乖離
雨がひどくなると複雑な気持ちになることがあります。
雨は好きなのです。雨は辛いことを私の代わりに流してくれて、海へと連れて行ってくれるからです。
ただあの頃なぜ怒られたのかと、自問自答してしまうのです。
小さい頃、私は習字のお稽古に行っていました。
古民家の中には、たくさんの生きた文字が紙となって貼られていました。
私は習字をならいに行ってるのに、筆の方が気になって、よく先生に筆のことばかり聞いていました。
習字の筆には馬の毛が使われていることを今でも覚えていて、画材屋で馬の毛を使った筆を見る度に関連付けてしまいます。
もしかすると、この頃から私の生きる場所は、とる筆は、別のものだったのかもしれません。
ある日、お稽古が終わると大雨が降っていました。
生徒たちは迎えが来ているので帰っていきます。私と当時の友達も迎えが来ているからだろうと古民家を出ました。
古民家は裏道を通った所にあったので、傘が塀にゴツゴツあたります。風もあった覚えがあります。
やっと着いた駐車場には、私も友達もお迎えが来てませんでした。
まだ携帯を小学生が持ってる時代ではありませんでした。待ち合わせなど、約束した場所で来ることを信じて待つ、そんな時代でした。
仕方なく、2人で待っていると声が聞こえてきました。
「あんたら、雨宿りせられぇ」
振り向くと、焼杉の真っ黒な家の縁側におばあちゃんがいました。私も友達も全く知らない人です。地元の訛った話し方でとにかくおばあちゃんは手招きします。
「雨降っとるけん、こっちおいで」
私と友達は顔を見合わせます。
この頃、学校や親から「知らない人にはついて行ってはいけない」と言われ始めた時代でした。私の育った地元はかなり古い考えの田舎で、いくら時代が変化し始めてもまだこういう事は普通にあってもおかしくなかったと思います。
なにせ、当時はよく近所の人からお菓子はもらうし、遊んでもらってた身でしたから。
けれど、全く知らない人というのは別でした。
「お母さんが迎えに来るけん、いいです!」
私がそう叫んだのを覚えてます。けれど、おばあちゃんは何度も雨宿りをするように言ってました。
「雨宿りしてもいいと思うよ」
そう、友達にまで言われました。
「でも、知らない人にはついて行ったらいけんって……」
この時、私はただ怒られたくなかったというのだけは覚えています。
私だけじゃなくて友達まで怒られると。
おばあちゃんが昔ながらの優しい人なのは分かっていました。
結局、私が押し切ってお互いの迎えを待ちました。
その後、お互いのお迎えは来てそれぞれ帰りました。
帰り道、母に雨宿りに来るよう誘われた話をすると、
「なんであんたお邪魔させてもらわんかったん」
と、しばらく怒られました。
その時、何故か心の中が悲しくて雨のように泣きたかったのを覚えています。
私が確か七歳の時の話でした。あれから長いこと経っていますが、現代だったら誘いもしないと思いますし、何よりスマホがあります。
そもそも、知らない子に話しかけることすら怪しまれる現代。
けれど、過去には違う文化もあったのは確かです。
あの時、知らないおばあちゃんに雨宿りに誘われた私はなんと答えるべきだったのか。
それは生きた時代の人によって答えは変わるでしょう。
それは色んな時代と乖離した答えとなり、どれも正解なのです。
けれど私には一生、正解が分からないままなのです。
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