オペ中の手術室
設備員は、病院内の蛍光灯交換も仕事内容のひとつだ。
しかし、その仕事の多くは日中に他の設備員がやるので、夜勤をメインに勤めていた僕は、蛍光灯交換をあまりしたことがなかった。
そんなある日、僕が夜勤をしている仮眠室に一本の電話が来た。
「はい、設備です」
「あの、手術室の6番です。実は蛍光灯が切れて暗くなってしまって……」
オペ中の手術室からの電話だった。
通常なら蛍光灯が切れ、多少暗くなっても僕らのような設備員に電話が来ることはない。
なぜなら、手術を受ける患者さんはそのとき全裸に布一枚しか羽織っていない状態で、手術箇所によっては色々と丸出しだからだ。
プライバシー保護の名目で、手術に関係する人以外は基本的に立ち入り禁止だ。
そんな言葉が僕の頭をよぎった。
話を更に聞くと、運悪く手術台の上の蛍光灯が切れてしまったようで、患者さんは別の空いている手術室に移すので早く交換をして欲しいとの事だった。
僕は普段なら滅多に使わない長い脚立を片方の肩に、そしてもう片方の手に蛍光灯を一本持って、蛍光灯が切れたという手術室の6番へ向かった。
手術室に僕ら設備員が入るにはいくつかのプロセスを踏む必要がある。
それは、まず防護服を着て、マスクをすること。
そして、外部から持ち込む物に関しては念入りに消毒する事。
このふたつのプロセスを踏んで僕は手術室へ入っていった。
手術室の6番はどこだったかな? と滅多に来ることない廊下を目当ての番号を探して歩いて行く。
すると、僕と同じく防護服を着た看護婦さんが廊下をモップ掛けしていた。
何を拭いているんだろう? 気になった僕は良く見てみた。
防護服を着た看護婦さんは、懸命に元は白いモップを真っ赤に染めながら、廊下に落ちた大量の血液を拭き取っていた。
僕は医療に詳しいわけではないが、普通に道を歩いていて、その血液が道にあったら、その人は死んでいるんじゃないか? と想像するくらいの血痕だった。
僕は少しだけ嫌な想像をしながら、その看護婦さんに会釈をして脇を通り抜ける。
そして、目的の6番手術室を見つけた。
中は蛍光灯が1本切れてるだけなのに、なにか薄暗い。
僕は嫌な予感を感じながらも、その手術室に入った。
部屋の中は、部屋の中央に手術台がドンと置いてあり、その周りはガラス張りの棚だ。
ガラス張りの棚には、医療に使う様々なものが入っている。
そして、何がどこにあるのかわかりやすい様にだろう、ガラス張りの棚の各所に「消毒用エタノール」「綿糸」「縫合」などのシールが貼られていた。
問題の切れた蛍光灯は手術台の真上のものだった。
蛍光灯が切れかけているのか、パカパカと点いたり消えたりを繰り返している。
僕は手術台をまたぐ様に脚立を立てて、問題の蛍光灯の交換を行おうと脚立を登った。
そして、無事に蛍光灯の交換を終えて、脚立の一番上から降りようと下を見た時だった。
手術室の床一面が真っ赤に染まっていた。
僕は目の前で起こっていることが信じられず一度目を閉じた。
だって、さっきまで床は普通にきれいな状態だったから。
おそらく深夜の眠気で変な想像をしたんだ。
そう自分に言い聞かせて、ゆっくり目を開けた。
手術室の床は入った時と同様きれいな状態に戻っていた。
僕はほっとしながら脚立を降りる。
しかし、脚立を降りるとどこからか視線を感じた。
視線の感じた方を何の気なしに見てみる。
猫背の男性が手術室の隅に立っていた。
別に僕の方を見ていたわけじゃない。
そうわかったのは、僕がその男に驚いて後ずさりしてわかったことだ。
その男はじっと空になった手術台を見ていた。
僕があまりの恐怖に固まっていると、手術室6番のドアが廊下側から開いた。
ドアを開けた人物は、さっき廊下で掃除をしていた防護服を着た看護婦さんだった。
看護婦さんはなんてことのないように猫背の男に近寄って
「〇〇さん。手術室の不備があったんで、移りますからね」
と隅に立っている男に言った。
そして、固まっている僕を無視して手術室を出て行った看護婦。
その後ろにぴったりついて男も出て行った。
僕は脚立をたたみ、しっかり蛍光灯がついていることを確認して、手術室の6番を出た。
さっきのは何だったんだろう? そう思いながら廊下に出ると、向かいの7番手術室から医療ドラマとかで良く聞き覚えのある心電図の「ぴーー」という心停止を知らせる音。
そして、心停止の患者さんの心臓マッサージをしているのだろう「いち、に、さん、はい」と言う様な大声が聞こえてきた。
僕は納得がいったので、少しその場に立って待っていた。
すると、「ぴぴぴ」と連続した心電図の音が聞こえて。
手術室内が慌ただしく動き始めた。
僕はそれを確認して、手術室の廊下を後にした。
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