【第2部:末題】

第4章~迷子の吸血鬼と大規模召集

第49話:迷い込んだ鬼と帰れない男




「とりあえず俺はもう帰っていいか?」


 話は済んだ。 もう用済みなはずだ、そうであってくれと願って蟹男は言った。


「ああ、良いぞ。 突然連れてきて悪かったな」

「いや、まあ驚いたけど、もういいよ」

「うむ」

「うん」

「「?」」


 蟹男と吸血鬼は顔を見合わせた。


「気を付けて帰れよ」

「え……まさか送ってくれない感じ?」


 後ろを振り返ると、どこまでも続く氷の洞窟が広がっており、かすかに魔物の声が奥から聞こえてきた。


「ちなみにここってどこなの?」

「ふむ、ダンジョンの下層だ」

「なるほど」


 どこかに雰囲気が似てると思ったら、最悪の答えが返ってきて蟹男は表情を引きつらせた。 ただでさえ非戦闘職なのに、スキルを使えないという縛りがあったらどう頑張っても自分が蟹男は死ぬ未来しか見えなかった。


ーー今、スキルが一切使えない状況なんだ


 蟹男はそう言いかけて、口をつぐんだ。


(そんなこと言って大丈夫か……?)


 なんだかこの吸血鬼が悪い奴ではなさそうだが、本当に信用して良いのか蟹男は迷っていた。 元々勝ち目がない相手だとしても、自分の弱点を晒す危険を犯すべきではないことは分かっている。


「まあダンジョンなぞ散歩のようなものだろう? 私は今後についてじっくり考えなければならないのでな」


 この吸血鬼はきっと強いのだろう。

 だから悪気があって、蟹男を突き放しているわけではないことは感じ取れる。


「……それは分かってけど、やっぱり送ってくれないか?」

「ふむ」


 蟹男の言葉に吸血鬼は眉を寄せた。

 吸血鬼の倫理観がどういうものなのか蟹男は知らない。 しかし彼女の抱える問題がある程度解消されれば、お願いを聞いてもらえると蟹男は判断した。


 だから蟹男はーーお前が連れてきたんだから、さっさと元の場所へ返せーー人間の、日本人の倫理に基づいた正論を飲み込んで言った。


「代わりに異世界の住人である俺が今後についての相談に乗ってやるよ」

「ふむ、それはありがたい。 ではその後、そなたを送り届けよう」


 この選択が正しいかは分からない。


 蟹男は自身の小さな震えに気づかない振りをして、吸血鬼と笑顔を交わのであった。



***



ーー千葉県某所


「ここまで冷気が漂ってきてるわね」


 車の窓から見える景色、アリスの視線の先には氷に覆われた大地が広がっていた。


「モンスターも初めて見るものばかりですね」

「ダンジョンの影響でしょうね」


 浮遊するクリスタルを見ながら、アリスは首を傾げた。


 クリスタルの色によってダンジョンの特性が分かる。 赤なら火属性、青なら水棲系と言われており、大抵は単色である。


「赤を白が侵食してる……?」


 今回は例外である赤と白の二色だ。

 それが意味することは、


 本来の属性が、発生した特異モンスターの影響で変化しているということだ。


 そしてその特異モンスターは異常に強い。


(うちのメインアタッカーである結城が戦えない今、私たちに勝ち目はない。 見捨てる選択肢はない。 どうしたらいいの)


「主、待っててすぐ行くから」


 迷いなくクリスタルを見つめるミクロが飛び出して行かないように、マルトエスが首根っこを掴んだ。


 ミクロの手には指輪の魔道具が握らられており、それは蟹男がマーケットでの買い物の際彼女に買い与えたものだった。 効果は追跡。

 登録した魔力の持ち主が近づくと光の明度で知らせてくれる簡易魔道具である。


「アリスさん、ここまで連れてきていただいてありがとうございました」


 マルトエスはそう言って頭を下げた。


「ここまでで大丈夫なの?」

「はい」

「それは危険だから、部外者にこれ以上は頼めないとかそういう話? それとも何か根拠があっての話?」

「……これは私たちの問題ですから」

「なるほどね」


 アリスは小さく息を吐いて、嗤った。


「私、今からあなたのことマルって呼ぶから」

「はあ、それは構いませんが」

「あなたは私のことアリスと呼びなさい。 敬称は不要よ」

「え、いや、どうして今そんな話を」

「い、い、か、ら、はい!」


 マルトエスは困惑しながらも「アリス」と呼んだ。


 するとアリスは手をカチンコのように鳴らして、楽しそうに笑う。


「はい、これで私とマルはお友達! 下の名前と愛称で呼び合うんだから、仲よしよね?」

「は、はあ……?」

「だから私をもう部外者扱いしないで」


 訳が分からないマルトエスも、アリスの言葉でようやく理解できた。

 ここまで言われたら、これ以上の遠慮はもはや侮辱になる。

 

 マルトエスにとってミクロは同僚、または妹のような存在だ。

 蟹男はつい最近まで雇用関係であったので、フラットな関係とは未だ言い難い。


 マルトエスにとって、この世界で初めての友人らしい友人が出来た瞬間であった。


「分かった。 アリス、危険かもしれないけどあなたの力が必要なんです。 一緒にきて……くださいますか」


 アリスは嬉しそうに笑って言った。


「ええ、もちろん行くわ」


 一行は蟹男を救うべく、ダンジョンへと向かうのだった。



***






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