第2話 午前の待ち合わせ

 待ち合わせは十一時の改札口前。

 でも彼は『乗り遅れた。十分遅れる』と文字でいう。

 いつもの事。彼は気ままな人だ。


 冬の駅。聞き取りやすいアナウンスが反響して聞こえる。駅内をゆく人は厚着をして、それでも少し寒そうに肩を縮めながら歩いていた。若いスーツ姿の人を見かけるたびに、彼らは就活生なのだろうか、と思いながら見つめてしまう。


 私は肌寒い空気から逃げ出したくて、近くにあった全国チェーンのカフェに入る。『近くのカフェで待ってる』と彼に連絡することを忘れない。

 カフェに入ると、温められた空気が身を包んだ。寒さで張りついた肌が弛緩していくのを感じる。


「いらっしゃいませ」


 カウンターには笑顔の店員さん。パッと自然に見上げてしまうぐらい背が高い。表情も穏やかで控えめそうで、なんだか彼よりも随分良い人に見えてしまう。別に今の彼氏に不満がある訳では、一切ないけれど。


「ご注文は?」と問われ、メニュー表で最初に目に付いたカフェラテを注文した。

「ホットとアイス、どちらにいたしましょう」

「ホットで」

「カフェラテのホットおひとつですね。では、右手のお渡しカウンターでお待ちください」


 そう言って店員さんは、後ろを向いて作業を始めてしまう。営業スマイルでも何でも、もう少し眺めていたかったなと思った。

 私は狭い店内のお渡しカウンター前でポツンと立っていた。店内には緩やかなジャズが流れている。


「お待たせしました」


 少しも待たずに、私の手元にカフェラテが差し出された。お礼を言って受け取り、彼氏がすぐに見つけられるようにガラス張りの方を向いていた椅子の席に座る。

周りの客は皆、年寄りばかり。自分だけその場から浮いているなと思いながら、カフェラテを口に含む。


 甘い、とは言えない絶妙な甘味が舌を撫で、喉を潤し、静かにお腹の中を温め始めた。

 携帯が震える。急いで開いたが、画面に表示されたのはフォローしていたネット小説の更新を知らせる通知だ。


 少し肩を落として、小説投稿サイトのリンクを開き、最新話を読み始める。

その小説の内容がとりわけ好きというわけではないけれど、その投稿される小説を読むことが毎日のルーティンになっていた。朝のニュースを見るような気持ちで画面をスクロールする。


 今回の話は、記憶を失った王子が、王子に懸命に尽くす主人公の存在をはっきりと思い出した、というものだった。そろそろこの話も終盤にさしかかっている。


 短い話を読み切って、カフェラテを口に運ぶ。もう一度、最新話の最初に戻って読み始める。じっくり読んだ後、評価を贈る。ここまでが毎日のルーティン。


 そこにまた着信の通知が画面に表示される。そこには、インターン先からの説明会案内のメールだった。ざっと目を通し、行われる日時をスケジュール帳へ書き込む。他の会社からの着信がないか、一度メールボックスを確認し、私は就活のことを考えるのをやめた。


 やることもなくなり、カフェラテに手が伸びる。読みたい本を一冊でも持ってくれば良かったと思った。時計を確認すると約束の時間はとっくに過ぎている。

 何も考えずにマグカップに口を付けると、底にカフェラテの泡が残っているだけだった。

彼からの連絡はまだ来ない。


「すみません。追加注文いいですか?」

店員さんは「はい」と自然に答えて、『ご注文は?』という顔をする。

「琉球チャイを」

「かしこまりました」


 背の高い店員さんは、狭い厨房にそっと戻っていく。もっと顔を見ていたいのに。

運ばれてきた琉球チャイは、鼻をすっと抜けていくような強いシナモンの香りがした。その湯気の温かさと香りの刺激で、私はまだ口を付けてもいないチャイの味を知ったような気になってしまう。ほっ、と静かに息が漏れた。

 ゆっくりと一口。ミルクの甘さとシナモンのスパイシーな香りが口に広がっていく。


「美味しい」


 思わず声が小さくこぼれる。でも、店内の誰も気にしなかったし、私も気にすることはなかった。そこから私はゆっくりとチャイを味わった。


 約束の時間を何分過ぎた頃だろう。私はガラス越しに彼の姿を見つけた。彼は澄ました表情で改札を抜け、いたって慌てる様子もなくカフェへと入ってきた。私の姿を見つけて、ちょっと申し訳なさそうな笑顔を作っている。


「いらっしゃいませ」


 背の高い店員さんが、彼氏とカウンターで向き合う。改めて並べてみると、彼氏の方は随分とパッとしない。


「あ、じゃあ、ホットコーヒーで」

「ホットコーヒーおひとつでよろしいですね。では、右手のカウンターでお待ちください」


 店員さんが厨房へ戻っていく。すると彼は私の席までそっと寄ってきた。


「遅れてごめん」

「大丈夫。いつものことだもの」

「ホットコーヒーのお客様」


 店員さんに呼ばれてすぐに彼はお渡しカウンターに受け取りに向かう。ホットコーヒーをトレーに乗せて彼は私の向かいの席に腰を下ろした。


「ごめんね。ちょっと二度寝しちゃって」


 彼はそう言い訳しながらコーヒーを飲み、渋い表情をしてからシロップを加えた。


「今日はどこへ行くの?」

「この駅の近くに美味しいイタリアンがあるらしくて、そこに行こうと思ってるけど」

「いいよ」

「よし。じゃあ行こう」


 彼は流し込むようにコーヒーを飲み、席を立った。私もつられて立ち上がる。


「ありがとうございました」


 店員の彼は、軽く頭を下げて自動ドアを抜ける私たちを見送った。


「あ、ここだよ。歩いて十分ぐらい」


 彼氏が携帯の画面に表示されたマップを私に見せてくる。青いラインで示された道筋は短く、目的地は本当に近くにあるみたい。


「それなら、お昼にちょうどいい時間ね」


 私は彼と手を繋いで歩き出す。彼が最近あったことを語りだした。バイト先での話、ネットの友人との話、読み終わった本の話……。


 彼と付き合って、そろそろ五カ月が経つ。

 別に彼に不満があるわけじゃない。

 でも、私は彼の「いつものこと」をどれだけ許せるのだろう。

 他の素敵な誰かに、声をかけられたらどうなってしまうのだろう。


 もうすぐ私たちも就職へ向けて色々なことを始めないといけない。本当にこの人で大丈夫なのか、将来もやっていけるのだろうか。

 周りの友達から「盲目的」だと言われたことが引っかかって、彼が本当にいい人なのか、それだけがわからなくて、少し不安で、でもだからこそ――。

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