第2話 従者の一日

 この屋敷に来て早1ヶ月。ここの生活にも慣れてきた。本来の従者ならば、その家のルールやマナーに従って家事や業務をこなさなければならなかったが、ここにはそんなものはない。全て自分のやりやすいようにやることができる。だから慣れるのにそう時間はかからなかった。お嬢様はかなり自堕落であったが、その自堕落さには簡単に慣れた。


 朝5時、音量の小さな目覚ましの音と共に起床。お嬢様の朝食とお弁当の準備に取り掛かる。予算と栄養バランスを最大限まで考えて作る。使っているものは特売品。しかし見た目はなるべく豪勢に。大原家のイメージダウンに繋がらないよう、細かいことかもしれないが弁当の見た目にまで気を使う。そのため少し時間はかかる。朝から大変に見えるかもしれないが、少しも苦ではない。


 最近知ったことなのだが、俺の今の体は睡眠や食事を必要としないらしい。精神的な疲れはあれど、肉体的に疲れることはない。死んでいるのだからそうか。この体は、魂を映し出した虚像に過ぎないといった感じなのだろう。そんな無敵な状態であるため、1人でも家事は全然こなせるのだ。


 朝食の準備とお嬢様の朝に必要なものの準備を終え、朝の7時、お嬢様の起きる時間だ。目覚ましの音は聞こえたがすぐに消えた。しかし、5分、10分経過しても部屋から物音がしない。


気になったので、ダイニングでやっていた朝食の準備を中断し、2階に上がる。主人に危険がないかのチェックのために一応ノックし、応答がないのを確信した上で、お嬢様の部屋のドアを開ける。


そして中を覗くと、淑女としてどうなのか?というような、はしたない姿のお嬢様がベットで爆睡していた。安全確認よし。そしてそっとドアを閉める、まるで何もみていませんよと言うように。主人の遅刻?そんなの知らない。


学生の遅刻は誰にも迷惑をかけない、お嬢様の教育のためにも痛い目を見た方がいいと思う、だから何もしない。


 そして7時半、外に出るのに準備が必要のない男子なら余裕だが、女性なら急がないとまずい時間帯になる。


朝食を準備し終え、ダイニングの壁際で立って待っていると、上から階段をドタドタドタと降りる音が聞こえてくる。そしてダイニングに寝癖も立ったまま、パジャマも着たまま、メイクもしていない、だらしのないお嬢様がやってくる。ダイニングの入り口から見てすぐ右に立っている俺を睨み、お穣様は言う。


「ちょっと龍斗!なんで起こしてくれなかったの?!もう7時半よ。早くしないと遅刻しちゃうじゃない!」


焦って動転しまくりのお嬢様が俺に寝坊の責任をなすりつけようとしてくる。そんなお嬢様に、にこやかに答える。


「お嬢様、夜の携帯は控えてくださいと言ったでしょう。貴方は寝ぼけた状態でも時計のスヌーズを止めてしまうのだから、目覚まし時計はあんまり意味をなさない。だから睡眠時間を増やして一発で起きられるようにしましょうと。」


あっさりと正論を言われ、お嬢様の顔が膨れる。顔を膨らませても華麗にスルー。


「さあ怒る暇があったら学校に間に合うように努めるべきでは?」


顔を膨らませたまま、朝食の席に着く。流石に今日は礼儀作法には目を瞑ろう。ものすごい勢いで朝食を食べたあと、お嬢様は支度に取り掛かる。自分の力だけでは間に合わないと判断したのか、俺に髪のセットを要求してきた。メイクの経験なんてなかったが、俺には妹がいたため、女性の髪の扱い方には多少の心得があった。


