来世は綺麗だといいな
「麗花ちゃんはぽっちゃりしてるわね。妹ちゃんはこんなに可愛いのに」
小さい頃からそう近所の人から言われてきたのを23歳になった今でもずっと覚えている。
双子の妹の美花は名前の通り髪が長くて美しくて、二重の目が大きくてリップをつけなくても唇もぷっくりしていた。「立てば芍薬、座れば牡丹、歩く姿は百合の花」がまさに似合うような人だ。
一方の私は髪も癖っ毛で上手くまとまらないし、目だって一重だ。唇もガサガサで、いつも妹と比べられない様に顔を俯かせて猫背で歩いていた。
身内ということを除いても可愛い妹が羨ましくて仕方なかった。だから、私たち姉妹が比べられる度にお母さんが、
「そうなのよ。本当に麗花は可愛くなくて」
と、笑っていたのが幼い私には余計傷ついた。
だから小学校でも比べられた。
「長嶺はブスだよなー! 妹は可愛いのにさ!」
「本当に姉妹かよ!」
その度に妹は私の前に立ちはだかるといつも怒っていた。
「お姉ちゃんにひどいこと言わないで!」
そんなのだから妹はいつも褒められていた。「美花ちゃんは優しいね」って。だから、妹は中学に上がってさらにモテた。バレンタインには逆にもらわれるし、卒業式には第二ボタンもらうしさ。他校の生徒から告白されるし。でも高校生になっても彼氏を作らなかったから女子から疎まれていたらしい。そう思っていたら去年、恋人を実家に連れてきたらしい。結婚の挨拶だって。私は県外に住んでいるからお母さんから聞いたことしか知らないけど、大学で出会った好青年って聞いた。
妹はこれから幸せになるんだろうな。絵に描いたような幸せな人生な事だ。
でも、私はもう妹とは違うから。そうほくそ笑みながら今日も家を出るのだ。
頭だけは良かった私は高校は妹と別の進学校に進学した。そのまま真面目に勉強をして、県外の国公立大学に行く代わりに一人暮らしをさせてもらった。私はお小遣いを貯めて大学デビューをした。高校の時からずっと動画を見たり、こっそりメイクして練習していた。大学に推薦で受かってからはダイエットもして大学デビューは成功した。周りの目も変わったのにすぐ気づいた。彼氏も出来たし、別れても次また出来た。でも、男を見る目も養ってきた頃、恋人が出来なくなった。一気に自分に価値がないと不安になって講義も出られないぐらい寝込んだ。そうしていくうちにまた痩せた。食べられないから当然か。五キロぐらい痩せた頃、ショッピングモールで男の人に声をかけられた。
「三万で俺としてください」
なんて、ね。私の身体、三万なんだって思っちゃった。たったそれっぽちの価値なんだって腹が立って、逆に言い返してしまった。
「五万ならヤってあげていいよ」
挑戦的に言ったのが良かったのか、悪かったのか男性は頷いてしまった。しかもご飯もおごるという。こうなっては後に引けなくなり私はゆっくりと頷いた。
恋人以外でセックスするのは初めてだったけど、とうに私の心は冷え切っていた。だから気持ち良くもなんともなかった。もう私に失うものなんてないと思っていたけど、虚無感に私にもまだモラルってあるんだって思った。
それから私は色んな人とセフレ関係になった。SNSや掲示板で捕まえてはお金をもらったり、美味しいものを食べさせてもらったり、ブランド物を買ってもらった。部屋に増えていく高級ブランドの数と口座の額、膨れる胃と比例して私は講義に出ることが少なくなった。でも、私は「イイ子」だから留年しないぐらいにはちゃんと出席もしたし、提出物も出した。毎年ギリギリだけど何とか卒業も出来た。
「お前が卒業できるなんてな。正直、ヒヤヒヤしたよ。あんなにいい成績で入学しなのにな」
教授からの嫌味もこれで終わるんだって一安心してしまった。新社会人になってからも不純異性交遊は止むことはなかった。むしろストレスを性行為で発散している所はあった。仕事帰りに男と約束して、セックスして、帰って死んだように寝た。
