第5話 「鴨川ぁっ! 絶対殺すからなぁッ!」

 ゆっくりと、砂利を踏みしめる音をわざと響かせながら肥前くんがにじり寄ってくる。彼はぱちぱちと大袈裟に拍手をすると、「よくやった」と短く告げた。

 

 田村は小さくガッツポーズをして、瀬川は安堵したように息を吐く。

 俺は、俺は……。

 

 耐えきれなくて、そのまま近くの公園に逃げ込んで、吐いた。まだ生きていた人の重さが、たしかに手に残っていた。 

 必死だった。必死に、人を殺した。 

 

「ん」蹲って公園で泣いていると、不貞腐れた誰かの呼び声がした。田村だった。彼はニキビだらけの顔を少し逸して、口先を尖らせながらこちらに手を差し伸べた。分厚い唇はかさかさで、青みがかっていた。「俺、田村ハヤト。勇ましい人って書いて、勇人ハヤト


「……なんだよ、今更」


「仲良く、なれる気がする。だから、友達に……なろうよ」

 

 腹から笑いたい気分だった。

 人を一人殺したくせに、友達だなんて、のうのうと。……狂っている。思いながら、差し伸べられた手を掴んだ。


「……俺は、鴨川タマキ。循環じゅんかんかんで、たまき

 

「せ、瀬川っ!」遅れまじと、後ろから焦ったような声が重なる。「瀬川ライトっ! 頼れる人って書いて、頼人ライト!」

  

 茜空、ゆうゆうとカラスが輪になって空を泳ぐ下で、三人は、何かを探るように、あるいは何かを共有するように、お互いの顔をじっと見つめ合った。


「……肥前のやつ、これを繰り返す気だ」田村が一重の目をさらに細くさせ、警戒を滲ませた声で囁いた。「次は、俺たちが”あっち側”に選ばれるかもしれない。でも……もしかしたら、次も」

 

 こひゅぅ、しゃくりあげるように田村は不気味に息を吸う。


「次も俺たちが、この役を負わされるかもしれない。……俺はできる。お前らは」

 

 確かめるように。俺と瀬川の覚悟を確かめ、あるいは値踏みするように、田村はじっとこちらの瞳の奥を覗いてくる。彼の黒目がちな目が、ギョロリと俺たちを観察している。 

 

「お前らも、出来るよな」

「ぼ、僕はっ」かかり気味に瀬川が答えた。「僕は……えっと、正直、怖いけど、でも多分、やると、思う。ビビリだから、結局、やっちゃう、みたいな」

 

 煮えきらなさが逆に信用に至ったのか、田村は鼻を鳴らして頷くと、次に俺の方を向いた。


「俺は……」

 

 いいのか? ダメだろ。日町さんに、なんて言えば良い? それにいつか、結局俺たちの番がやってくる。日町さんだって、俺の助けを待ってる。今行くべきだ。……今、彼女を助けに行くべきだ。

 

 扉を開きっぱにする無限の塔の、その先へ、暗闇の奥へと視線を投げる。吸い込まれそうなほどに、底の見えない暗闇の先。そこで、化け物が蠢いて、囁いている気がした。

 

「――サあ、来イ」

 

 ぶるりと身体が震える。

 脳が警鐘をかき鳴らす。

 一歩踏み出そうとした足がすくみあがって、どうしようもなく奥歯を噛みしめた。


「俺は……っ」

「覚悟が決まらないうちは」俺の言葉に重ねて、淡々と田村は俺に告げた。「きっと、大丈夫だ。じゃあ、これからもよろしく、ライト、タマキ」

 

 田村が笑うと、小鼻が横に広がって、長い鼻毛が一本ちらりと見えた。

 ふと街を見渡すと、不気味なほどの静寂が、俺たちのことを包んでいた。

 