セットを終えて鏡で見せると、お嬢様は髪について文句を何も言わず、そのまま大急ぎで俺の準備した学校の用意一式を持って家を飛び出した。


「いってらっしゃいませ。お嬢様。」


お嬢様は振り返って手を振り、全力疾走した。あれでは大原家の淑女として気品ある行動なんてできているとは思えない。ため息をつき、俺は自分の仕事に戻る。


 この家でやるべき仕事は多い。仕事は一般な家庭でやるような家事である。だが、この家は大きいため、そうじにはものすごい時間がかかる。


毎日お嬢様の部屋と空き部屋の2部屋を掃除するが、1ヶ月経過してようやく全ての部屋の清掃が終わった。そして一番最初に掃除した部屋は1ヶ月が経過して、少し埃をかぶっているかもしれないからまた掃除する。


使わない部屋が9割であり、多くが施錠されている部屋で、俺はその鍵を持っていない。本来ならドアを壊さない限り、入れないのである。でも俺はその部屋の中にドアを壊さずに入ることができる。


なぜなら、俺がもう死んでいて、幽体をもっているからだ。俺の肉体はすでに墓の下だ。今の俺には肉体はない。俺のこの体は魂に外付けする形であるだけなのである。今の俺は実体を出せる幽霊といった状態らしい。だから自在に幽体になることが可能であり、壁を透過して侵入できるのだ。部屋に入れてしまう以上は、家事を任されている従者として掃除しなければならない。

 

 この屋敷の部屋が多いから掃除が大変、とは言ったが、大変な理由はもう一つある。お嬢様の生活能力のなさだ。服をカゴに入れることができない。出したものをしまうことができない。そしてなぜかものが増え、さらにその置き場所を決めない。


俺を雇うまでの間、どのように生活していたのか気になるレベルでなにもできない。本当に甘やかされて生きてきたのだろう、俺も甘やかしているのだが…。


朝はお嬢様の脱ぎ捨てたもの全てを洗濯、そして前日に干したもの、乾燥機にかけたものをしまう、すべて…。


そしてベットの熱風殺菌、シーツの取り替え、絨毯の清掃、そしてクローゼットにあるドレス等の状態の確認。広いのに凄まじい散らかし具合の部屋。これに毎日時間を割かれてしまうのだ。


 部屋の掃除が終われば次は庭の掃除と手入れだ。庭は広いが問題は広いところではない。俺がくる前まで数ヶ月放置されていたため、草木が生い茂っていることが俺の頭を悩ませている。


庭の手入れの経験は全くない。人の目につくところだけ簡単に見た目を整えることしかできない。いずれ人が来た時に恥ずかしくないようにしなければな。そうこうしていると夕方の3時になる。


俺の体は食事は必要はなく、肉体的な疲れはない、だから気づいたらものすごい時間が経過している。


「あ、まだ今日の夕飯の買い物してない。」


庭の手入れに夢中になりすぎて、買い物をすっぽかしていた。表の草だけ形を整えて切り上げ、私服に着替えて(俺はイメージで服を変化させることができる)、近くにある商店街へと向かった。


幽体を使って飛ぶこともできたが、歩いて商店街までの道を進んだ。買い物をすっぽかしていたといっても、夕飯まではだいぶ時間があるため、ゆっくりと街並みを見ながら歩く余裕がある。


死ぬまではこうやってゆっくりと周りを見ながら歩くことなんてないほど忙しかった。小学校から帰るランドセルを背負った子供たち、これから誰かの家に行くのだろうか、陽気な声が聞こえてくる。家の塀の上を歩く猫、暇そうに伸びをしている。どこかの家からは女性の怒鳴り声と子供の鳴き声が聞こえてくる。


今感じるもの全てが今まで自分の身近にあったものであるはずなのに、とても新鮮な感じがする。このゆったりとできる時間は、お嬢様がいらっしゃらなければ、得られなかったものだ。お嬢様がくださったこのゆったりと過ごせる時間を大切にしていきたい。