そんな生活が数年過ぎた頃だった。私は数年ぶりに恋をした。
憂いを帯びた表情に透き通った瞳、どこか達観している雰囲気は私と違う何かを感じさせた。一目ぼれだ。
会社に勤めているその人は異動で私の部署に来た。最初は会社の付き合いで話をした。そこから連絡先を交換して、プライベートの事もだんだん話すようになった。
会社の人から距離を置かれている所が後ろめたいことをしている私と同じだと勝手に親近感を持ってしまう。そんな彼に私はどんどん惹かれていった。
「聖さん、お仕事お疲れ様です」
今日も私は会社の前で待つ。彼は相変わらず憂いを帯びた表情で私を見ると彼は会釈した。
「お疲れ様です。長嶺さん」
「今日はこの後、ご予定はありますか?」
「今日はないですよ。どうかしましたか?」
こう言う素っ気ないところが好きになったのかも。私じゃない別のものを見ている姿が何を見ているのか気になって仕方なかった。それが私じゃないから、私にしてしまいたい。だって私、こんなにもモテるようになったんだもん。絶対、あの人を手に入れるんだから。
私は一歩前に出ると胸の大きさを見せるように前で手を組んで彼に寄った。
「この後、ご飯でもどうですか?」
彼はいつもの無表情を崩さず、頷いてくれた。いつかこの顔を笑顔にしたいな。
「どこに行きますか?」
「お任せしますよ。聖さんの行きたいところで」
そう言うと彼はいつも宗教画のあるファミレスに行く。そして、いつもお気に入りだという絵画の前が空いてたら座るのだ。今日は空いてなかった。店員の申し訳なさそうな言葉に彼は、
「そうですか……」
と、しょんぼりしていた。私では動かない顔がその絵では動くのが嫉妬してしまう。でも、いつか私にだってそんなに感情が動いてくれるよね。
案内された絵は女性がたくさんいる絵だ。あれは妊婦だろうか。平坦な絵の背景には森が浮かんでいる。絵画について分からない私にはただそうとしか感じない。
「あれは何の絵なんですか?」
そう私が聞くと彼が答えてくれた。
「これはボッティチェリの『プリマヴェーラ』です。イタリア語で『春』という意味なんです。『ヴィーナス誕生』で有名な画家なんです。結婚に関連されて依頼された絵とされているのでこのような華やかな絵で女神を描いているんです。中央にいるヴィーナスは普遍的な愛、左にいる三人の女神はプラトニックな愛、右側にいる二人は肉体的な愛を表していると言われています」
「プラトニックな愛……」
思わずつぶやいてしまった。そんな愛なんて存在しているのだろうか。ないに決まっているか。私から手放したはずなのに、被害者みたいに悲しんでいる自分がいる。暗い顔をしている私とは打って変わって、彼はどこか遠い世界を夢見るような眼差しで絵画を見つめていた。
「プラトニックな愛、いいですよね。憧れます」
私の中で壊れる音がした。この人とは一緒にいれないんだなって。だから私のことは見てくれないんだって。
その日の食事代は私が払った。胃が重くて早く帰りたいと思いながら早々にその日は解散した。
泣きたかった。泣きたくて仕方なかった。家まで堪えきれなくて夜の道路で泣きながら帰った。家まで我慢できない私が馬鹿みたい。帰って手を洗うために洗面所へ行くとメイクが崩れている私がいた。マスカラとアイラインが落ちて目の周りが滲んでいる。ファンデーションもドロドロだ。
「ヤダ……こんな顔してたんだ。絶対嫌われたよね」
化粧も落とさずにフラフラと布団に突っ伏す。化粧落とさずに寝るのはヤバいってよく聞くけれど、今日ぐらいいいや。あーでもせっかく毎日化粧落としていたのにな。これが年取ってシミになるんだろうな。いいや、もう。彼とは結ばれないんだし。
