サイドテーブルアイスコーヒー

一花カナウ・ただふみ

サイドテーブルアイスコーヒー

 テーブルの上に置かれたグラスには氷とコーヒーが入っている。グラスの表面には水滴がたくさんついていて、汗をかいているようだ。今日の湿度の高さが可視化されていると思う。

 それを観察している私も、この高温多湿の環境に負けて汗だくである。蒸し暑い。

 すぐにアイスコーヒーを飲み干したい。脱水症状が出ているときにコーヒーなんて飲んだらますます水分が失われて熱中症になるって言われるだろうけど、このまま飲まずにいるよりはマシだろう。

 私はベッドからそろりと手を伸ばす。アイスコーヒーが置かれているサイドテーブルに手が届きそうなところで、ベッドの中に引き戻された。


「ちょっ……何してくれんのよ!」


 咄嗟に出た私の声は少し枯れている。

 すぐに起き上がろうとしたが、身体はベッドに押しつけられてしまって無理だった。全身に気怠さが残っていることもあり、跳ね除ける気になれない。

 私を見下ろして、彼は薄く笑う。


「まだだろ」

「氷溶けちゃうじゃん。冷たいうちに飲みたいの」


 ベッドでこうして身体を重ねる前に準備していたアイスコーヒー。世の中的にはこういうときには麦茶だと相場が決まっているらしいのだけど、私も彼も麦茶はあまり好きじゃなかったので、そこに置くのはアイスコーヒーとなったわけだ。


「氷が溶けるまでするのが作法だろ?」

「だったらありったけの氷を突っ込むんじゃない! どれだけ時間をかけるつもりなのよ!」


 グラスの中に浮かぶ氷は最初に入れてきたときと比べて半分ほどに減っている。それなりに時間が経ったはずだ。

 実際、一回戦は終わったところである。


「それにコーヒーが薄まっちゃう。私がうんと濃いコーヒーが好きなこと、知ってんでしょ?」

「だから、希釈用のやつを薄めずに突っ込んだ。氷が溶けきらないと原液を飲むことになるぞ」

「ええ……計算してたの……」


 私の指摘に対し、彼は自慢げにしている。


「今日はずいぶんとヤル気に満ちていらっしゃることで」


 正直、何度も楽しむ元気はない。そもそも私は淡白なのだ。


「麦茶の話、振ってきたのそっちだったじゃん」

「いや、だって、飲み物の話してたら思い出しちゃってさ。深い意味はなかったのよ」


 そう、これからベッドに入るとわかっていたから、思い出したついでに言ってみただけ。ただの連想ゲーム。


「だとしても、付き合えよ」


 唇が重なる。深い口づけ。唾液が流し込まれた。


「んんっ」

「……これくらいじゃ潤わないか」

「そこにあるアイスコーヒー、飲ませてくれればそれでいいじゃん」


 原液でもこの際いいよ、と思って告げると、彼はサイドテーブルに手を伸ばした。私と違って長い腕だから、いとも簡単にグラスを手に取れた。


「くれるの?」


 諦めてくれたのかと思って見つめていると、彼はグラスに口をつける。そして氷だけ口に含んだ。


「ん?」


 グラスはサイドテーブルへ。私が視線でコーヒーを追っていると、唇にひんやりとしたものがあたる。


「んんっ?」


 喋ろうとしたところに冷たくて硬い塊が押し込まれた。


「氷、口の中で溶かそうぜ。溶けきったらコーヒーを飲んでいいことにする。齧るのはナシな」


 へえ、面白いことを考えるじゃん。

 乗ったとばかりに頷くと、彼の唇が重なった。コーヒーの苦味が少しだけ口の中に広がって、あとはいつもの彼の味。


 結局、私がグラスから飲んだコーヒーには氷は残っていなかった。


 《終わり》

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