慣れは怖い

「優良さん……っ、もっと強くっ」


「あ、うん」


「んっ、潰されそうです」


「力弱めるね」


「いやぁ」


 慣れとは怖いものだ。

 最初はどぎまぎしていた日焼け止めクリームを塗るのも今となっては無心でやり過ごすことができる。


「はぁ、はぁ、ゆうくん?」


「どうしたの?」


 そう、無心になるんだ。

 今の俺は何も感じない。


「ど、どうしてここに?!」


「そうだね」


「……ところで、ゆうくん何してるの?」


「何って、ひかりが言ったんじゃないか。日焼け止めクリーム塗ってくれ……ん?『ゆうくん』?」


 心が戻ってきて、頭が正常になりフル回転で稼働する。

 ゆうくんって言ったよな?俺のことをゆうくんと呼ぶ人なんて1人しかいない。

 でもここはひかりの所有地だぞ?こんな所にひかりがいるわけ。なら、後ろから聞こえた『ゆうくん』はどういうことだ?


「ねぇ、ゆうくん?どうして、ひかりとそんなことしてるの?ダメだよ?だって、ゆうくんの手が汚れちゃうよ。そんなものには触ってはいけないんだよ?そう、この女は汚れてるの。中身から全てが……ッ」


 愛莉だ。この声は愛莉だ。

 最初から分かっていたんだけど愛莉だ。

 ちょっと現実逃避していた。だって、かなり怒っていらっしゃるから。


「どうして、あなたがここにいるのですか?」


「え、ちょ、ちょっと今立ち上がったら……っ」


 日焼け止めクリームを塗るために自分からビキニの紐を外していたじゃないか!

 俺はさっと後ろを向く。


「どうしてって、あんたの侍女からここにいるってきいたからよ」


「忍がっ?!」


 ひかりがとても驚く。

 正直俺も驚いている。そんなに長くない付き合いだけど、それでも東雲さんがひかりにとって不都合なことをするなんて考えられない。


「はい、私です。お嬢様」


 砂浜に肯定の声が響く。

 いつの間にか砂浜に来ていた東雲さんの声だ。


「……忍、どうしてこんなことを」


 ひかりの声が普段の数段低い。たぶん、ひかりは笑顔ではないんだろうな。


「お嬢様、その格好ははしたないです。ビキニを着ましょう」


 東雲さんがブルーシートの上に置かれた白のビキニを手に取り、ひかりに手渡す。


 パシッ


 ビキニが音を立てず砂浜に落ちる。


「今さら侍女ぶらないでください。明日からは違う人を雇うので、あなたはもう出ていってください」


 ひかりが静かに告げる。静かだけど、怒りが見える声だ。


「……はい。今までありがとうございました」


 直ぐ様ここから去る東雲さん。

 そのとき、ちらっと見えた表情は相変わらず無表情だった。だけど、歩く後ろ姿はどこか悲しそうだった。


 ひかりがブルーシートの上に座り小さく足を抱えて座る。


「……優良さん、好きです」

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