第54話:負けず嫌い



 起き出してきたミクロは用意されていたご飯を無言で平らげた。


「ごちそうさまでした」


 ミクロは何も言わず、蟹男を見つめた。

 蟹男は意を決して、頭を下げた。


「ミクロ助けに来てくれてありがとう」

「いいよ、それはミクロがやりたくてやってることだから」

「う……それとごめん! 実は――」


 蟹男はあの吸血鬼との出会い、そして話の内容を説明した。 それを聞き終えたミクロは、不思議そうに首を傾げた。


「分かってたよ」

「へ?」

「だって助けてって、ミクロのこと呼ばなかったから。 でも」


 ミクロは口を尖らせて拗ねた顔をした。


「主を虐めてるみたいに見えて頭真っ白になった」

「えぇ……山河さんが溺愛してるって言ったけど、こっちも相当ね」


 静かに話を聞いていたアリスは呆れたようにため息を吐く。 蟹男は嬉しいような、安堵するような、とにかく嫌われなくて良かったと心底思った。


「そっか、ならどうする? 戦闘指南受けてみるか?」

「やだ!」


 ミクロは顔を背けて拒絶した。 初対面の印象は重要だ。 それが最悪であれば、良い話も気が進まないことは蟹男にも理解できる。


(仕方ないか)


 蟹男にとってこれは自分の安全策であり、子供に習い事をさせる老婆心的な提案が強い。 だから嫌であれば、蟹男は素直にミクロの気持ちを優先つもりでいた。


「いいのですか?」

「……いいもん」


 マルトエスは意外そうに言った。


「いいのですか負けたままで」

「う……それはやだ!!」

「そうですか。 ミクロがどちらを選ぼうと構いません。 私は尊重します」

「……」

「ただ感情に流されて貴重な機会を失う人間に学びはありません。 進歩もありません。 あなたは強くなれる機会を不意にしても良いのですか?」


 マルトエスは教え、導くように淡々と言葉を並べた。


 ミクロはうなりながら目を瞑り、そして小さく息を吐く。


「やる! あいつをぼろ雑巾にしてやる!」

「お、おう……頑張れ!」


 一つミクロが精神的に成長したようで、蟹男は嬉しくなった。 しかし、


(そんな言葉どこで覚え……ってスマホだよな、どう考えても)


 蟹男は子供からスマホを取り上げたくなる親の気持ちが初めて分かって、自身もそんなことを感じる年になったのかと哀愁に浸るのであった。





 次の日、ソファーで貧乏ゆすりする蟹男の膝を押さえたアリスは、呆れたようにため息を吐く。


「そわそわしないでよ。 ミクロちゃんが心配なのは分かるけど」


 ミクロはここにいない。

 朝、蟹男が吸血鬼の元へ送り届けてきた。


「いや、だって」

「だってじゃないわよ。 ミクロちゃんが見られたくないって言ってたんでしょ? まああなたがいたら気が散るでしょうからね」

「え……」

「そんな思春期の娘に素っ気なくされて、傷ついた父親みたいな顔しないでよ……」


 吸血鬼を多少信用していると言っても、どうしても蟹男は心配になってしまう。

 どんな風に教えるのかと、内容を尋ねても吸血鬼は面倒くさそうにするだけで教えてはくれなかったのだ。


「とても具体的な表現ですね? もしかして自身の経験ですか?」

「違う……はずよ」

「そうですか。 まあ送り出すと決めたのですから、あまり心配しすぎてもミクロは喜ばないのでは?」


 マルトエスは落ち着いた笑みを浮かべて、本を数冊取り出した。


「とはいえ急には切り替えられないと思います。 ミクロが頑張っているんですから山河さんもお勉強しませんか?」

「勉強か……うーん」


『魔法基礎』

『様々な種族』

『モンスターについて』

『異世界のトリセツ』


 並べられたタイトルを見ても蟹男はイマイチ気が進まない。 というか彼はそもそも勉強があまり好きではない。

 初めは目新しさのあった魔法も、すでに日常と化しているので普通に勉強だ。 一応、最低限魔法の発現はできるようになったものの、自身にどうやら才能がなさそうだと察して最近は身が入らない。


 やる時はやるが、蟹男は基本的に自分に甘いダメな男であった。


「嫌なら構いませんが……想像してください。 ミクロは頑張って鍛錬して、帰ってきて山河さんに褒められますね?」

「うん、そうだね。 褒める、めちゃくちゃ褒める」

「はい、そして彼女は悪意なく尋ねます――主は何してたのー? と」

「やります。 やらせてください」


 蟹男は想像して即答した。

 自分に甘いのは仕方ないが、さすがに「君が頑張っている間、俺はゴロゴロしてたぜ!」なんて口が裂けても言いたくない。


「じゃあせっかくだから私も一緒にいい?」

「はい、もちろんです。 どれがいいですか?」


 アリスと二人で教わることになった蟹男は、あまり開いたことのない本を選んだ。


「モンスターについてですね。 ではさっそく講義を始めます」


 マルトエスはそう言って教師モードに入った。


 想像よりも本格的だったからか、隣に座るアリスの背筋が伸びる。


(俺も頑張りますか)


 蟹男は心の中で息込み、いつも以上に真剣な姿勢で講義を受けるのだった。






  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る