加入試験

三鹿ショート

加入試験

 強者が目にしている光景を共に眺めることで、私もまた、強者と化すのだろうか。

 自身が弱者であるということを理解しているからこそ、そのような願望めいた思考を抱くのだろう。

 己がいかに非力であるのかを認識したのは、学校に入ってすぐのことだった。

 同じ年齢の子どもたちが何の苦労もなく行っていることが、私には何一つ出来なかったのである。

 走れば全員の背中を見つめることになり、学力の程度を明らかにする試験では一桁の点数は当然であり、周囲の人間との会話が弾むことはない。

 努力をすることで改善されるのかと期待したが、良い結果が私を迎えてくれることはなかった。

 ゆえに、私は向上心を捨てることにした。

 無駄なことに時間をかけている暇があるのならば、好きなことをやっていた方が、豊かな人生となるに違いない。

 そのような生活を続けていた当然の帰結として、学生という身分を失って以降、私には余裕というものが無くなっていた。

 子どもですら可能なほどの簡単な仕事に就くことしかできず、その職場でも毎日のように怒鳴られ、賃金も最低限の額しか得られなかった。

 これが幸福かといえば、幸福ではない。

 だが、私の人生において、逆転が起きる可能性など、無に等しい。

 来世に期待しようにも、自らの手で人生を終えることは出来ず、結局のところ、私はただ生きるために生きているだけだった。


***


 人生の転換点ともいえる事態に遭遇したのは、とある深夜のことだった。

 周囲を威嚇するような外見の人々が一人の人間を囲み、しばらく殴る、蹴るの暴行を加えた後、財布を巻き上げていたのである。

 動かなくなったその人間を放置し、人々は笑顔でその場を後にした。

 おそらく大多数の人間たちは、眼前の行為に嫌悪感を抱くだろう。

 しかし、苦労することなく金銭を得ることができ、同時に頼もしい仲間が存在しているというその事実に、私はどうしようもなく魅力を感じてしまったのだ。

 そこで私は、確信めいたものを覚えた。

 今ここで動かなければ、私の人生は路傍の石のようにつまらぬもので終焉を迎えるに違いない。

 震える脚を動かし、私は肩を怒らせて歩く人々に近付いて行った。


***


 自尊心をかなぐり捨て、土下座を実行して必死に頼み込んだ結果、私は彼らの仲間に加わるための試験を受けさせてもらうことになった。

 仲間に加わるために、何故そのような試験が必要なのか。

 間抜けにも素直に疑問をぶつけると、彼らの中で一際体格の良い男性が、眉間に皺を寄せながらも答えてくれた。

 彼らは、平然と犯罪行為に手を染める。

 試験を行う意味は、常人が越えることを躊躇う一線を越えられるかどうかを見極めるためだということだった。

 つまり、その試験とは、私も彼らと同じように悪事を働かなければならないということだろうか。

 緊張しながら彼らの後を追っていくと、やがて歓楽街の一角に存在する背の高い建物に辿り着いた。

 入り口に立っていた人間が、私の前を歩いている一際体格の良い男性に頭を下げていたところを見ると、どうやら彼がこの集団の顔役らしかった。

 地下へと続いている階段を進んでいき、姿を見せた扉を開くと、顔役は私に中へと入るよう告げてきた。

 命令に従い、彼らよりも先に中に入ったところで、私は己の目を疑った。

 部屋の中央に置かれた椅子には、一人の女性が座っている。

 いや、それは座るという能動的なものではなく、座らされているといった方が正しいだろう。

 彼女の脚は椅子の脚に固定され、背中に回した両手の手首は縛られていた。

 下着姿であるために、身体の痣や傷がどれほど存在しているのかが明らかだった。

 俯いているために表情は不明だが、おそらく顔面も無残な状態なのだろう。

 あまりにも凄惨な様子を目にしたことで思わず動きを止めていた私に、顔役は告げた。

「彼女が逃亡しないように見張ることが、試験内容だ。我々の行為に怯えて逃げたり、彼女に同情して逃亡の幇助をしたりすれば、もちろん落第だ。だが、それだけではない。彼女と同じ目に遭うと言っておこう」