眠気はすぐ訪れなくて、どんどんネガティブになっていく。私はどうせブスなんだ。顔だけじゃなくて体も、心もブス。顔だけブスだったのに自分からどんどんブスになっていったんだ。あの頃の私に戻りたいな。小学生に上がる前、まだお祖母ちゃんが生きていた頃。お祖母ちゃんは私たち姉妹を比べたりしなかった。あの頃は幸せだったな。
涙を流したってもう過去は変えられない。私はこのまま汚い人間のまま終わっていくんだ。底辺のままなんだ。
そう、その日はお酒をたくさん飲んで酔いに任せて寝た。
それから一ヵ月、彼に会うことはなかった。その代わり、やめていた男遊びが増えた。男に抱かれている時は何も考えなくて済んだ。でも、終わったら無性に虚無感が襲ってくる。だからまた繰り返すを続けていた。
ある日の事だった。上司たちの勧めで彼と仕事をすることになった。嫌だな。けれど上司命令なので仕方なく一緒に仕事をする。彼は相変わらず憂いを帯びた表情で仕事を淡々とこなしていく。私の事なんて気にしてないかのように。当たり前よね。
「長嶺さん」
「あ、はい」
急に名前を呼ばれてびっくりした。なんだろうと思っていると彼はこう言った。
「今日、またご飯行きませんか?」
「はい!」
意気込んで答える自分が恥ずかしいし、ちょろいと思った。でも、嬉しい自分がいた。
「じゃあ早く終わらせましょう!」
その日は残業が少しだけ早く終わった。
いつものファミレス。彼は好きな絵画のある席に座れて嬉しそうだ。彼の好きな絵を改めて見る。虹色の翼を持った天使と女性の絵。女性はどこか悩まし気に見える。
「そういえばこの絵、何の絵なんですか?」
「受胎告知です。キリスト教で聖母マリア様がイエス様の子を授かったと言われているシーンです」
様、をつけるあたりに若干の引っ掛かりを感じた。でも、それぐらい好きなんだろうと思った。けれど、彼が続けた言葉は違った。
「僕、キリスト教信者なんです。カトリックの。だから宗教画も好きなんです」
「だからプラトニックな愛が憧れなんですね」
「はい。みんな厳格にしているわけじゃないんですけど、僕は守りたくて。カトリックは婚前交渉も自慰行為も禁止なので」
そこまでなんだ。気が狂いそうにならないのだろうか。でも、熱心な人は守りたいんだろうな。救いがあると信じて。
「聖さん。罪って許されると思います?」
「許されると思いますよ。少なくとも僕はそう信じてます」
思う、その言い方に私は引っかかってさらに聞いてしまった。
「どうして『思う』って言ったんですか」
「神を信じる、信じないはその人によって違うじゃないですか。だから、そう言ったんです。僕は周りの人達に押し付けたくないので」
「そうなんですね……」
「どうしても勧誘されるイメージがありますよね。でも、実際の信者というのはそうでもないのです。自己完結してる人が多いと言いますか」
意外だ。街を歩いていると勧誘もあれば、田舎には張り紙だってある。だからそれが普通だと思っていたのだ。
「私、許されたい罪があるんです」
ポロッと出てしまった。これが本音なのかもしれない。私はずっと止めたかったんだ。さっさと止めて、彼に似合う女の子になりたかったんだ。
「信者にはまだなる勇気がないけれど……神を信じてもいいのかな」
そう言う私に彼は頷いた。
「いいんですよ。神の意思は僕には分かりませんがあなたに許されたい気持ちがあるならきっと」
「私も教会とかに行きたいけれど……どうしたらいいですか」
「日曜日、ミサがあるので行きましょう。まずは感じるだけでいいので」
日曜日。彼の通っているという教会にやってきた。彼から大体の流れは聞いたけれど、ドキドキしてしまっている自分がいる。聖堂入口近くにいる「案内」の腕章を付けた人に彼が声をかける。
「彼女、初めてなんですけど……」
「そうでしたか。ようこそ」
