第7話「冬美③」


 報道の直後、いまにも倒れそうな冬美を母に預け、夏彦は学校に連絡した。事実を確認するためだ。

 テレビの報道とはいえ、上総とはひと月前まで普通に会話していたのだ。などと言われて、夏彦も冬美も納得できるわけがない。

 担任に繋いでもらい、なにかの間違いかもしれない、不自然だと訴えたら、一緒に警察に行ってくれることになった。


 学校が事前に連絡してくれていたらしい。

 警察署に着くなり、担任と夏彦、冬美の三人は上総の元へと案内された。

「ご両親は…」

「鑑定前に一度…身分証の確認だけされてすぐに帰ってしまわれましたが。なので、せめて許可を取ろうと連絡したところ…勝手にしろと、一言だけ」

「……そうですか」

 刑事と教師の短い会話が終わる。気まずい空気が狭い廊下に充満した。

「状態が状態ですので、写真で一部お見せする程度しかできませんが」

 どうぞ、と。開かれた無機質な扉の先は簡素な応接室だ。三人は部屋に入り、並んでソファに座る。

 刑事は独り言のような説明と共に、写真と遺留品をテーブルに並べた。

 写真は1枚だけで、パーカーとコートの袖の先から骨が見えている。一部だけなのは、女子中学生にショックを与えないための配慮だろう。

 遺留品には学生証と財布。どちらも風化してボロボロになっていた。

「本当に上総なんですか?」

 掠れた声で夏彦がたずねる。

「間違いありません。歯の治療痕が一致しました」

「でも…つい、最近まで生きていたんです。こんな…白骨化だなんて…」

「そうですね。それについてはただいま調査中でして…」

「調査、してくれるんですか…?」

「事件性がないか…その辺りはきちんと調べますよ」

 前のめりな冬美を宥めるように、壮年の刑事は優しく微笑んだ。

「優しいお友達だ」

 そんなんじゃない。言いかけて、冬美は口を噤む。俯いた彼女の背中に夏彦はそっと手を置いた。

 その後短い聴取を経て、面会は終了する。

「ありがとうございました」

「後のことはお任せください」

 三人で頭を下げて建物を出た。幸い雪は降っていなかったが、寒さが身にしみる。

 顔の青い冬美を慰めながら、担任が車で家の近くまで送ってくれた。礼を言って別れた途端、冬美がマフラーを引っ張った。

「絶対おかしいよ…」

「ああ」

「…だって」

「分かってるよ…」

 たった数ヶ月であの姿になるだろうか?例え野生の動物に襲われていたとしても不自然な気がする。所持品の劣化も酷かったし…納得するどころか謎が増えて困惑するばかりだ。

 刑事に聞かれたのも、上総の失踪前の様子くらいでとても事件を疑っているようには見えない。

 本気で調査してくれそうなら、神隠しの話をしてみようと考えていただけに、夏彦はアテが外れて一人歯噛みした。



 *



 神社の鳥居の上から街を眺める。

 そこは不思議と下から見付からず、ついでに見晴らしも良かった。

 住んでいた街とも、通っていた学校のある街とも少し違う、古い建物が連なる景色は、幼い狐の記憶を呼び起こす。

 彼にはもともと名前なんてない。狐なんだから、そんな習慣があるわけがない。

 だけど一つだけ、他の狐と違って特別だったのは、九尾の妖怪の原型として生まれたこと。

「もうニンゲンには化けないのか?」

 不意に現れた気配が問いかける。狐は…は、隣に座る上司であり育ての親であり、目標となる九尾を見上げて返答した。

「あの姿を知ってるヒトに目撃されたらまずいだろ?だから暫くは狐のままでいるよ」

 ニンゲンの老人姿の九尾は短く同意して、上総の頭を優しく撫でる。

「なあに、ヒトの寿命なんて一瞬だ」

「うん」

「だが、恨みは代々受け継がれることもある」

 語尾が空に溶けた。沈黙を風が抜けていく。

「お前の判断は懸命だよ」

 淋しげに呟いた九尾の姿が消えた。次の場所に見廻りに行ったのだろう。

 上総は一人、移り行く雲を睨みつけた。


 怨み。

 あれはよくない。連鎖するから。

 一度はじまると断ち切るのは難しい。

 現に、仲間の妖怪達も渦中で藻掻いている。報復合戦がまだ続いているんだ。

 拐ってきた人間の仲間が、未だに犯人を探している。それはそうだ。

 はじめに妖怪を祓った男はそれを武勇伝のように吹聴したという。

 …祓ったというのは実に優しい表現で、実際は集団で暴行を加えて死なせてしまっただけのようだった。仲間が怒るのも無理はない。

 妖怪は、霊力が高ければ高いほどニンゲンから認識され辛くなるものだが、霊力の少ない者はニンゲンと共存していく他ない。迫害されぬよう、ニンゲンの振りをして生活している。

