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「え? あなたの仕業だったんですか?」

「そうでございます」

「そんなこと、可能なのですか?」


 小さく頷くと、彼はわたしにやや青みがかった同じ色のスーツを着た乗客を見るように言った。

 彼らはわたしと目が合うと小さく手を挙げ、剣城の知人であることを示した。その手を挙げた人間にはスーツの男性、女性だけでなく、カジュアルな学生に見える女性の何名かも含まれている。彼らは私たちの座っている側の席だけでなく、対面の座席の半分近くを埋めており、さながら車両の三割程度の人間が彼の知人だというドッキリを仕掛けられたかのようだ。

「あ」と思わず声を上げてしまう。

 そういえば今まで気にしなかったが、確かにいつも同じスーツの人間が視界の端々に目に付いた。それはここが剣城コーポレーションの地元であり、そこで働く人間が多いからだ、としか考えたことがなかった。


「それじゃあ社員の方なんですか?」

「ええ、そうです」

「しかしそれも今日までです。明日から彼らは別の会社の人間となり、我々の手から離れていってしまいます」

「倒産……」

「はい、左様です。端的に言って資金が尽きました」

「すべて仕事だった、と?」

「そうでございます」


 彼は戸惑うことなく頷いて見せたけれど、わたしはその所為せいで酷く頭の中が揺すられる。いくらか胸の辺りに悪寒の小さな塊のようなものが生み出され、生唾を一つ呑み込んだ。


「あの、意味が分かりません。そもそもどうしてわたしなんかに?」

「ある方のご依頼でした」


 剣城の言葉は何故か過去形だった。


「その“ある方”って?」

「光朗様でございます」


 その名前に、正直覚えはない。


「光朗様の遺言なのでございます」

「遺言……ですか」

「はい。そうでございます。全てはあの方との約束なのです」


 そう言ってから剣城はまだわたしの記憶がおぼろげな頃の話を始めた。


「あれはまだ光朗様が幼稚園に通われている頃でした。当時から両親は仕事が忙しく、家に帰っても誰もいない家庭だった為に、暗くなるまでを近所にあった児童館で過ごされたのです。その当時、坂見様はいつも図書コーナーの小さな椅子に座り、絵本を読まれていましたね」

「……ええ」


 うちも両親が共働きで、外が暗くなるまで児童館で時間を潰していたことを思い出す。

 そうだ。確かに“彼”はわたしの隣にいた。

 いつも彼のことは“ミッツ”と呼んでいたはずだ。

 色素の薄い少年で、髪も細くまるで濃いブロンドのようにも見えた。彼はいつもわたしの右隣の椅子に座り、同じように本を読んでいた。ただ日本語があまり得意でないらしくいつも低年齢向けの絵ばかりの本を開いていたから、よく他の子たちに笑われていた。けれどわたしはそんな彼が知らない言葉の本ならすらすらと読めることを知っていて、内心でちょっとだけ周囲の子たちに対しての優越感があった。

 そう。あの頃はまだわたしの隣には普通に誰かが座っていたのだ。

 その彼とある日、わたしは一つの約束をした。

 彼が帰り際にどうしても話したいことがあるから、と言うものだからわたしは早く帰りたいのを我慢して、すっかり暗くなった児童館の外に出て、少しだけ二人きりで歩道を歩いた。

 最初は早く話が終われば良いのにと思っていたけれど、彼がなかなか話し出さないものだから思い切って尋ねたら、彼は泣きそうな顔になって確かこんなことを言ったのだ。


「ゆのちゃん。ぼくがずっと隣にいても良い?」


 その問いかけに、わたしは何て答えただろう。

 必死に彼の言葉を思い出そうとしたが、記憶はうまく形を成してくれない。


「思い出されましたかな?」

「それが……肝心の約束の内容を忘れてしまいました」

「ずっと隣で君を守ってあげるね」


 一瞬彼の声が聴こえたのかと思ったが、隣を見ると剣城がひらがなだけの手紙を広げ、それを音読したのだと分かった。


「それが……遺言状ですか」

「はい。これがずっとあなた様の隣の席を我々に守らせた、そのお言葉でございます」


 何故だろう。その剣城の言葉に、わたしの目からは留まることのない涙が落ちていった。


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