紋章をつけた人は優しい笑みで迎えてくれた。ミサは「開祭の儀」「言葉の典礼」「感謝の典礼」「交わりの儀」「閉祭の儀」の五つに分かれているらしい。彼が色々説明してくれたけれど、わからないまま進んでいく。とりあえず、周りと同じことをするようにした。
言葉の典礼では復活節というのにヨハネの黙示録が読まれた。お説教が終わり、起立して「信仰宣言」と「共同祈願」を唱えると感謝の祭儀に移る。レオナルド・ダ・ヴィンチの絵で有名な「最後の晩餐」に由来しているそれは聖体であるパンと葡萄酒が祭壇に運ばれるという。この時に献金が行われるらしく、私も入れておいた。ホスチアと呼ばれる聖体が白いせんべいみたいで驚いた。美味しそうとも思ってしまう。
閉祭の儀まで続いて行くのだが、私は先ほどのパンが気になって仕方なかった。本当は厳かなものなのに。私の罪は深くならないかと不安になってしまったが隣にいる彼を見ると安心してきた。
閉祭の儀が終わり教会をあとにした私は彼に話しかけた。
「聖さん。上手く言えないんですけど、凄かったです」
「それならよかったです」
「聖さんはどうして信者になったのですか?」
私の何気ない質問に彼は顔が曇った。そして遠い目になるとポツリ、ポツリと語り始めた。
「僕は……母を殺してしまったのかと思ってしまっているんです」
「どうしてですか?」
思ってしまっている、つまりそれは「殺した」わけじゃない。きっと。もっと悲しくて深い理由があったんだ。
「母は学生の頃、病気で亡くしたんです。でも、亡くなる前の日に、もう最後になるかもしれないって分かっているのに、自分の事を優先にしてしまったんです。当時の僕は学校が楽しくて仕方なかったから、父からの連絡を無視して遅くまで部活をしていました。帰ったら家は真っ黒で誰もいなくて。行き違いで母は病院に運ばれたと母が亡くなってから知りました。最後に母は僕に会いたかったこと、まだ僕が帰ってくるまでは死にたくないと言っていたと、父に怒られました。それから家族仲も悪くて疎遠です」
「聖さんも許されたかったんですね」
「はい。僕も許されたくてここに逃げてきたんです。いつか好きな人と結婚する時、今度はその人を守ることで許されるのなら……そう考えるとプラトニックな愛を求めるようになりました」
彼は優しいんだ。誰よりも優しくて、愛情深いからここまで悔いてしまうんだ。神様。早く彼を許してあげて。欲を言えば、私が包み込んであげたいよ。でも、彼にとっての救いは違うの。神様じゃないといけないの。
だから、私はあなたの後ろにいさせて。罪深い私はそれだけでいいから。
その日から私も通うようになった。まだ信者になれる自信はないけれど、周りの人たちは温かく受け入れてくれた。
神様の言葉がわかるに連れて私は許されている気がした。参加するたびに真っ黒に煤けた私がどんどん灰色になっていくかのような。でも真っ白になれない私がいた。一度汚れてしまったんだから仕方ないよね。それでもいいや。前の私だったら考えられないことだから。
どんどん普通の女の子になれるにつれて過去の私が追っかけてくる。見て見ぬふりをするなって。
どんどん普通の女の子になるにつれて彼への恋心が追っかけてくる。お前には叶わないんだって。
「花、綺麗ですね」
教会に行く途中、彼が呟いた。真っ白いモクレンが咲いている。
「三月ですからね。私もこの時期に生まれたんです」
「そうなんですね。長嶺さんの名前にも『花』とついてますよね」
「両親が花のように綺麗に育ってくれるよう私は『麗花』、妹は『美花』て、つけたんだけど……名前には似なかったですね。妹だけ美人に育って結婚までしちゃっている」
「長嶺さんは綺麗だと思いますよ」
「へ!? そんなことないですよ! 学生時代の私を見たら絶対そう言えなくなります」
「それは僕もですよ。社会人になってから身なりは整えるようになったので」
