愛慕たる人形へ

「マジョだ!あいつはマジョだ!」

 と、一人の少女が言われるようになったのは一体いつの事だっただろう。

 他の世界か国だか分からないが、やってきた文化と言葉は余計な知識まで運んできた。

 もう反論をすることを諦めた彼女はただ、道具箱を持って逃げるしか無かった。

『この道具箱だけは必ずあなたの子供にも遺しなさい。そして、この道具箱だけは代々守り抜くと教えなさい』

 火傷のあとが滲むように痛く、残ると一緒で、名前も顔も忘れた母の言葉が、大人になった今でも彼女を苦しみ続けていた。


 長い長い逃避行の果てに、マジョは他の文化を受け入れない数少ない土地を見つけ出した。

 町外れの垣根。彼女はそこで小さな人形屋をしている。

 たまに街に行っては人形を売っているのだ。

「お姉さん、今日の新しい人形さんを見せて」

 子供たちは今日も彼女が箱の中に入れている人形を見たくて仕方が無いと集まってくる。マジョの人形は人間の子供たちに評判だった。

「いいわよ」

 マジョは一つ一つ木でできた人形を取り出して見せていく。

 森の木で出来た身体に、毛糸や麻の糸の髪、マジョの手によって描かれた顔は素朴で可愛らしい。洋服も手作りだ。

 さらにアヒルや、犬、猫といった動物もいる。

「お姉さん、この子をちょうだい。この日のためにたくさんお手伝いをしたの」

「なら私はこの子をちょうだいな。この日のためにお小遣いを貯めたの」

 子供たちは思い思いに好きな人形を買っていく。それを見たマジョは嬉しい気持ちもあったが、「あぁ、今日も食い扶持ができた」と安堵する気持ちの方が大きかった。

 マジョは普通の人間と変わりなかった。聖水だって触れられるし、銀の製品も好きだし、ニンニクも香辛料として使っている。普通の人と変わりない生活を知るために教会にだって足を運ぶ。

 村の人からすればマジョはただの大人びた女性で、ただの人形売りのお姉さんなのだ。

 マジョの生活は質素だ。人形を売ることで稼いだお金のほとんどは蝋燭といった自分では作れないものを買っている。

 野菜は自分で育て、肉は鶏や豚を買って肥えたら屠殺して、捌く。そして塩漬けや燻製にし、残った皮は街でお金に換金してもらう。

 牛乳はお金、野菜などと交換する。

 そうやってマジョは生きてきた。長く見えてそうで、たった二十年ばかりの人の生を歩んできた。

 他の文化を受け入れた海の向こうの国々は、どんどん生活が豊かになっているという。電気という神の力を得たとも人々は噂していた。

 いつか海の向こうの国々は永遠の命を手に入れるかもしれないとまことしやかに囁かれている。

 けれど、人間含めた生き物は死すべきものであり、命を得たことは全てにおいて祝福なのだと考えるこの国の人々は永遠の命など興味が湧かなかった。

 それよりも今年も豊作で、明日は晴れでも雨でも素敵な日であるならそれでいいと皆思っていた。

 マジョはこの国が大好きだった。

 前時代的な小さな国の集まりから出来たこの国の軍事力は低い。

 けれど、いつまでも人の心に無ければならない何かがあり続けていた。

 

 マジョは母親から受け取った道具箱をずっと開けていない。

 道具箱はカンナで表面を丁寧に削られたこと以外はただの桐の箱だ。

 あの中には膨大な力が宿っていることはわかっている。けれど、それを感じ取るだけで何も能力がないマジョには怖くて扱えないと判断したのだ。

 記憶の中の母親は道具箱の中にあるナイフで精巧な人形を作っていた。人間ほどの大きさの人形を。

 母親は仕事を見せる度にこういっていた。

「私たち一族は女性にしか受け継がれない力があります。この力は本当に寂しくて優しい人にしか使ってはいけません。そして、命を吹き込む大事な道具箱。これは私たち一族の宝。私たちの命よりも大事にしなければなりません。私たち一族が破滅をするならばその時は……誰かが燃やさなければならないのです」

 マジョは何故母親が人形を作っているのか、家族以外の弟子を取らないのか、道具箱に執着するかはわからなかった。

 ただ、母親の元にはいつも感謝をする人が毎日のようにやってきていて、生活の助けになればと何かと物品をくれていた。外界と絶っていると言ってもいい母親もこの時ばかりは人と関わっていた。