 そんな感じで周りのほのぼのとした雰囲気を味わっていると商店街に到着した。この街に来て早1ヶ月。週に4、5回はここに来て食費削減のために特売を狙っている。


「仲村さん、豚の薄切りー訳ありー200gお願いします。」


精肉店の店員の仲村さんに声をかけて豚肉を頼む。


「あら、柊くん、今日も買い物かい。本当に家計を考えて買い物してるんだね。それ、今日はもう残り300gしか残ってないから全部持っていきな。値段は200gのでいいから。」

「いつもありがとうございます。」

「いやいや、大原さんには昔からずっとお世話になってたから、恩返しされてると思って。」


そう言われお肉を受け取り、次のお店へ。他のお店の人も仲村さん同様、フレンドリーに話しかけてくださる。商店街の人たちと話せるようになってきて、大原家がいかに名家であったかを実感した。


街の人は皆大原家に敬意を払っているようだ。この町の人の見ていると不安になることがある。お嬢様は、外でしっかりと大原家にふさわしい態度でいるのだろうか。地域の人たちに失望されないような言動をしっかりとできているのだろうか、気がかりだ。


 今日明日の必要なものは買い揃え、帰宅する。時間は夕方の5時。お嬢様はそろそろ帰ってくる。


家に帰ると何かと仕事の邪魔をしてくるので、できるだけできることはやってしまいたい。


邪魔するのに、それで食事遅れると怒るのは何とかして欲しい…。


〜〜〜


お嬢様の帰りがいつもより遅い。おかげで準備は滞りなく進み、もう邪魔されても大丈夫なほど夕食は完成した。あとは盛り付けと簡単にサラダを作るだけ。


片付けもスムーズに行うため鍋洗いを始める。お嬢様が一言「お腹すいた」といえばいつでも夕食が食べられる。


時刻は6時半、遅れるなら連絡の一つくらいよこすはず、だが来ない。まさか身代金目的の誘拐?!いや、うちが没落したのはもう周知の事実のはず…なら普通に誘拐された?!タチの悪い奴らに。


あぁ、どうしよう、焦り駆け足で厨房から出てリビングに行くと、リビングにはお嬢様が。


「あれ?!」

「ちょっと、ご主人様が帰ってきて、おかえりなさいませ、もないの?」


ん、お嬢様が帰ってきてる?


「あぁ、おかえりなさいませ、お嬢様。いつ頃お帰りになられたのですか?」

「?いつも通り5時過ぎくらいだけど?」


え、全然気づかなかった。


「今日はお嬢様が邪…お話に来なかったので、てっきり何か用事のために学校に残っていると思ってましたよ。」

「なによ、別に毎日そんなことするわけ…ちょっと待っていま邪魔って…」

「さあお嬢様、夕食のお時間です。席についてお待ちください。」


口が滑ったことはなかったことにする。何かじーっと見てきている気がするがきっと気のせいだ。


そうか、うちの厨房は防音機能があるから外の音が聞こえないのか。だからお嬢様に気づけなかったのか。


つまり、今までは気づいていたということは、毎日お嬢様は料理の邪魔しにきてたんだな…


 主人のものをすべてダイニングまで運び、全てを整えたあと自分のものも食卓まで運ぶ。


本来従者と主人が共に食事をすることなどないが命令で同じ食卓で夕食をとっている。俺は食事が必要ないだけで摂取することはできる。お嬢様は一緒に食事をして欲しいんだとか。


「それで今日神谷さんが−−」


お嬢様はこの食事の場で学校生活について話す。俺はそれを自分の生きていた頃の学校生活に重ねながら聞く。


同じ人間でも視点が違うのだということをお嬢様と話していると自覚する。


他人に対する評価、学校の雰囲気について感じること、季節について物申したいことetc…。


お嬢様は日常生活を楽しんでいる。俺にはできなかったことだ。だからこそ、俺はお嬢様の生活を守っていきたい。俺にこの日常を与えてくださったその恩を返すためにも。


〜〜〜


 食事を終え、お嬢様が自室に篭り始めても仕事は続く。食器洗いや洗濯はもちろんだが、大原家の銭湯並みに大きなお風呂の掃除をしなければならない。


どこかに滑りやすい場所はないか、カビはないか、1日で全てやるのは困難なので、毎日確認し、簡単に手入れをする。


10時にお嬢様は体を流すため、それまでには終わらせなければならない。勘違いはしないで欲しいが、執事だからと言ってお嬢様の体を洗うことなど決してしない。そんなこと、従者は妄…想像してはいけない。