そう彼はスマホで学生時代の写真を見せてくれた。私服なのと白衣を着ていることから大学生だろう。今は静かな美のある青年って感じなのにこの頃は少し太って眼鏡もかけている。
「僕、大学は理系で研究していたんです。だからレポートと研究三昧で……」
「この頃はまだ信仰してなかったんですか?」
「はい。社会人になってからです」
意外と信仰してから短かったことに驚いた。彼はそれすら感じさせないほど熱心だからだ。その誠実さとも呼べる真っすぐさが好きなのだ。
「私も見せますね」
「雰囲気だいぶ変わってますね。でも、元がいいからなんですね」
元がいいなんて初めて言われて嬉しかった。だから思わずにやけてしまった。
その日、帰り道に私はまた彼といつものファミレスに来た。今ならわかる、彼がこの絵が好きな理由。全ての始まりでもあるから。
早く嫌われてしまえばいいのに。
私の悪い癖が出る。私なんてっていう自分が出てくる。だから、彼に内緒にしていたことを話してしまった。
「私、異性と……セフレの関係になってヤるばっかりしてたんです。でも、そんなのいけないって分かっていて。でも、止めれなくて。そんな私が嫌だったんです」
「だから許されたかったんですね」
「はい。やっと許されつつあるのかなっておかげで楽になってます。妹が美人だからって妬んでこうなってしまったのも悔いてます」
「……長嶺さん。本当はもっと別の理由があったんじゃないですか」
「あり……ました。私、初めての彼氏に無理やりされたんです」
彼氏だからって安心して家に遊びに行った私が悪かったんだ。止めてって言っても止めてくれない。男の人は片手だけでも強くて。私の両手の力でも無意味になってしまう。その時に言われたんだ。
『麗花と結婚したいから。子供だって欲しい。だから身体のことも知りたいんだ』
だから信じてしまった。頷いてしまった私が悪いんだ。同意してるのと一緒だもん。そこからは地獄だった。避妊してくれると思ったらしてくれなかった。ゴムの用意すらしてなかった。思い返しても、怖いと痛いしか覚えてない。その怖いも痛いも朧気になってもう、どんなものか思い出せないけれど。
結局、私は行為が終わったあと逃げ出すように家を出て産婦人科に走った。実費でも何でもいい。また実家に帰るのが嫌だった。妹と比べられるのが嫌だった。蔑んだ目で周りから見られるのだけは嫌だった。
幸いなことに駆け込んだ産婦人科は優しい女性の先生だった。看護師さんも優しくて「怖かったわね」とずっと別室に入れてくれて、付き添ってもくれた。処置が早かったから妊娠はしなかった。それ以降、私はピルを飲むようになった。精神安定剤の代わりのように。
「だから私なんてもうどうなってもいいんだって自暴自棄になって……。性行為がないと愛なんてないんだって思うようになって……。聖さんに会ってビックリしたんです。世の中、清い付き合いを望む人もいるんだって」
「大丈夫ですよ。世の中、そんな人ばかりじゃないです」
あぁ、やっぱり言ってくれないよね。「僕はそうじゃないですよ」って。「僕は」の一言があれば救われたのに。
ねぇ、どうしたらいいの。この気持ち。助けてよ、神様。
「神父様、私はどうしたらいいでしょうか」
「どうされましたか、長嶺さん」
「私、好きな人がいるんです。でも、私は過去に神に背いたことをしていて……。それが負い目になって自分らしくいられないんです」
「大丈夫ですよ、長嶺さん。あなたはここに来て変わったのですから」
「ありがとう……ございます」
ああ、欲しい言葉は違うってわかっている。分かっているから私は色んな人に聞いてしまう。脈アリかって。友達、匿名のSNS、みんなに聞いても欲しい言葉は返って来ない。「脈アリだよ」って言われてもやっぱり「脈ナシだよ」って言われたい自分もいて。でも、逆も辛くて。もう何が欲しいの私。
