花筵

 秘密の花園にその女の子はいつもいた。

 草木がいっせいに咲き誇ってる中で一番綺麗な八重桜の下にいつもいた。

 八重桜の下には長椅子があって、女の子はいつも日向ぼっこをしていた。

 日向ぼっこしてる彼女はとても幸せそうな顔をしていた。まるで、太陽の光が命の糧のように。

 僕が秘密の花園に行くと、女の子は手を振る。

「今日はきなこ棒を持ってきたよ」

 そう、小学生には少ないお小遣いでしか買えない駄菓子を彼女はいつも喜んでいた。

「きなこがポロポロ落ちちゃうね」

 もぐもぐしながら彼女は笑っている。僕もきなこ棒にかじりついて笑った。

 彼女の名前は八重花。薄い色の八重桜みたいなお淑やかな女の子だった。

「明日は何食べたい?」

 僕が聞くと八重花は遠い空を見ながら答えた。

「青海堂(あおみどう)の桜餅」

 そう僕のノートに八重花は書く。八重花は少しばかり緊張している顔をした。なんでだろう、僕は八重花の食べたいものを持ってきたいのに。

「いいよ」

 返事をすると八重花は嬉しそうに目を輝かした。

 八重花は病気で声が出ない。だから、この花の庭から出れない。

 でも、僕はいつか出してあげたいんだ。

 僕は大人になったらお医者さんになるんだ。八重花の病気を治してあげるんだ。

 それで、それで。八重花に雪のような白無垢を着させてあげたいんだ。


 青海堂は僕の家の近くにある和菓子屋だ。手がしわくちゃのおばあちゃんが一つ一つ丁寧に作っている。おばあちゃん1人が作っているから、1日に出来る個数は限られている。けれど、近所の人からは愛されているお店だ。

「久しぶりだねぇ」

「久しぶりじゃないよ。この前来たじゃないか」

 確か、2週間前にも僕は団子を買いに来た。花見用の団子を。あれ。なんで、また花見用のお菓子を買ってるんだろう。

「いんや、ババは確かに覚えているんじゃよ。何年ぶりかのぉ。うん、うん、その感じだと……」

「おばあちゃん?」

「何でもないよ。あんたには、いるべき岸があるからの」

 おばあちゃんは桜餅を2つ僕に持たす。

「今度は東京の珍しい菓子でも持って来てくるんじゃよ」

 笑いながらおばあちゃんは店の奥に行ってしまった。

「東京なんて、僕じゃあ遠くて行けれないよ」


 次の日、僕は八重花のいる花の庭に来た。真っ白なワンピースをひるがえして、彼女は僕の元にやってきた。

「青海堂の桜餅買ってきたよ」

 青海堂の桜餅は関東風の桜餅だ。おばあちゃんは秋田から関西の田舎に来た。だから、関東風の桜餅が売っている秋田と同じものなのだ。

「えっ」

 でも、袋の中にあるのは関西風の桜餅だった。僕がこっちに来てからよく見知った……。こっち?

「青海のおばあちゃん気づいてたのね」

 女の子の声がする。横を見ると八重花がいる。

「ごめんなさい。本当は話せたの」

「それはいいんだよ。でも、どうして……」

「彼岸の人と話せば話すほど、此岸に戻れなくなるの。彼岸と此岸の中間にいる私だけではなく、彼岸にいるおばあちゃんとも話せるのね。思い出す時間が、来たのよ」

 彼岸ということは、おばあちゃんはもう死んでいる。此岸は生きている人の世界のはずだ。じゃあ、僕はどこにいるんだろう。

「思い出して、あなたは東京で仕事をしていたはずよ」


 僕は、確か関西の田舎に住んでいた。春になれば近所中で桜が咲いて。夏になれば野菜を近所の人で交換して。秋になれば新米を農家さんからもらって。冬になれば青海のおばあちゃんの家で餅つきをする。

 そんな、今どき珍しい田舎に住んでいた。

 田舎の風習か、僕が生まれた日に1本の桜が植えられた。記念樹と言うらしい。

 昔は桐の木を植えて、タンスにし、嫁入り道具にしたそうだ。

 僕は男だから「色んなことが成功しますように」と桜の木が植えられた。桜は桜でも八重桜だ。花びらが重なっているからたくさん叶えてくれそうだと言う理由で。

 僕と八重桜は一緒に育った。濃い花びらが多いはずなのに、この木は薄色だった。控えめに咲く、背の低い桜だった。

 春になれば毛虫がよるから近寄れなかったけれど、いつか満開の桜に腰を下ろしてみたかった。

 ある春の事だった。

 お留守番をしていた僕は電子レンジで、ご飯を温めようとした。レトルト商品だった気がする。子供だからすぐ別のものに興味が移って電子レンジから離れた間に、火花が起きた。

 そして、そのまま家は……。

 レトルト商品は当時、電子レンジ対応のものは出始めたばかりで、子供の僕は区別がつかなかったのだろう。

 幸い、火事は家と庭だけだった。田舎だから近くに家がなかったのが幸いした。

 けれど、僕はその場所に住むのが怖くなって、両親の提案で引っ越した。僕と一緒に生きていた八重桜を、八重花を殺して怖くなったのだ。

 そして、僕はそのまま大人になった。目まぐるしい東京の環境と仕事についていけなくて。

「毎日、死について考えてたんだ」

 八重花はひとつ頷いた。

 その姿も、眼差しも、唇も、あの八重桜そのものだ。たった8年間しか生きれなかった小さな背。満開の桜のように大きな瞳。薄い紅色の唇。僕の記念樹が目の前にいる。

 幼い見た目なのに、理知に富んだ表情を見せる八重花。

 八重花は、自分が死んだ理由を知っている。僕が死に取り憑かれているのも。知っていて、僕とずっと一緒にいたんだ。

「八重花……」

「私は怒ってないよ。あなたの身代わりになれて幸せよ」

 八重花は優しく微笑む。それはまるで、女の子の姿をした母だった。

 僕はその姿を見てしまった瞬間、八重花を抱きしめて泣きじゃくった。

 ごめんなさい。ごめんなさい。本当にごめんなさい。熱かったよね。痛かったよね。忘れたらいけないことなのに、僕は……。

 八重花の体は軽くて、花びらみたいに柔らかった。

「最後に、お願いがあるの」

 そう、八重花はお願いした。薄紅色の瞳を寂しく細めながら。

「八重花の願いなら」

「この花園を、私ごと燃やして欲しいの」

 八重花、君は、また僕に罪を犯せと言うのか。

「今度こそ、あなたの成功を願いながら彼岸に向かいたいの。次あなたが起きた時には辛いことを全て、私が持っていってしまいたいの」

「なんで、そんな苦しいこと……」

「苦しいわ。だって、私の片割れが苦しんでるんだもの。なら、助けるべきでしょ。最後だけ、お姉ちゃんでいさせて」

 そう、八重花は僕の手にライターを握らせる。

 此岸で、何度も自傷に使おうとしたライターだ。

 八重花は手を振っている。大きくなって僕と同い年になった八重桜の木の下で。

 涙が止まらない。でも、これが罪滅ぼしとなるならば。

 僕はライターで八重桜に火をつけた。

 火は魔法みたいに広がっていく。僕の大好きな花園が消えていく。もう二度とない、花園が。

「彼岸で、お嫁さんにしてね」

 いっせいに燃え盛る様子は花筵だ。桜が舞い散っているようだ。

 あぁ、八重花。僕は君に会えるまで此岸で生きていくよ。

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雨の日の図書館 五月七日 @tenkiame_am57

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