第5話「冬美①」
上総がいなくなった。
電話があった翌日、夏彦は上総と連絡を取ろうとして思い出す。言われてみれば、いつも連絡を受けるばかりで向こうの電話番号を知らないということに。
そもそも上総とは中学2年生からの付き合いで、まだ一年にも満たない。約束は基本学校で完結したので、電話をする必要もあまりなかった。
連絡網を探すも見つからず、夏彦は仕方なく月曜を待つことにする。今度はちゃんと番号を聞いておこうと手帳に書き記して。
しかし月曜日、上総が登校してくることはなかった。
先生に聞いてもなにもわからず、家も学校から遠いとは聞いていたが詳しい場所までは知らない。風邪ならば見舞いに行きたいと申し出ても、まだ事情が分からないからと宥められてしまう。
困った夏彦は、不安のままに先日聞いた場所を訪ねることにした。もしかしたら神社の神主が上総を見ているかもしれない。
幸い、上総の夢の話はよく覚えている。鳥居が沢山並んだ、小さな神社。二駅隣の町にあるはずだと、上総は言っていた。
学校帰り、夕焼けに染まる電車を降りて周辺地図を探す。この辺りに神社は1つしかないようだ。そう遠くもない。しかし見事に山だらけ。すぐに暗くなってしまいそうだ。
夏彦は早足に目的地を目指す。歩いてみてわかったのは、山に囲まれていても民家は並んでいたし、なんの変哲もない普通の町だということ。
その小さな町の中程の小路、山へと続く赤い鳥居の列は確かにあった。
あっけなく見つかった事に拍子抜けしながらも、夏彦は階段を登る。辺りはもう薄暗い。社にまだ人はいるだろうか。
その淡い期待はすぐに砕かれる。
どう見ても人がいそうには思えない。手入れがされているかすら怪しい。あまり人は立ち入らないのだろうか?自然に飲まれた神社がそこにある。
上総の言葉通り、咲き誇る椿と池が妙に美しく思えた。
上総はここに辿り着いたのだろう。
夏彦はなんとなくそんな気がして周囲を見渡した。
途端に、闇が深くなる。
陽が沈みきったことで、光と同時に音も消え去った。
ああ、ヤバいな。
直感だろうか。わからない。
夏彦は浅く息を吐き、覚悟と共に踵を返した。
自分になにかあっては探すことも叶わない。まだ上総がここに来た証拠もない。とにかく状況を把握しなければ。
*
翌日からも上総は学校に来なかった。
担任が親と連絡を取っていると話していたが、どうにも要領を得ずに困っているようだ。
自分も心配だからと、説得して住所を教えてもらえたのは金曜日になってからだった。
担任はひたすらに夏彦を心配していた。大変なのは上総の方ではないのか?安否が気にならないのか?夏彦が問うと、それはそうなんだが…と、言葉を濁される。そうして担任は言った。
「様子がおかしければすぐに引き返してくるように。わかったな?」
謎の忠告に渋々頷いて、夏彦はその日の放課後に上総の家を訪ねることにする。
昇降口を出ると、誰かがマフラーを引っ張った。
「冬美…」
「上総先輩…今日も来てないの?」
日曜には既になにかを察していたであろう冬美に、流石に誤魔化しようがなく夏彦は狼狽える。
「先輩の家には…?行かないの…?」
「あー…」
「私も一緒に行く」
曖昧な返答を肯定としてしまう辺り、冬美も業を煮やしているらしい。せっつく彼女を夏彦は宥める。
「冬美…」
「お願い…兄さん…」
今にも泣き出しそうな顔で見上げられては断りようもない。夏彦自身、妹が上総を慕っていることにも気付いていたから尚更だ。
「……分かった。ただし、冷静にだ」
「うん」
「先生にも釘をさされているから、あまり深入りしたら駄目だぞ?」
「風邪とか病気なら様子を聞くだけでも…」
「…まあ、そうなんだがな」
家に居るならそれでいい。しかし担任からは安否すら聞けていないのが現状だ。冬美にその事実を告げるなら、今だろうか。
夏彦が決めかねているうちに、隣の駅、上総の家の前へとあっという間に到着してしまう。
特筆することもない一軒家を見上げ、冬美が小声で問いかけた。
「兄さん…来たことある?」
「いや、少し遠いからな。上総が嫌がった」
夏彦と冬美の家は学校のある駅から近い。だから遊ぶ時はいつもその近辺だった。
冬の陽は短い。暗くなってしまう前に、緊張混じりにインターホンを押す。
遠くで響く甲高い音。続けて足音が近付いてくる。
顔を出したのは母親のようだった。大きなイヤリングと、綺麗な茶髪が妙に輝いて見える。
「あの…自分は上総の友達で…」
「……友達?いたの…?」
夏彦の名乗りは遮られ、上総の母親は訝しげに二人を見据えた。その酷く淀んだ目は夏彦のスラックスを捉える。
「あら、あなた中学生?そう、じゃあもしかして…」
もしかして、なんだろう。無意識に身構えた二人に、彼女は独り言のように続ける。
「おかしいな、とは思っていたのよ。だってそうでしょう?ねえ…」
焦点が定まらない。どことなく不気味な上総の母親の笑みが、不意に嫌悪に歪んだ。
「ほんと、気味が悪くて…」
ため息が落ちる。夏彦は上総の安否を問おうとしたが、それより早く母親の口が開いた。
「折角苦労して……」
言葉尻は聞き取れない。思わず身を乗り出した二人に、また気味悪く彼女は笑う。
「だけどね、ふふ…」
硬直して、身を引く。そんな兄妹を交互に見据え、上総の母は暗い瞳で告げた。
「やっといなくなった」
満面の笑みを、これ程怖いと思ったことはない。叫びだしそうになる冬美の口を抑え、夏彦は無言で頭を下げた。
一目散に去っていく二人を見送らず、玄関は閉まる。その向こうで狂ったような高笑いが響いていた。
駅の手前、小さな本屋の前まで来た二人は切れた息を整える。そして喉元に留めておいた疑問を吐き出した。
「どう…いう…意味だ…?」
頭の中で言葉が反芻する。分からない。だが明らかに異様だ。担任の忠告の意味をなんとなくでも理解して、夏彦は歯噛みする。
「警察…届けよう…?ねえ、私達で…」
「身内じゃなきゃ難しいだろ」
「でも…だって…」
「分かってる…」
動揺する冬美を宥めながら、夏彦は呟く。
「分かってるよ…」
自分に言い聞かせるように。
二人はなんの収穫もないまま家路につく。
いいしれぬ恐怖と不安だけを残したまま。
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