 ◇


「こそこそ集まって何してんだ? 帰んぞ」

 肥前くんの一言で、俺たちは脱兎のごとく跳ね上がって、飼い猫のように従順に学校に戻った。

 満身創痍の体を引きずって2-7の教室に入ると、すぐに刺すような視線をあちこちから浴びた。誰も彼も、その顔に嫌悪感を滲ませている。

 

「うわ、帰ってきたよ……」

「どの面下げて帰ってきてんだよ」

「鴨川、とことんクズだな……」


 え、っと……なにこれ。

 比較的温厚な副委員長さえも、俺が目を合わせると、キッとした顔をして目を逸らしてきた。

 

 彼らの手の中にはスマホが握られている。

 映っているのは……小金井だ。


 まだ、生きてたんだ。

 ホッと安堵すると同時に、肝が冷える。

 

 あれ? 生きてたら、まずくない……?

 ピリつく静寂の中で、誰かのスマホのスピーカーから大きな小金井の声が響いた。


『見てんだろ、見てんだろお前らッ!』

 隣で田村がこひゅぅ、と息を荒らげる。その隣で、肥前くんが含みのある笑みを浮かべていた。

 

 ……ああ、そうか。

 全部、想定通りですか。

 

 諦念混じりににへらと笑う。

 小金井の糾弾は止まる気配を見せない。


『瀬川ぁ、田村ぁ、あと鴨川ぁっ! 絶対殺すからなぁッ! 俺をこんなとこにぶちこみやがって……生きてここから出て、絶対殺すからなぁッ!』

 

 やばい。どう考えても、やばい。ガチだ。こいつ、ガチじゃん。小金井がこちらにやって来ることは、まずないだろう。でも、逆なら?

 血の気がサーッと引いていく。今度は俺が、小金井と同じ役に選ばれたら? 俺も無限の塔の住人になって、ばったり小金井と出くわしたり? ……全然、わんちゃん、あるじゃん。


 即座にスマホを取り出して自ら配信を覗くと、彼の配信は異常な盛り上がりを見せていた。


”その調子だ、小金井!www”

”まじで同じ学校のやつ来すぎだろwww”

”そして安定で名前が飛び交う鴨川くん何者?”

”超絶美少女日町ちゃんの彼氏でありながら同級生を処刑する鴨川とかいう男”


 ……俺、なんかめっちゃ話題になってんじゃん。

 冷や汗がだらだらと流れる。


 さらに、小金井の配信の同時接続数(※リアルタイムで配信を視聴している人数のこと)が3万を越しているのを見て、心臓がきゅっと縮んだ。

 

 1層の人間が集めて良い人数じゃない。

 ……多分、どこかで火種が出て、そこから一気に盛り上がったんだ。どこから? 

 

 ゆっくりと視線を流す。すると、彼もまたこちらを見て、にっと笑っていた。

 ……肥前くんだ。肥前くんが、やったんだ……。


"はい、こいつらの制服から高校特定しますたーwwwww→【URL】"

"偏差値たけぇwwww64ってwww"

"64で高いとかやばすぎ普通くらいだろ馬鹿がよ"

"十分たけーよ。句読点使えない馬鹿が"

"じゃあ鴨川くんの顔とかも特定できんじゃね?"

"今そっち専用の掲示板で鬼共が全力で特定中"


 めくるめくコメント欄に目を回す。世界中が、俺の敵になったかのような錯覚。滲む汗が唇を伝うと、ほんの少しだけしょっぱい味がじわりと口の中に広がった。


 

ClassmateFile.03─────────

瀬川頼人せがわらいと 16歳

 陰キャ美術部員。黒縁のメガネと目元まで浸かった長い黒髪が特徴で、まさしくといった陰キャである一方、髪をかきあげメガネを外すとそこそこなイケメンに早変わりする。陰キャのくせして密かに一部の女子からモテている。大人しめでビビりだが、命の危機に瀕すると馬鹿力を発揮するタイプ。絵のコンクールでは何度か入賞しており、美術部の後輩からは「瀬川先輩」と慕われている。

○Status

[力]E [速度]E [判断力]E [迷宮適正度]E [陰キャ度]SS

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