第45話:マルトエスの願い



「うわっ」


 部屋に戻って灯りを付けると、マルトエスがいたことに驚いた蟹男は声を上げた。


「もう風呂上がったの? 早いね」

「あ、いえ。 ちょっと考え事があって、ミクロだけアリスさんに連れて行ってもらいました」

「あー、そうなんだ。 なるほど」


 ミクロは大浴場で遊んでないだろうか、蟹男は心配しつつ世話を焼いてくれているであろうアリスたちに心の中で手を合わせた。


「……」

「……」


 話があると言われていたせいか、蟹男は身構える。 無言になり始めると、会話を始めるタイミングも失ってしまって、蟹男はムードメーカーであるミクロの帰還を切に願った。


「……ここ内風呂あるし、入ってきたら?」

「そう、ですね。 そうさせていただきます」


 支度してマルトエスがいなくなり、一人になった蟹男は深いため息を吐く。


 気まずさに耐えられなかった蟹男は、自分の情けなさに自己嫌悪した。


「話……聞いてあげるべきだったよなあ」


 もしもこの関係を終わりにしたい、そう言われたらと思うと蟹男は怖くて聞けなかったのだ。


「ダメだよな、このままじゃ」


 蟹男はドラマみたいに『行くな!』なんて引き留めることができるような性格ではない。


 とはいえこのまま何もしなかったら後悔する、そんな気がした蟹男は意を決して風呂場へと向かう。


 扉を隔てた向こうから、水の音が聞こえてくる。


「マルトエス」

『っはい? どうされましたか……』

「話があるって言ってただろ」

『はい……では一回出ます』

「いや、このままでいい」


 覚悟は決まった、とは言っても向かい合ったらどんな顔をすればいいか蟹男には分からなかった。


 情けないが、扉を挟んでいるほうが落ち着いて話せる。


『分かりました……』


 蛇口を閉める音が聞こえてくる。


『第三王女様の話ですが、ありがとうございました』

「あ、うん」

『どうして面倒事を嫌うあなたが、積極的だったのか……自惚れかもしれませんが私のためだったんですよね?』

「はい、そうです」

『なんですか? その機械みたいな話し方』


 素直にお礼を言われ、照れて可笑しな返事をした蟹男をマルトエスが楽しげに笑った。


『もうどうでも良いと、過去のことだと思って過ごしてきましたが、なんだか胸に支えたものが取れたような気分です』

「そっか、良かった」

『王女様の驚いた顔も見れましたし』

「あの時、マルトエスめちゃくちゃ悪い顔してたぞ」

『ええ?! ほんとですか!』

「ホント、ホント」

『お恥ずかしいところをお見せしました……』


 ひとしきり笑い合って、会話が途切れた。


 彼女がタイミングをうかがっていることが分かった蟹男は、今度は話を逸らすことなくただ待った。


『私、』

「うん」

『色々あって教壇から下りたんですが、その時に冤罪で負わされた賠償金……今月で払い終えるんです』

「そっかぁ……」

 

 元凶である男の調査が進めば、マルトエスの冤罪も出てくるだろう。 そうすれば彼女の罪も晴れ、賠償金も取り消されるかもしれない。

 

 そもそも払う必要のない金ではあるが。

 どちらにせよ、マルトエスが召喚獣を続ける理由はなくなる。


『それで少し悩んでいまして』

「教師に戻るの?」

『いえ、それ以前にここに残るか元の世界に戻るかです』

「え? 戻んないの?!」


 蟹男は驚いた。

 普通は故郷に帰りたいと、家に帰りたいと、自由になりたいと思うものじゃなかろうか。


『……帰って欲しいんですか?』

「あ、いやそういう意味じゃない!」

『ふふ、分かってますよ。 からかいました』

「からかうなよ……顔が見えないから冗談か分かりずらいんだから」

『じゃあこっちに来ますか?』

「え?」

『冗談です、ふふ』

「お前なぁ……もう勘弁してくれ」


 女慣れしていない蟹男はマルトエスの掌で転がされ、疲れたようにため息を吐いた。


『私はこの世界が好きです。 まだ色々なものを見てみたい』

「うん」

『だけど主様とのこの関係は終わりにしたい』

「え……え?」


 蟹男は呆然と会話の意味を反芻した。


(いや、どう考えてもセーフな流れだったじゃん……まじかよ)


『あなたと対等な関係で付き合いたいんです』

「へぁっ?!」


(つ、つつ付き合うってどういう?! そういう?!)



※※※



「あなたと対等な関係で付き合いたいんです」

『へぁっ?!』


 想定していなかった奇声が扉の向こうから聞こえてきて、マルトエスは首を傾げた。


 そして自分の言葉を思い返して、顔を紅くしながら慌てて訂正する。


「ち、違いますからね! 付き合うって友人としてとかそういういう意味でっ!」

『あ、ああそうだよね! うん! 分かってた!』


 絶対分かってなかったろこの人、とマルトエスは思いつつ自分の言葉に引っかかりを感じた。


(友人……よね?)


 自分の気持ちは異なる世界への好奇心。 そしてミクロと蟹男、三人での居心地の良い生活を続けたいというものだった。


 そうだったかもしれない。 けれどマルトエスも気づかない、心の底では何か別のーー


『もちろん! いつまでも居てくれていいから! 友人として! うん!』


(今はそれで良いってことにしましょう)


 マルトエスは心の深くから、現実に意識を戻した。


「ですのでこれからは雇用関係ではなく、友人としてお役に立てるよう努めます。 もしご迷惑でなければ」

『ないです! ないない! むしろウェルカム!』


 今はこの関係がマルトエスにとっては心地よい。


(いつかその気持ちが育つ時までしまっておきましょう)


「もう上がりますから、見ないでくださいね?」

『わ、わわ分かった!』


 面白い主、いや友人の気配が遠ざかっていくのを感じながら静かに微笑んだ。




 きっと蟹男とは長い時を共にするだろう、そんな予感がマルトエスにはあった。


 だから大事な気持ちが確かになったその時まで、この新たな関係を楽しもうとマルトエスは心を踊らせるのであった。



※※※





3章終


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これにて3章は終わりとなります。


ここまで読んでくださってありがとうございました。


とりあえずの目標として10万字を目指しておりますので、よろしければお付き合いください。


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長々と申し訳ありません。

閑話を挟んで4章に突入しますので、引き続きお楽しみください。


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