 マジョはこの先もこの道具箱は使うことは無いだろうと思ってきた。

 それほど彼女がここまで来る間、たくさん心も身体も傷付ききってしまったからだ。

 だから、せめて最後にと道具箱を開けた。

 この道具箱を見たら母親の教え通りに燃やしてしまおうと。

 桐の箱の中には同じく桐の持ち手にアメジストのような鉱石の刃が光るナイフが並んでいた。

 その中には一つの設計図があった。

 嶺麗しい男性の絵が描かれた人形の設計図だ。

 設計図の二枚目には続きと、もう忘れたはずのマジョの名前を宛名に、母親が自分の死後寂しくないようにと残したものだと書いてあった。

 マジョは血の繋がりなどどうでもよかった。ただ、この美しい人形を手元に置いておきたくて仕方なくなった。

 森で採ってきた一番白く上等な木材を満月の日から十五日間月光に晒して浄化する。

 そして、設計図には新月から満月になるまでの夜の間だけ人形を作ってもいいという。

 満月が来たらまたマジョは街で売る人形を作ったり、瞳や髪に使う材料を設計図通りに浄化していた。

 そして、新月が来ればまた作業に戻る。

 それを何年続けただろうか。

 カットを施したダイヤモンドの瞳に、髪には上等な絹の糸。滑らかな肌は陶器のようだ。

 どこかあどけなさを感じるものの、達観した成熟さを持つ不思議な人形がそこにいた。

 教会の彫刻にも匹敵する人形はマジョに動かない笑みをたたえていた。

 マジョは達成感に満ち足りたのか、疲れてそのまま眠ってしまった。

 そして、次の日は満月だった。誰もいないマジョの家に、彼女を起こす者がいた。

「ボクの主、起きてください。夕食を食べなければあなたは人間なので弱ってしまいますよ」

 顔を上げると人間そのものの笑みを湛えた人形がそこにいた。動きは滑らかで、瞬きをするとダイヤモンドがキラキラと輝く。

「あなたは、本当にあの人形……?」

「ええ。あなたのたった一つの力。『魂の宿る人形』を作ってくれたおかげです」

 マジョはようやく理解した。

 母親が尋ねてきた人の目的。

 一族が守りたかったものの正体。

 何故本当に寂しくて優しい人でないといけないのか。

 あの設計図を残した意味も。

「初めまして。ボクの主」


 命を得た人形はマジョと一緒に暮らした。

 人形はあまりにも造形が美しいのでマジョは外に出すことはしなかった。

「あなたにもこの外を見せればいいのに」

「いいんですよ。ボクはこの窓から見れる景色が大好きですから」

 人形はマジョのことを決して真っ向から否定しなかった。それは人形が自分を主だと思っているからだとマジョは割り切っていた。

 マジョは愛や恋の存在は信じていない。

 自分の人形がおままごとで家族を作られようが、教会で愛を唱えられようが、マジョの愛や恋という記憶はいつも灰の匂いと燃え盛る炎で染まっていた。

 だから、人形の事もただの助手としか思っていなかった。動かなくなれば飾ればいい、それだけの存在。

 マジョはある日、いつもとは違う遠い街へ出かけた。ここよりは栄えている大きな町だ。

 もうすぐ冬の祝い事が近い。一年で最も盛大に行われるお祝いだ。皆、無事に年を越せるようにこの日は神に祈りを捧げ、そしてご馳走を食べるのだ。

 だから、マジョも祝うためのご馳走を買いに行っていたのだ。人形は家でマジョの帰りを待っている。

 少しでも安全に冬を越すためにと人形を売りながら。

 この時期はオーナメント用や、贈り物用の人形が売れる。マジョはたくさん作った。人形もそれに手伝った。

 そして、大きな町で人形を売っていた時だった。

「異端審問だ!」

 教会の聖騎士を連れた司教にマジョは呼び止められた。

「教会まで来てもらおう」

 問答無用でマジョの腕を掴む聖騎士にマジョは身の潔白を訴えた。

「私は別の街で教会に通っています。それでも異端ではないと仰るのでしょうか?」

「海の向こうからマジョは赤い目をしていると聞いた。そして、この地にマジョの生き残りが逃げていると」

 その言葉を聞いたマジョは護身用の剣を懐から取り出し、鎧の隙間に剣先を刺した。

 仕込まれた毒にか、それとも剣先にか、もがいて手を離したその隙にマジョは逃げ出した。

 あぁ、もうこの国にもいれないのね。

「この剣はマジョの呪いがかかっている! 少しでも触れればあなた達は神に迎えられることは無いだろう!」

 マジョは護身用の短剣を振り回し、誰も寄せないようにしながらとにかく走った。本当はただの魚から得た毒を塗っただけの剣だ。けれど死後、神に迎えられることを何よりも大事にしている人々はマジョの言葉を信じ、蜘蛛の子を散らすように逃げていった。