 そのような言葉を発している顔役の表情は、恐ろしいほどに無だった。

 彼女が何故これほどまでの暴力を振るわれたのか、理由は不明である。

 だが、私が足を踏み入れようとしている世界がどのようなものであるのかは、理解することができた。

 これまで暴力とは無縁の人生を送ってきたが、果たして私も彼らと同じように他者を傷つけることが出来るのだろうか。

 いや、可能か不可能かの話ではない。

 人生を変えるためには、実行しなければならないのだ。

 深呼吸を何度か繰り返した後、私は顔役に首肯を返した。

 私の反応を見て頷くと、顔役は周囲の仲間たちに向かって、順番に視線を動かしていった。

 それが何かの合図だったのだろう、顔役と仲間たちは、ほぼ同時に衣服を脱ぎ始めた。

 筋骨隆々の肉体を露わにすると、彼らはゆっくりと彼女に近付いて行く。

 これから何が始まるのか、私には想像がついた。

 私が彼らの行為に加わることはなかったが、目をそらすことが出来なかった。

 白状すれば、私は彼女に同情している一方で、確かに興奮を覚えていた。

 この感覚は、おそらく彼らの仲間に加わるために必要なものなのだろう。

 私は、もはや戻ることが不可能な道を進んでいたのだ。


***


 彼女の見張りに対して、退屈を覚えることはなかった。

 それは、彼女が常に私を除く仲間たちによって、陵辱されていたためである。

 顔役いわく、彼女は自身の肉体を使って多くの人間から金銭を巻き上げていたが、その利益の一部を懐に入れていたらしい。

 顔役がそのことに気が付いた頃には、彼女は逃亡するために充分な資金を得ていたが、なんとか捕らえることに成功したようだ。

 そして、この地下室に閉じ込め、仲間たちを裏切った罰を与えるということになった。

 つまり、彼女が肉体も精神も傷つけられているのは、自業自得らしい。

 中には、私を行為に誘う人間も存在していたが、正式な仲間として認められていないことを理由に、丁重に断った。

 しかし、それは表向きの理由だった。

 彼らの仲間になるということは、彼らと同じような行為に手を染めるということになる。

 見ず知らずの人間たちの恨みを買い、死後は地獄へと向かうことは間違いない。

 それに対して、数日前までの私ならば抱いていたであろう抵抗感は、姿を消していた。

 それは、陵辱される彼女に見慣れてしまったことが起因しているのだろう。

 それでも、私が彼女に手を出すことだけは、憚られた。

 彼女が、かつて通っていた学校の同級生であることに気付いたからだ。


***


 彼女とは、放課後の教室で一度だけ会話を交わしたことがある。

 彼女は学業成績も良く、常に笑顔で愛想を振りまき、同級生のみならず教師の人望も集めるような、私とは正反対の人間だった。

 そのような彼女が涙を流している姿を見れば、心配するのは当然だろう。

 思わず声をかけた私に対して、彼女は驚いた表情を見せるが、すぐに口元を緩めると、泣いていた理由を明かした。

 彼女は、疲れていたのである。

 彼女は周囲が望むような人間を演じることに、嫌気が差していたのだ。

 何故、彼女が私のような人間に正直に話してくれたのか、今でも不明だった。

 親しい人間が皆無であり、他者との交流も無い私が吹聴することなどありえないと考えていたのだろうか。

 だが、当時の私は、彼女に特別視されているかのような優越感を覚えた。

 ゆえに、生意気にも、私は彼女に助言を送った。

「見えないところで好きなことをやれば、沈んだ気持ちも幾分か良くなるのではないだろうか。きみの人生はきみだけのものである。きみが生きたいように生きたところで、誰にも文句を言う権利は無い」