 夜、11時、それがお嬢様の就寝時間だ。お嬢様が10時にお風呂に入ると、お嬢様の就寝のための準備を始める。


寝巻きを用意し、朝干したシーツをつけ、ベッドを適温に調整する。そして、夕食を食べてから今までのたった3時間で荒れた部屋を掃除し直す。ここまできたらもう才能だ。


大体30分程度でこの準備を終わらせるとお風呂から出てきたお嬢様が部屋に入ってくる。そして自分の椅子に座り、俺に命令する。


「龍斗、ドライヤー。」

「…(嫌だという顔)わかりました、背をこちらに、お嬢様。」

「何か不満でも?」

「いえ、なんでも。」


顔に出ていたようだ。気をつけないとな。さっき口が滑ったのもそうだが、どうやら、思ったことは口にも顔にも出るらしい。ドライヤーをお嬢様の座っている椅子に一番近いコンセントに繋ぎ、お嬢様の髪を持ち、丁寧に弱い風で乾かす。


ドライヤーの風の音がうるさいため、お嬢様が少し大きな声で話し始める。


「言ったわよね、私はめんどくさいけどいいって?あなた承諾したわよね?だから私は軽いことでも、どんどん迷惑をかけていくんだから、嫌な顔しないのよ。」


顔に出さないように気をつけようと思ったばっかなのに顔が引き攣った。まじか…。


「まさか、部屋を常に散らかしているのもわざとだったりしますか?」

「わざとな訳ないじゃない。ただ、あなたが片付けてくれるから自分でなにもしないだけよ。」

「(それをわざとというのでは?)生活感がないのではなく、ただ放置していただけなのですね、安心しました。」

「あまり前でしょ、あなたが来るまで1人で暮らしていた時期もあったんだから。」


よく考えたらその通りだ。ということは…


「お嬢様、もしかして家事全般できるのですか?」

「そんなの当たり前でしょ!」

「ならなぜ何もしないのです?」

「従者が主人に向かってなぜ家事をしないのかって普通聞く?ありえないと思うわ。」

「失礼しました。」


お嬢様の髪も乾かし終わり、ドライヤーを仕舞う。そろそろ11時も近い。主人に就寝を呼びかける。


「お嬢様、そろそろ11時でございます。明日、今日のように寝坊してしまわないようもう寝てくださいね。」


そう言ってお嬢様からスマホを取り上げ、ベットから離れた机の上に置く。


「あ!」

「お嬢様、なんで今日寝坊したか忘れたのですか?スマホをベットの横に置いておいたらまた夜更かししてしまうでしょう。」


頬をふくらませ、お嬢様は自分のベットに入る。それを確認し、俺は部屋の電気のボタンに手をかける。


「では、おやすみなさいませ、お嬢様。」

「おやすみ、龍斗、今日もありがとう、明日もまたよろしくね。」


電気を消す。そしてお嬢様が横になったのを確認し、ドアをそっとしめる。


 俺が11時以降も活動をすると、お嬢様の安眠の邪魔をしてしまう可能性があるため、5時までは従者用の居住棟(大原家の敷地には本棟以外にも従者の寝泊まりができる居住棟がある)で過ごす。


自分用の椅子に腰掛け、机に書物を重ねる。家計の確認をしたり、大原一族の今日までの軌跡を見たり、自分の礼儀作法を見直したりと、知識の吸収や事務作業を行う。


そして5時になれば、また1日が始まる。

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