 途中で振り返ると、誰も後ろにはいなかった。

 逃げ込んだ森をマジョは雪の中歩き続けた。季節を間違えればクマの餌に真っ先になってたであろう。それほど深く、周りを見れば動物の足跡が残る雪を見たマジョは追ってこない理由を悟った。

 手に持っていたマッチも消える吹雪へと変わり始めた時、遠くに人影が映っているではないか。

「死神が私を迎えに来たのね」

 そう、真っ青な顔をそれでも微笑ましたマジョの身体はついに雪の中へと埋もれていった。

「主! しっかりしてください!」

 かき分けて彼女を起こすのは人形だった。人形は彼女を抱えて「ここで雪が止むのを待ちましょう」と洞窟の中に入った。人形が彼女のためにクマが使っていない巣を探したのだ。

「あぁ、主。こんなにも冷たくなってしまって。待ってください、すぐに温めます」

 人形はそう言うとマジョの護身用の剣で長い絹糸の髪を切ってしまった。

 そして、残り少ないマッチで火をつけると自分の片腕を肘を関節部分で折ってしまった。

 そのまま、剣で自分の元腕だった木を燃えやすいように細かく花のように先を削った。

 どれもマジョが教えたことだ。

「これで明日まで持つでしょう。主、今はゆっくり休んでください」

 煌々と燃える焚き火を見ながらマジョは尋ねた。

「あなたの腕はどうするの? もうあの場所には帰れないというのに」

「それは知っています。異端審問があなたの家にやって来ました。ボクはすぐに気づいて逃げましたが、あなたの事が心配で探しに来ました。……良かった。そして、道具箱ならここに」

 人形がいつもマジョが近くの街に行く時に使っているカバンの中から道具箱を取り出した。

「これでボクの腕を治してください。大丈夫です、ボクがこの先もあなたを守るので」

 まるで騎士のようなことを言う人形にマジョは相手にしなかった。そんな安っぽい言葉や誓いなど彼女の人生で、幸福なことに繋がらなかったからだ。

「上手くいくか分からないわよ……」

「その時は片腕で守り続けます。ボクはあなたに作られ、そして自分の意思で生きてますから」

 マジョはその時初めて知った。人形は自分の意思で生きてるのだと。あの道具箱と自分の一族の力で『生きることになった』のだと思っていたからだ。

「自分の意思って言うなら、まるで人間のようね。人形であるあなたが人間らしいだなんて」

 皮肉を込めた言葉に人形は自身のありもしない心臓の部分に手を当てた。

「そうです。これは恋……いえ、愛慕です。あなたを想う心は恋などではありません」

 マジョは恋と愛の違いも分からない。どちらも彼女にとって言葉は綺麗なだけの破滅へと向かう我欲そのものだ。

 教会は愛だの恋だの語って、子供を産ませて、信者を増やそうとする。

 人間達は、生物的な本能を美化して、愛だの恋だので自分たちを許そうとする。

 そして、何も知らない子供たちは大人たちの犠牲になる。

 マジョの燃え盛る炎の中にはいつだって泣いている子供がいた。大人達に搾取され、使命を強いられ、いつか勝手に生命の輪に加えられようとする子供が泣いていた。

「そう。でも、私はマジョよ。ずっと逃げ続ける人生よ」

 マジョの赤い瞳には炎が揺らめいている。

「それはあなた達一族から生まれた人形達は分かっています。その中から、命を得たいものだけがこうして自ら選び、宿るのですから」

 人形はマジョの隣に寄り添った。マジョの瞳はただ炎が揺らめいている。

「そう。でも、私は醜いわよ。あなたが思うような美しい身体も人生も送ってないわ」

 人形はマジョの手を握った。冷えた手は人工物だ。その滑らかな額にマジョの手を当てると人形は今にも泣き出しそうにこう言った。

「主、そんなに悲しいことを言わないでください。突き放さないでください。ボクは全て分かっています。あなたがどんなに助けを求めても誰も助けなかったか、愛を受け取るべき身体がどのようなことをされたのか。そして主の心が多くの悪意を持った人間に食べられ、骨組みしか残ってないこと。全て知っています」

 人形はマジョの手を握りながら涙を零した。ダイヤモンドの目からは涙の代わりに小さな宝石が落ちていく。ローズクォーツ、クンツァイト、ガーネット、ラピスラズリ、そしてダイヤモンドが。