そんな時、もう縁を切ったと思っていた元セフレから連絡が来た。
『久しぶりだけどまたしないか?』
もうこの際、こいつでいいや。一瞬の気晴らしになってよ。どうせ私は罪深い人間なんだから。彼は振り向いてくれないんだから。
「長嶺さん、顔色悪いですよ」
彼が心配する。知らないよ、だって私のこと見てくれないもん。
「何でもないですよ」
「でも、先週はミサに来てなかったですし……」
それには言葉が詰まってしまう。どう答えても神様に背いている気がするからだ。私はただ、笑うことしか出来ない。それが私の罪だと言わんばかりに。
「じゃあ、今週は一緒に行きましょうね」
私は頷く。彼には逆らえないから。私の神様には。
当日。朝になって後悔している私がいる。低血圧も相まって余計に嫌だ。このまま夜まで寝たい。夜、誰もいない時間に生きてまたセックスするだけの生活に戻ってしまいたい。
「聖さん、待ち合わせ場所にいなかったらいいのに」
そうはいってもいるものはいるのだ。いつもの場所に彼は今日も立っている。私に気づくと手を振ってくれる。私も渋々、
「おはようございます……」
と、手を振り返してついて行く。
なんでこうなってしまったんだろう。愛とか恋とか知らなかったら良かったんだ。彼に出会わなければよかったんだ。そう、神様なんて知らなければよかったんだ。何を信じても私の神様は彼なんだから。
今日が世界の終わりだったらいいに。
そう願っていた時だった。
「レイカ、なんで他の男といるんだ」
聞き覚えのある声に振り返ると元セフレがいた。だんだん彼氏面してくるし、執着されそうになってやばいと思って縁を切ったのがいけなかったのか怒っている。それをよりによって彼に見られたのだ。私の神様に。
「長嶺さん、この人は?」
「えっと……それは……」
「おい。お前、誰にでも股開いてんだろ。この前も他の男と会っているの知っているんだからな」
「ちが、違う……」
「じゃあ、これはどういう事なんだ!」
「僕も長嶺さんもただの知り合いですよ」
やめて。やめて。やめてよ、聖さん。でも、私の事壊して。壊してもうダメにしてよ。
可愛い音が狂ったように、転がすように壊れていく。私の中で全てが壊れていく。彼が突き付けたんだって。
「あと、これから僕たち教会に行くので」
教会という言葉に元セフレは少し嫌そうな顔をした。目が合うと逸らしてしまう私に元セフレは「よくわからねえ神なんか信じるやつとはもう関わらねえ」と去っていった。
「長嶺さん」
「やめて! 近づかないでよ! 私が本当はどう思っているか知っているくせに!」
「知ってますよ」
私は怖くて顔が上げれなかった。でも、彼は残酷にも続ける。
「君が僕のこと好きだって気づいてましたよ」
「じゃあ、じゃあ……! 私から離れてよ! こんな汚くて神から背いてる女なんて。それでもあなたに好かれたいと思う私なんて。知恵の実を手にして堕落したイヴと同じなんだから!」
「僕は確かにカトリック教徒だよ。でも、一緒にいる人は自分で決めるよ。それに君はずっと救われたいだけなんだから」
私は顔を上げる。すると彼は笑っていた。わかんない、わかんないけど嬉しかった。彼の言う一緒にいる人がどんな理由か今は知りたくもない。私の欲しい意味と違ったら今度こそも戻れなくなりそうだから。
「でも、これだけは言わせて。もうこんなことやめて欲しい」
その言葉に私は頷くと彼の差し出した手を握った。
ああ、聖人に救われた罪人はこんな気持ちだったのだろうか。
来世は綺麗だといいな。そしたら、あなたと自信を持って隣にいれるのに。
雨の日の図書館 五月七日 @tenkiame_am57
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