ちっとも嬉しくない。ほんと、上手くいかないぜ。
閑話休題。
ローレルさんが、モーニングハーブティーをしばいた頃合い。
「わたくし、おハーブを嗜む者として栽培を経験したかったですわ」
「え、やりなよ。種はまだ残ってるし」
「いいえ、それはなりません。叶わぬ願いでしてよ」
「なぜに」
おじさんが首を傾げるや、よよよと泣いたローレルさん。
「わたくしがどれだけ丹念に育てようとも、おハーブは応えてくれません。資格なき者の対話は一方通行にすぎない。諸行無常ですわね」
「どう考えても、おじさんより美人に育ててほしいでしょ」
お嬢様の趣味の園芸なら、映える。この世界、SNSないと思うけど。
「エクストラ級のおハーブティーへ昇華できない以上、おハーブへの冒涜でしょう」
「何度も言うけど、おじさんは素人なんだけど。水やりだけでも、どう?」
ローレルさんは、余計な手を加えてはならないと固辞した。
「スキルとは、才能の証。<栽培><薬草強化><家庭菜園>。この3つを所持する以上、植物はタクミ様の言葉に耳を傾けますわ。いずれ、あなたはおハーブたちの声が聞こえましてよ」
「幻聴やめて! 聞こえん、絶対に聞こえんぞ!」
おじさんは、必死に耳を塞いだ。
おハーブ濫用、ダメ絶対。
朝の作業を済ませ、朝食の準備を始める。
料理は苦手だ。まず、面倒。そして、面倒。
美味しいものを食べたいが、仕込みや片付けを考えると妥協しちゃう。
「ローレルさん、料理の腕は?」
「ヘタクソですわ! 焼く以外の行程は、諦めてくださいましっ」
「おじさんも。あぁ、レンチンしたい。どっかの転生者が、異世界でも<家電>スキルで悠々自適ライフッ!? やってないかなー」
探せばいる気がする。探す手段がないけれど。
「レンチンとは?」
「ボタン一つで温かい料理を出してくれる魔法のアイテムさ」
「文明開化ですわね。一家に一台揃えるべきですの」
ローレルさんが目を輝かせる中、おじさんは鍋にパスタを突っ込んでいく。
テキトーに茹で上げ、その隣でベーコンと卵を焼く。ジュージューと油が跳ねた音を合図に、香ばしい匂いが広がった。卵が半熟になったところで、オンザパスタ。
「ベーコンエッグパスタぁ~、完成」
ハーブで散らかったテーブルに、皿を2つ並べた。
「こ、これはまさしく、ちゃちゃっとパスタですわっ」
「手抜きに手は抜かなかった。ローレルさん、庶民の味大丈夫?」
「わたくし、トウキョウ生まれシロガネ育ちですが、別に貴族ではありませんのよ」
「シロガネーゼ!? おセレブですわっ」
これって死語かしら?
「真の仲間内で、出自の引き合いは禁止ですわ。わたくしがおセレブなら、タクミ様はより繁栄した世界の来客ですもの」
「そうする」
現実世界の埼玉県民であった、おじさん。しかも、田舎の方。
文明マウント取れるほど、最先端の技術に触れていないと思いました。
ローレルさんが優雅に、パスタをフォークにくるくる巻き付けたタイミング。
「あ、最後の仕上げを忘れてた」
おじさんは、徐に立ち上がった。
カウンターに置いた収納箱へ手を突っ込み、小さなビンを取り出した。
「これ、ローレルさんが好きかなって」
「調味料ですわね」
お嬢様はまじまじとビンを見つめ、ハッとする。
「――っ! おハーブの気配を感じますわ」
「ハーブソルト。乾燥させたオリーブ、バジル、タイムを砕いて、塩と混ぜてみた」
「おハーブをパスタへふりかける!? その発想、やはり天才でしたのね」
ローレルさんが神妙な面持ちで、ごくりと喉を鳴らした。
おじさんは、先方が空腹で頭が回らなかったと信じるばかり。
恐る恐る慎重かつ大胆に、ハーブソルトをふりかけたローレルさん。
出来立てのパスタに綺麗な彩りを添えていく。
「う~ん、爽やかな香りが鼻孔をくすぐりましてよっ」
「味の感想をどうぞ」
オジサンに促され、ローレルさんは改めてフォークを手に取った。
いざ、実食。テイスティングタイム。
はたして、どんなお上品な一言を嘯いてくれるのか――
「うめぇですわ!」
一口目。
「うめぇえですわ!」
二口目。
「うめぇぇえええですわ!」
三口目。
「……あ、その、ローレルさんが満足してくれて良かったなあ」
おじさんは、爆食お嬢様に呆気に取られていた。
「……ハッ! タクミ様、違いますの。わたくしは本来、小食ですの。朝食は、おにぎり1つで胃もたれしますわ。大食らいだと、勘違いしないでくださいましっ」
ローレルさんが、すまし顔で言い訳する。
「そういえば、タイムには食欲促進効果があるっぽい。多分、その影響だよ」
「やはり、おハーブ! おハーブは食の悩みも改善しますのね」
いや、一口目で効能が発揮されるのはおかしいでしょ。
おじさん、ハーブに対する今更のツッコミ。もはや、手遅れ。
瞬く間に、ローレルさんの皿が空になった。
おじさんもパスタを食そうと、手を動かしたのだが。
「……」
じろじろと、正面から視線が浴びせられる。
「こっちも食べる?」
「いえ、わたくしはもう満足しました。人の分をねだるほど、欲深くありませんわ」
「ハーブソルト、別のミックス味も作ったけど?」
そして、新たなビンを取り出した。
「……おかわりを、所望しますわ」
スッと、真っ白な皿を差し出される。
ローレルさんの頬が赤く染まっていた。
「パスタ少なめ、追いおハーブ一丁」
「追いおハーブっ!? 甘美な響きですの」
背後から、歓喜な響きが聞こえましたの。
「タクミ様、勘違いしないでくださいましっ。わたくしは自身を実験台に、おハーブの効能を実証する義務がありますの。おハーブを摂取するのは尊い意義がためですわ!」
ローレルさんの言い訳を右から左に聞き流し、おじさんはパスタを再び茹でていく。
どうやら、おじさんの朝食はブランチタイムへしゃれ込みそうだ。
おハーブ大好きお嬢様がハーブソルトに合う食材研究を始めるまで、あと3分――
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます