第10話:拠点つくり/ライフライン停止


「もう日が暮れるな」


 マーケットから戻ってきた蟹男は、不安げに呟いた。

 今夜は大丈夫だろうが、明日からはガス電気水道が使えなくなるかもしれないのだ。


「それが本物だと良いですね……しかし発明家オニキス・アパなんて聞いたことがないです」

「やっぱガラクタ掴まされたかな?」


 蟹男はオニキスから買った鍵を見てため息を吐いた。


「まあ試してみましょう。 時に天才は理解されず、死後に評価されるなんてありがちですし」

「そうだな……彼が稀代の天才であることを願おう」

「そしたらお買い得だったかもしれませんね」


 蟹男はまだ避難区へ行くか迷っていた。

 行かずに自前で生活基盤を整えるにしても、全てはこのオニキスの世界を創るという発明ありきの妄言でしかない。


 蟹男は道具をそろえる前に確認し、もしもこれがガラクタだったら大急ぎで避難区を目指せばいいと考えていた。


「えーと、使い方は」


「魔力を充分に鍵に注ぎ込み」


「創りたい世界を想像し」


「何もない宙空に鍵を差し込みーー回す」


 ずずず、と見えない壁に鍵が吸い込まれていく様子に蟹男は興奮を抑えきれないでいた。 これは本物かもしれないと。


 回すと、かちゃりと開錠した音と共にシャボン玉の膜が割れるように宙空に穴が空いた。


「これは……っ」


 マルトエスが息を呑んだ。


 蟹男は勇気を振り絞って、ぼやけた景色の向こうへ入っていく。


「うわあ、すげえ」


 そこはかつてハマっていた農業畜産をテーマにしたシミュレーションゲームが現実となって広がっていた。


「風が気持ちい! ねえ! ねえ!」


 丘の上に立つ小さな家、広がる草原。 どこかの外国にありそうな美しい風景に蟹男が見惚れていると、ミクロが足踏みしながら急かしてくる。


「いっといで。 気を付けて……ってもう行っちゃったな」

「オニキス・アパは稀代の発明家だったみたいですね」

「うん、いい買い物になって良かった」


 これでようやく蟹男は避難区へ行かずに、自分で拠点を作る決心がついた。


 避難することはいつでもできるだろう。 選択肢があることで蟹男の心は楽になって、ようやく楽しい未来を想像する余裕ができてきた。


「なんだか俺も走りたくなってきた。 マルトエス、行こう」

「それは命令ですか?」

「うん、命令」

「承知いたしました。 お供しましょう」


 まるで子供に戻ったみたいに、疲れ果てるまで蟹男ははしゃいだ。 もちろん一番最初に体力が切れたのは蟹男だったのは言うまでもない。


***


「本当に止まっちゃったんだ。 これからどうなるんだろう……」


 体育館に集められ生徒会長アリスの話を聞きながら、藍は無意識に胸を押さえて呟いた。


「政府の宣言通り、ライフラインが完全に止まりました」


「私たちは生きるために勇気を出す時が来たのです」


「職業を選択してください」


「これから有志で周囲を探索し、食料などを探しに行きたいとーー」


 職業はここではまだ一部の人しかついていなかった。

 理由は得体が知れないものを恐れていたり、優柔不断で決められなかったり、責任を負いたくなかったり様々だ。 しかしもう四の五の言っていられる段階ではない。


 近くにホームセンターとスーパー銭湯がある。

 この場の従業員によると、ホームセンターには発電機やろ過装置。 スーパー銭湯は東京では珍しく地下から湧いた温泉を垂れ流しているようなので使えるかもしれないと、偶然いた従業員から情報提供があった。


「場合によっては拠点を変えることも視野に行動したいと考えています」


「強制はしません。 一時間後、賛同していただける方は正門に集まってください」


 アリスの話が終わると、聞いていた人が相談し始める。


「結城……」

「俺は参加する」

「私は……」


『治癒師』


 即答した結城の瞳に映った藍の横には治癒師の文字が浮かんでいた。

 オークから逃げる際、転んで傷ついた結城を過剰に心配した藍は迷わず職業に就いたのだ。 幸い大した傷ではなかったため、藍は少し後悔する羽目になった。


「藍はここにいろよ。 怪我したらまた治してくれよ」

「うん……わかった。 気をつけてね、絶対死なないでね」


 申し訳なそうな藍だったが、快活な結城の笑顔を見ていたら釣られてほほ笑んだ。

 自分は自分にできることを精一杯こなそうと藍は奮起するのだった。


「柳さん、どうしますか?」


 話を陰で盗み聞いていた柳は、取り巻きに聞かれて悪い笑みを浮かべた。


「とりあえず今回は拠点の守りに回りましょう。 残念ですが、ここを完全に空けるわけにもいきませんから」


 柳は最もらしいことを言って、声を潜めて取り巻きに指示をするのだった。


***



 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る