解剖室の怪


 「解剖室」という部屋が病院にあることを知っているだろうか?

 そこは、事件性のある遺体を解剖してどういった死因で、どの時間に遺体は亡くなったのかを調べる部屋だ。


 そんな解剖室が僕の勤める病院にもあった。

 それも霊安室の隣の地下にだ。

 確かに利便性はいいのだろうが、僕は霊安室と解剖室という凶悪なコンビがそろっている地下があまり好きではなかった。


 解剖室も手術室同様に、個人のプライバシーを尊重する観点から遺体がある場合は、僕のような設備員が入ることは許されていない。

 

 通常、と言っても僕は医療従事者でもないので詳しくもないのだが、司法解剖は日中に行われて、その際になにか設備に不具合があっても、よほどの問題がなければ、そのまま司法解剖を続ける。


 なので、夜勤をしている僕が、日中に出た解剖室のクレーム処理を任される事もあった。


 その日は、日中に解剖室から出たクレームで、水を受けているシンクの排水の流れが悪いとの事だった。


 僕は深夜の機械室の点検を終えてから、解剖室に向かった。


 解剖室の中に入ると、普段消毒で使っている消毒液の何倍もの消毒臭さが僕の鼻を襲った。


 思わず鼻をつまみながら、解剖室の電気をつける。


 問題の水の流れが悪いというシンクは底が深くなっているシンクのようだ。

 上手く説明できないが、小学校などの時に掃除でモップの水をよく捨てていたシンクに近い形状だ。


 そんなシンクの上についている蛇口をひねって、水を流してみる。

 蛇口を全開にして、ものすごい勢いで水を出すと、シンクがあふれそうになったので慌てて蛇口を閉めた。


 なるほど、確かに何かが詰まっている。


 僕はシンクの排水口に手を突っ込んだ。

 指先に何かがサラサラと触ったのでそれを思いっきり引き抜く。

 それは、地面に根を張っている雑草のように「ぶちっ」という音を響かせながら僕の手に収まった。


 何が詰まっていたのかな? そう思いながら引き抜いたものを見た。


 長い髪の毛だった。



 それも、皮膚がついているのか、毛の下には赤ずんだ皮膚らしきものまで付着していた。


「えぇ……」


 僕の口から諦めの声が漏れる。

 それから無言で、もう一度蛇口をひねって、水を出してみた。



 ……まだ詰まっているようだ。


 

 シンクから水があふれそうになったので一度水を止める。


 僕はそこで一度設備の仮眠室まで戻って、使い捨てのゴム手袋を持ってきた。


 そして再び、排水溝に手を突っ込む。


 

「ぶちっ」「ぶちっ」「ぶちっ」



 深夜の僕以外誰もいない解剖室に毛髪を引き抜く音が響く。

 シンク横に引き抜いて並べていたそれには、今さっきまで毛髪を引き抜かれた主が居るかの様に、全ての毛髪末端は赤い皮膚の様なものが付着していた。


 僕は半分泣きながら毛髪を排水溝から抜く作業を1時間ほど続けた。


 そして、とうとう排水溝に手を突っ込んでも指先に触るものがない状態になったので、満を持してシンクに水を流した。


 問題なく排水が行われている事を確認して、僕は解剖室から僕の抜いた毛髪を手に部屋から出た。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る