第43話:バカンス/忘れごと
神奈川県元由比ヶ浜に蟹男たちはやってきていた。
「おお、これはテンション上がるわね」
青い海と白い砂浜、水着姿の男女で賑わうビーチを見てアリスは言った。
「海の家なんて懐かしいです。 久しぶりに焼きそば食べたいな」
「いいわね! 後で行きましょう。 とりあえず……はあ」
アリスは黙り込んでいる結城と蟹男へ哀れみの視線を向ける。
「いい加減に忘れなさいよ。 仕方のないことでしょ? 副作用なんだから」
二人が覚醒の果実を食べてからすでに三日経っている。 そして副作用でスキルが使えなくなると共に、高揚感もなくなった。
正気に戻った二人は自分たちの言動を振り返り、それがあまりに恥ずかしくて落ち込んでいたのだ。
「まあこのバカ二人は放っておいて、私たちは着替えましょう」
「いいんでしょうか……?」
「いーのいーの。 こういうことは時間が解消してくれるから」
アリス、藍、光、マルトエス、ミクロは二人を置いて移動する。
「ごめんな、結城くん……」
「いえ、お役に立てたなら何よりです……」
楽し気な喧騒の中、残された二人は大きなため息を吐いた。
「俺たちも着替えるか」
「ですね……」
「やっと来たわね、お二人さん」
蟹男と結城が戻ってくると、水着姿の女性陣が待ちわびていた。
「ありがとうございます」
「……お礼を言われて嫌な気分になったのは初めてよ」
五人ともスタイルが良い上に、誰のチョイスなのかやたらと面積が薄い水着だ。 蟹男は一気に目が醒めた。
「大丈夫になったなら、早く行きましょ」
「嫌なことは遊んで忘れましょう!」
海なんて子供の時以来だった蟹男は、こういうのも悪くないと気持ちを切り替えるのだった。
「ビーチボールの貸し出しないかな?」
「……変なこと考えてない?」
「いやいや! 純粋に楽しみたいだけだから!」
神奈川県のビーチは以前から有名であった。 由比ヶ浜、江ノ島など、しかしかつて来た頃、水の汚さを残念に感じた記憶が蟹男にはあった。
「滅茶苦茶きれいじゃないか?」
「本当ですね、透き通ってます」
濁りが一切なく、まるで沖縄の海みたいな透明感に蟹男は驚く。
「まあここはダンジョンの一部、だからね。 元の海とは違うのは当たり前よ。 来るときに鳥居を潜ったでしょ?」
「全然気づかなかった……」
空には雲が流れてるし、視界に広がる海に果てはないように見えるのに不思議だ。
それになによりモンスターがいない。
「ここは一階層で、モンスターが出る場所が限られてるから大丈夫なの。 それに見て」
アリスの指差す先には、ビーチによくいる監視員がいた。 しかしその監視員は一ヶ所に数人で、おまけに完全武装である。
「彼らは手練れの戦士よ」
「浮いてるな、とは思ってたけど」
「ほとんどないけど、モンスターが現れた時に対処するために控えてるのよ」
「へえ、すごいな」
そこまでしているからこそ、この賑わいかと蟹男は感心した。
「以前から神奈川の海は有名だったけど、ダンジョンによる変革でさらに躍進したって感じね」
「他も同じように出来ないのか?」
「さあ? 私は専門家じゃないから。 ただダンジョン自体が特殊だから、珍しいことは確かだと思うわ」
現代の人類にとってオアシスのような場所だ。 しかし移動手段や入場料がかかることを考えれば、気軽に来れるわけでもない。
「飛び地になってる小島に二階層への階段があるらしいけど、後で行ってみる?」
「いくー!」
「行きたいなら行っといで。 ただ俺と結城は待ってるけど」
ミクロの言葉を否定することなかった蟹男にマルトエスは驚いた。
以前なら安全を考えて行かせなかったのに、ドラゴンとの戦いで何か気持ちの変化があったのだろう。 二人は以前よりも信頼し合っているよえに見えた。
「それじゃあ後で行ってみましょう」
「そういえば……」
ダンジョンといえば虹色ダンジョンに一緒に潜った男をマルトエスは思い出した。
「鮫島さんはどうされてるのでしょうか」
「あ……」
完全に彼の存在が抜けていた蟹男は慌てて、海から上がって電話をかけるのだった。
※※※
「山河さん、どうしてるんすかね~」
あの超戦力ミクロがいるのだから、そこまで心配ではしていないが、
「忘れてるだけ、だといいんすけど」
それはそれで悲しくはあるが、何かあるよりはずっといい。
そんなことを考えていると、蟹男からスマホに通話が入った。
『あ~久しぶり』
「ちょっといつになったら帰ってくるんすか?!」
『いや~実は色々あって神奈川に来てて』
『ねえ、私たち海の家行ってるから』
『分かった、すぐ行くよ』
受話器越しに聞こえる女性の声。
しかもマルトエスでもミクロでもない声だ。
「楽しそうっすね……」
『あ~はい、なんかごめん』
「いや全然いいっすよ。 僕らはずっと一緒に行動する仲でもないですし。 ただ! 神奈川って言ったら例のリゾートっすよね?! 女子もいるんすよね?! ご一緒できなくて残念っす」
『分かった分かった、今度紹介するよ。 次は鮫島も誘うから』
「約束っすよ」
『おう、じゃあまたどこかで』
「はいっす。 何かあればいつでも連絡欲しいっす」
鮫島はそう言って通話を終えた。
「よーし、じゃあ動画更新を再開しますか!」
鮫島も休んでばかりはいられない。
それに最近やたらバズっている動画で、見知った男が奮闘していたことに感化されたというのもある。
「いつかご一緒したいっすね~」
そのためには強さが必要だ。
鮫島は少し前ーー動画投稿を始めた時、ダンジョンに初めて潜った時ーーのワクワクしていた気持ちを思い出していた。
そして鍛錬のために近場のダンジョンへ向かうのだった。
***
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