「主は誰よりも子供が大好きなお方です。だからこそ、人形は子供のために作っている。たくさんの人間たちに裏切られ、心身ともに抉られようとも、あなたはそれでも愛をその心に持っています。ボクはそんな主を尊敬し、愛し、慕っております」

 マジョは燃え盛る炎の中で泣く女の子の意味がわかった。あの子に人形があげたい、その気持ちから人形屋を始めたのかもしれない。

 マジョが人間の恋や愛を信じない理由もやっと辿り着くことが出来たのだ。

 「私も、人間だったのね」

 そう、マジョは澄んだガーネットの瞳を細めて笑った。

「はい、あなたは誰よりも心の美しい人間なのです」

 そう、人形は澄んだダイヤモンドの瞳を細めて、マジョを肯定した。


 人形とマジョは各地を転々と旅をした。自分たちに居場所はないこと、マジョは本当は人間だと誰も証明できないと悟ったからだ。

 今年も無事にマジョと人形は年を越す時期を迎えることが出来た。

 朝一番に昨日の夜吊るした豚を捌き、1番いいところと、腐りやすいところは香辛料と一緒に焼く。そして、あとは保存用にと塩漬けにした。マジョと暮らして長い人形はもう一人で塩漬けの準備も出来るようになっていた。

 乾燥した木の実と、豚を焼いたもの、そしてこの日のために買ったワインを2人は感謝しながら食べていた。冬は水が凍るのと、体を温めるために酒を飲むようにしているのだ。

 この時期の夜は寒いので二人は早く床に就くようにしている。けれど、マジョは窓の向こうを見るばかりだ。

「主、どうしましたか」

 マジョはどこか寂しそうにこう言った。

「きっとこの雪のようにいつかはここも新しい文化に埋もれてしまうのだと思ったの」

 マジョは知っている。古き良き文化もあると。けれど 、マジョ達が去った数々の国は新しき文化のみ生きてしまい、やがて古き良き文化を覚える者はいなくなったのだ。マジョは古き文化と新しき文化が入り混ざる国を知りたかった。

「その時は一緒に違う土地へ行きましょう。あなたの探す国へ。もし、神の思し召しで違う世界へ行くことになったとしても、ボクはあなたに着いていきます」

 マジョは微笑むとやっとベッドの中に入った。綿と藁を敷き詰めたものと、毛糸を編んで作った有り合わせの布を被った。

 ワインで体温は上がってるとはいえ、外は雪が降り、寒い夜だ。

 今日も彼女と一緒にベッドを分かち合う人形。

 そこに無粋なものなどなく、ただ二人たらしめる愛の時間があった。二人の関係は愛だが、その先にあるものは精神的愛なのだ。

「私はあなたになりたかったわ」

 マジョは今日も人形に寝る前にと話しかけた。

「どうしてですか」

「人形の体ならたくさんの傷を負うことなく、そして生物の責務を果たさなくてよかったもの」

 マジョは人形を愛しても、やはり恋だの愛だのと唱える人々の考えには同調出来なかったのだ。そして、母親の教えにもだ。

「なら、ボクはあなたになりたかったです」

「どうして?」

 人形はマジョにの髪をすくうとこう言った。

「人間の体なら一緒に年を追う事も出来ますし、あなたに生物を強いることはしない人もいるのだと証明出来ますから」

 少しずつ手の皮膚にハリがなくなってきたマジョ。その手を滑らかな木の肌の人形は握った。

「別に私はこのままでいいのよ。生物の輪から、世界から見放されたとしても、私を変えることなんて出来ない。それに、私の愛も、そこらを駆け回ってる子供たちの愛も、教会の教える愛も、どれも正しくて、正しくないの。私の心が美しかろうが、あなたの肉体が美しかろうが、私たちを本当に手にするものはいない。それが私たちの美しさよ」

 私たちと言う言葉に人形は信じられないように目を見開いた。その様子に彼女は続ける。

「だから、一生手に入れられないあなたでいて。人間みたいに全部手に入れてしまうなんてつまらないもの」

 そう、悪戯そうに微笑む人間に人形は今度は両手で彼女の手をしっかりと握り、誓った。

「はい、どこまでもお供します」

 年が明け、いつもより早い雪が熔け始めた頃だ。

 一人の教会の人間がこの家を訪れた。

 命を生み出す道具箱はもうどこにもなかった。

 どうしてなくなったのかは教会の人間含めて誰も知ることはない。

 ただ家に入った時には既にもう動かない人形が守るように彼女と一緒に眠っていたという。

 

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