 正体がバレてしまえば酷い目にあう…だから絶対にヘマをしてはいけない。なにかあれば逃げられるよう、各神社にこっそり結界がはられている。こういう対処をするのが九尾のような力の強い妖怪だ。

 今のところ、神社の機能が正常に働いていて被害はでていない。しかしいつまた、仲間が襲われるか。


 ピリピリした空気を肌で感じながら、落ちる夕陽を見届けた上総は、鳥居を降りて森に入る。

 明日から、別の修行で北の方に行かなければならない。だから今日が最後の見廻りだ。

 街の景色は目に焼き付けた。あとは、土地のを忘れないように森を巡っておかないと。


 30分程散策した頃。

 人里から少し離れた場所で人影を見つける。

 襲撃だろうか?でも、気配は一つしかない。上総は慎重に近寄って、様子を窺った。木陰から覗いた、その横顔が酷く懐かしい。

「なつ…ひこ…」

 なぜ、こんなところに?もしかしてまだ探してくれているのか…?もう随分経つのに。どうして。上総は考える。

(……いや、そうだよな。僕が同じ立場でも、探すかもしれない)

 夏彦は、いいやつだから。

 だからなんとか。今、この状況でこんなところにいたら危ない。仲間が勘違いしたら酷いことになる。

 上総が迷わず姿を表すと、夏彦は一瞬驚いてすぐに肩の力を抜いた。

「お前も迷子になったのか?」

 暗闇に黒髪がよく馴染む。狐語で返事をするか迷っていると、独り言が返ってきた。

「参ったな…こんなに暗くなるなんて知らなかった…」

 逃げるわけでも威嚇するわけでもない狐を前に、夏彦は更に続ける。

「お前、知らないか。こんな格好した人間。ちょっと前にここに来てるはずなんだが」

 知っている。だけど言えるわけがない。自分が…この狐こそが、上総だったなどと。

「なんて、分からないよな。人間の言葉なんて」

 空元気に笑った夏彦の声は酷く落ち着き払っていた。真実を知ったら、彼はどう思うのだろう。上総は後ろめたい気持ちを押し込めて、夏彦の足に纏わりつく。

「ん?どうした。俺、食べ物はもってないんだ」

 上総は困ったように笑う夏彦を見上げ、踵を返し、立ち止まって振り返った。夏彦は瞬いて問いかける。

「……そっち、なんかあるのか?」

 上総が振り返りながら道を先導すると、夏彦は素直に後を追う。上総にとっては勝手知ったる他人の山。すぐに神社の鳥居が見えた。

「帰り道……か」

 夏彦は闇に浮かぶ朱を見上げてぽつりと呟く。

「上総がいるのかと思った」

 少し残念そうに。

「いや、勝手に期待しただけだ。ありがとうな。これで家に帰れるよ」

 少し離れた場所に座る狐に、夏彦は笑って言った。

「今度、お礼しにくる。神社に供えとくからさ。勝手に持っていってくれ」

 階段を降りながら手を翻す、振り向きざまに見えた夏彦の横顔を見て、上総は思う。そんなに悲しそうにするなよ…と。

 その背中が見えなくなるまで見送って、ついでに無事帰路についたことまで確認した。

 鳥居の上から見る街は、先と違って酷く真っ暗で不安になる。

(大丈夫。すぐに思い出せなくなるさ)

 闇に飲まれぬよう、強く祈った。

(辛いことも多いけど…それでも。そちらの世界は楽しいから)

 きっとそうであるようにと。

「元気でな、夏彦」


 いつかまた、様子を見に行くよ。

 だからそれまでどうか、冬美ちゃんと一緒に幸せでいてほしい。


 翌日の早朝、上総は北に向けて旅立った。

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