第40話:最強の意地/私を呼ぶ声




 まばゆい光に蟹男は目をつむった。


「……え?」


 目を開くと思わず蟹男は呆然と、目の前の光景を見つめた。


 建物はめちゃくちゃに崩壊し、地面は地割れのように真っ直ぐに割れている。


「ドラゴンは……?」


 倒れふすドラゴンからはしゅうしゅうと炭酸の弾けるような音と、煙が上がっていた。


 少し離れた蟹男の位置では仕留められたのかどうか分からない。


 近づこうとしたその時だった。


ーーGRuuuuuu……


 地鳴りのような声と共に、ドラゴンがのっそりと起き上がった。


 その側には全力の一撃を放った反動で動けない様子の結城がいる。


「逃げろっ!」


 ドラゴンが腕を振り上げる。


 蟹男は結城の元へ走った。


「セーフッ! ひいっ!」


ーードゴン


 ドラゴンの一撃が地面をえぐり、蟹男たちを吹き飛ばした。 間一髪、結城を引っ張った蟹男は決断を下す。


(これは撤退……か)


 果実のせいで全能感を感じている蟹男であっても、さすがにここからドラゴンを倒すビジョンが浮かばない。


(でもあともう少しなんだ)


 蟹男が迷った時間は数瞬。


 しかしそれはドラゴンが攻撃の準備を整えるのに十分な時間であった。


ーーあ


 気づけばドラゴンがブレスの体勢で、口を開く。


ーー終わった


 久方ぶりに蟹男は明確に死を感じた。


 これまでの人生が、出来事が脳裏を巡る。



 即座にスキルでマーケットに転移すれば助かることは分かっている。


 それなのに鈍い思考がスキルの発動を妨げていた。


(ああ、死にたくねえな)


 蟹男がぼんやりそう思ったときーー


ーーWaoooooooooooooonnnn


 どこからか高らかな遠吠えが聞こえてきた。


「ミクロ……?」


 光の弾丸がドラゴンに向かって飛んできて、交差した一瞬でドラゴンの体から首が弾けた。


 蟹男はミクロに助けられたと、思考が追い付いて安堵の息を吐いた。 続いて作戦が成功した喜びが湧き上がってくる。


「……」

「ミクロ! ありがとう、助かっ……!?」


 歩いてきたミクロをいつものように労おうと、蟹男が頭を撫でようとした手は彼女によって叩かれた。


「え? ど、どうした?」


 いつもマイペースで怒ったところなど見たことのないミクロの態度に蟹男は焦るが、いくら考えても理由が分からない。


「なんでっ!!!!」


 ミクロのまとっていたオーラがより強く、心の激情を表すかのように揺れた。


「なんで私を呼ばないの!!!」

「いや、時間がなかったし。 危険だと思った……から」

「ふざけないで」


 ミクロは蟹男を睨みつけて、胸倉をつかんでぶつかるほど顔を引き寄せる。



「私はあなたのために、戦うためにここにいるんだ


 それが私の存在意義で、全てーーなのに、どうして私を呼ばないの?


 私を信じて、頼って、名前を呼んでよ


 そしたら私は誰にも負けたりしないし、必ず主を守って見せるから」


 

 蟹男はミクロに言われて罪悪感に襲われていた。


 蟹男は無意識にマスコットのような、悪く言えばペットのような扱いをミクロに対してしていたかもしれない。 彼女が本当に望むことは何なのか考えもせず、勝手に考えて押し付けて、積もり積もった不満がここで爆発したのだ。


(これは俺が百悪いなあ)


 とはいえなんと言ったらいいか、蟹男には分からなかった。 物語の主人公のような心を震わす正解の言葉なんて浮かばない。



 だからただ素直に、真摯に自分の言葉で紡ぐ。



「俺は弱い


 ゴブリンと対峙するだけで怖くて、逃げ出したくなるくらい弱い


 俺のために命を賭けて戦ってくれ


 俺を死ぬ気で守ってくれ


 俺を助けてくれ


 もう手加減なんてしないから


 お前が必要だーーミクロ」



 蟹男はそう言い切って「こんな情けない主で申し訳ないけど」と笑って手を差し出した。


「見捨てないでくれると助かる。 というかお前がいないと確実に死ぬわ」

「うん、大丈夫。 私は死ぬまで主を守るから」


 そう言ったミクロの笑みがあまりに満たされていて、大人びていて、蟹男は思わず見惚れてしまった。


 すると途端にミクロの耳がぴこぴことせわしなく動き出す。 それが褒めて欲しい時の合図だと、これまでの付き合いで蟹男は知っていた。


「ミクロ、ありがとうな。 助かった」

「うん!」


 蟹男がミクロを撫でながら言うと、彼女は嬉しそうに目を細めていつもの人懐こい表情で笑った。



***



「勝った……勝ったっ!!!」


 離れた位置でスマホを構えていたアリスは、生配信中であることを忘れて思わずガッツポーズした。


「夢みたい」


 アリスは自身の心を震わすこの感情が何なのか分からなかった。

 嬉しいとも、達成感とも違う。 けれど暖かくて、涙が出そうだ。


「良かった」


 ただ一つ確かに強く思ったことがある。


 人類はいつかモンスターに駆逐されてしまうのではないか、アリスは日々戦い生きる中でぼんやりそうな風に感じることがあった。


 こないだのオークキングもそうだ。 ファンタジーなアップデートがあったとて、人間は所詮人間で、強力な個であるモンスターには敵わない。 

 今はいい。 けれどもっと凶悪なモンスターが地上を跋扈ばっこするようになったら、人類は勝てるのか、と。

 

 アリスは未来に絶望していたのだ。


 けれど今日、今、この時、それが覆った。


「人類にも希望はあるのね」


 誰が、どうやって、そこまでの高みに行くのか。 自分が行けるのか。 それらは置いておいて、可能性がゼロではないと分かっただけでアリスの心を覆っていた暗い靄は晴れていく。


「きっとこの戦いは誰かを救うでしょう……もしかしたら彼は勇者よりも勇者かもね」


 アリスはそう言って笑った後、流れ続けていた配信を慌てて止めるのだった。



***

 

 


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る