第47話~閑話8~先輩想いと氷の女



 蟹男は二人を映画館へ送って宿へ戻ってきた。


「一緒に見なかったんですねっ」


 ロビーでぼんやりしていた大場光と目が合うと、彼女はあざとい笑みを浮かべて言った。


「まあなんとなく?」

「ふーん、真面目なんですねっ!」


 生きてきて真面目だなんて言われたことのなかった蟹男は驚く。

 今まで『いつまでもバイトしてないで正社員になれ!』とか『もっとやる気出せよ』と人に言われてきた覚えしかなかった。


「いや、別に」

「(ちゃらんぽらんでないことは及第点ですかね……)」

「え?」

「いいえ、なんでもないですよっ!」


 一瞬真顔になった光はすぐに笑ってごまかした。


「ところで山河さんはアリス先輩のことどう思ってるんですかっ?」

「どう……とは?」

「それはもちろん性的な対象かどうかという意味ですよっ!」


 可愛らしい見た目から飛び出した直球な表現に、蟹男は思考が一瞬止まった。


「それは冗談かな? 分かりずらいよ」

「ま、私としてはどうでもいいんですけどっ。 ただ」


ーー先輩を泣かさないでくださいね


 ふわりと跳ねるように近づいて、耳元で光に囁かれて蟹男は背筋が凍る。


 殺気でも、怒りでもない。

 それなのに蟹男は目の前の少女が不気味に思えて、怖かった。


 先輩想いの後輩にしてはあまりに狂気が強すぎる。


「わ、わかったわかった。 約束する」

「ならいいんですっ! では私は部屋に戻りますねっ!」


(やっぱり)


 蟹男は跳ねるように去って行く光の後ろ姿を見送って、一人不埒ふらちな想像を膨らませるのであった。


(百合なのかな?)



***



(ここはどこだ)


 女は真っ暗闇で目を覚ました。


 暗いことはであるが、ただ臭いがいつもとまるで違った。


「ダンジョンか」


 ただ知っている臭いも混じっている。


 土壁に囲われたこの空間の魔力は、かつて気まぐれに踏破したダンジョンと似ている。


「ふぅぅぅぅぅぅ」


 深く吸って、吐く。

 魔法ではない。 しかし女がただ吐いた息でさえも強力な魔力によって、魔法に近い効果を現実に及ぼす。


ーーパキ、パキ


 周囲の土が氷に覆われていく。


「これで快適になったな」


 あまりの冷たさで白い靄が揺らめく中、女は羽織っていたマントを脱いでダンジョンを進む。


「ふむ、とりあえずここを拠点すれば良いか」


 まるで散歩するような足取りで女はダンジョンを進んでいく。

 彼女の消えたダンジョンの奥からは、モンスターの悲鳴がとめどなく響くのであった。



***



「映画楽しかったか?」

「うん! すっごく楽しかった! おっきな画面でーー」

「あれは芸術です……」


 日が暮れた頃、映画を見終えた二人が戻ってきたので蟹男は食事をしながら感想を聞いていた。


「そんなに楽しんでもらえたならチケットを譲った甲斐があったよ」

「あの……あんなにも素晴らしいのですから、とても貴重なチケットだったのではないですか?」

「いやいや、そんなことないよ」


 蟹男が日本における映画は気軽に楽しめる娯楽の一つだった、と告げるとマルトエスは愕然とした。


「デートでですか? 特別な日でもなく?」

「暇つぶしに見る人だっているよ」

「はぁぁぁ、分かっているつもりでしたけど凄まじい世界ですね……」

「まあ今となってはそこそこ貴重ではあるけど、でもスマホはあるから見れるじゃん」

「大画面で見るからいいんだよ!」


 ミクロの言葉にマルトエスは大きく何度も頷く。

 二対一の多数決で少数となった蟹男は両手を上げて、敗北を認めるのだった。





「ミクロは?」

「ベッドでぐっすりです」


 部屋のベランダに出た蟹男は夜空を眺めながら、マルトエスを手招きした。


「ちょっと付き合ってよ」


 そう言って差し出したのは酒と一個のグラスだった。


「この世界のお酒ですか? というか山河さんはお酒飲まれるんですね?」

「いや全然。 でもなんか飲みたくなった。 マルトエスは飲める人?」

「はい、葡萄酒なんかを良く飲んでましたね」


 蟹男はあまり酒は強くないし、そもそも味が好きではない。

 けれどたまに飲みたくなる時がある。 その度に二度と飲むか、と思うのだが。


「うわ、すげえ酒くせえ。 ごっふ」

「ふふ、大丈夫ですか? ありがとうございます、いただきます」


 蟹男が一口飲んでむせてる様子に笑いながら、マルトエスは同じグラスを受け取り一口飲んで目を見開いた。


「美味しい……」

「そっか、まあ良いやつっぽいしな。 それも葡萄酒の一種だよ」

「同じものとは思えませんね。 さすが」


 マルトエスが何度か口に運び、蟹男がちょっぴり飲んで返す。 夜空を肴に繰り返されるそれはまるで会話のようだった。


 そしてマルトエスが蟹男にグラスを渡そうと、横を見た時、




「え? 山河さん?」




 蟹男の姿は跡形もなく消えていた。






 そこから遥か上空にて、空を飛ぶ人影が二つ。


「んー! んー!」

「騒ぐな。 悪いようにはしないから」


 翼の生えた女と、鎖で拘束され運ばれていく蟹男の姿が夜空の向こうへと消えていった。





  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る