 思いのほか真面な答えが返ってきたことに対して彼女は目を丸くしていたが、やがて破顔した。

 感謝の言葉を口にすると、彼女はその場を後にした。

 それから、私が彼女と会話をすることは無かった。

 あの放課後の出来事は夢だったのではないかと、考えるときがある。


***


 彼女の見張りを開始して数日が経過した後、顔役は私の肩に手を置きながら、

「この数日間、怖気付かずによく過ごせたものだ。試験は合格としよう。これできみも、我々の仲間である」

 この結果を受けてどのような反応をしていいものか悩んだが、顔役に感謝の言葉を告げるだけに留めた。

 私が彼女に目を向けていることに気が付いたのか、顔役もまた彼女に視線を向けながら、

「きみもまた、彼女に対して思いのままに振る舞って構わない。これまで一度も手を出さずにいたのだ、思うところがあるだろう」

 顔役は僅かに口元を緩めると、他の仲間たちに合図し、地下室から姿を消した。

 二人きりになったところで、私は彼女に近付いて行く。

 彼女は放心状態ともいえる様子で、私に意識を向けることなく、虚空を見つめている。

 そんな彼女に対して、私がするべきことは、一つだけだ。

 彼女の拘束を解くと、自身の肩を貸し、出口へと向かって歩き始める。

 そのようなことをされるなど想像もしていなかったのか、彼女は正気を取り戻すと、私に問うてきた。

「何をするつもりなのですか。いくらあなたが新たに仲間として認められたとはいえ、私を逃がせば、徒では済まないのですよ」

 言葉から察するに、彼女は私が同級生だということに気が付いていないのだろう。

 当時の私の存在感を考えれば、無理からぬ話である。

 だが、私という人間を既知かどうかなど、今は重要ではない。

「私が責任を持って、きみのことを私の自宅で見張るだけのことだ。やることに変わりは無い。ゆえに、文句は無いだろう」

 地下室を抜け出すことに顔役は良い顔をしないだろうが、場所が変わったとしても彼女を見張ることに変わりはない。

 これは、私と彼女の身を安全に保つことができる唯一の方法である。

 やはり私は、彼女を見過ごすことができなかった。

 悪事に手を染めることに抵抗を覚えないようにする覚悟はしたつもりだが、私の人生において数少ない見知った相手を危険地帯に放置することは、どうしても受け入れることができなかったのだ。

 甘いと言われればそれまでだが、仲間たちも肉親が相手ならば、手心を加えるだろう。

 私にとって、彼女がそのような存在なのである。

 仲間たちに発見された場合の言い訳を考えながら歩を進めていると、彼女が口を開いた。

「実に惜しかったですね」

 その言葉の意味が分からず、彼女に視線を向ける。

 彼女の表情は、顔役と同じように、無そのものだった。

 驚いて動きを止めている私を、彼女は突き飛ばした。

 一体どこにそれほどの力が残っていたのか分からないほどに、彼女の力は強かった。

 尻餅をついている私を見下ろしながら彼女が指を鳴らすと同時に、閉まっていた扉から次々と仲間たちが姿を見せ始めた。

 状況が理解できず、座り込んだままの私を、仲間たちが囲んでいく。

 彼女は顔役から上着を受け取り、それを羽織ると、呆れたように息を吐いた。

「我々が必要としているのは、子どもが気に入っている玩具を取り上げ、眼前でそれを破壊することができるような人間です。容赦や優しさなど、不要なのです」

 そこで、私はようやく理解した。

 顔役がこの集団を支配しているのではなく、彼女こそが、首領だったのだ。

 つまり、彼女は己の身を犠牲にしてまで、忠誠心を持つ人間を集めようとしているということなのだろうか。

 私の表情からその思考を読み取ったのか、彼女は自身の肉体を見下ろしながら、

「別段、私はこの行為に抵抗を覚えていません。そもそも、私が好き勝手に振る舞うための仲間を集める方法が、自らの肉体を差し出すことでしたから」

 そこには、かつての同級生の姿は無かった。

 しかし、彼女をこのような姿にした原因は、私ではないか。

 彼女は私の助言に従った結果、最悪の集団を作るに至ったのではないか。

 言葉を失った私を余所に、彼女は仲間たちに目で合図を送る。

 仲間たちは彼女に首肯を返すと、私に近付き始めた。

 私がどのような目に遭うのかなど、想像するまでもなく分かっている。

 退屈な日常と苦痛のみが襲いかかる日常のどちらが私にとって良いものなのか。

 いずれにしろ、私が虐げられる立場であることには変わりない。

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