第4話 「行ってらっしゃい、【無限の塔】へ」
教室中が息を呑む。
彼ならば、あるいは。そう思ったのかもしれない。キックボクシングの王者で、明らかに只者じゃない男。
俺もぶっちゃけ、思った。というか、このクラスで最も、あの無限の塔の頂きに近い男だと思っていた。
肥前くんはクラスを見渡すと、「織田、田村、クリス、瀬川、あと」ちらりとこちらを見る。「鴨川。今名前上げたやつ、手伝え」
肥前くんは気絶している小金井くんを引きずると、教室の中央に持ってきて、戸惑って立ち止まっている俺たちを顎で指示した。
びくびくしながら座っていた瀬川くんと目があって、お互いに勇気を出しましょう、みたいな具合に頷きあって、恐る恐る立ち上がる。
「織田、クリス、テメェらは残ってこいつらの監視だ。一人も教室から出すな」
「うーっす」
「なに、また面白いこと始めんのね、肥前くん」
織田とクリスは肥前の取り巻きだ。
彼らは余裕綽々といった表情で笑みをたたえ、扉の前に立つ。出られない。そう知ると、一気に教室中に緊張が走った。みんな一斉に黙りこくる。
張り詰めた空気の中、肥前くんは次に俺と瀬川、それから一重で豚鼻の田村の方を見た。
「テメェらは、こいつを俺と運べ」
「なんで……」
恐る恐る子兎のような眼差しで瀬川が問うと、肥前は首を傾げる。
「ゲームオーバーしたら、もう一度コインを入れて、コンティニューするだろう? それと、同じだ」
こいつ、というのは、小金井くんのことか。
じゃあ、どこに。聞かずとも分かる。……コンティニュー。つまり無限の塔に、だ。
せーのの掛け声で持ち上げる。
俺が足の方担当だ。背は小さいが、部活をしているだけあって重たい。肥前くんは手伝ってくれず、颯爽と教室を出ていった。後を追う。
ここから無限の塔まではそこまで離れていない。
けれどこれ以上遠かったらヤバかっただろうな、と思った。
田村はぶひぃと鳴く勢いで呼吸が乱れていて、汗がダラダラだし。瀬川も冴えないやつで、美術部で運動もしていないだろうから、目に見えてきつそうだし。
かくいう俺もね。くっそキツイです、ぶっちゃけ。帰宅部だしさ。
選ばれた三人の特徴は、目立たない、冴えない、友達がいない、こんな感じだ。意図があるのか。従順そうだから?
「いいのかな」不意に、耳打ちのように瀬川が声をかけてきた。瀬川は冴えないが、顔立ちは整っている。磨けば光る原石のような男だ。レンズの奥で眼光を妖しく光らせる。「これ、無限の塔、向ってるよね」
「うん。多分、気絶している間に、ね」
「そ、っか……。大丈夫かな。いや、大丈夫なわけ、ないんだけど」
「と、当然の……報いだろ……。黙って、運べよ……」ぶひぃ、ぶひぃ、そんなキツイなら、喋んなって、田村。
曇り空、じめじめと蒸し暑い6月の梅雨明け、無垢な共犯者達と共に気絶した同級生を運ぶ。あまりにも大きな、棺へと向って。
「これ、やばいよ、やばいって」
とうとう無限の塔の麓が目に入りだすと、途端に瀬川が慌て始めた。
「僕ら、これじゃあ殺人犯だ……」
「ん……ってぇ、んだ、これ、俺……何して……」
ギョッとした。心臓が縮んだかと思った。目があったからだ。気絶していたはずの、小金井と。小金井は呆然と「は?」と声を漏らすと、じっと俺の目を見つめた。
「何してんの? 鴨川?」
「あ、えっと」
咄嗟に顔を上げる。肥前くんの方を見ると、彼はニタリといたずらな笑みを返してきた。
さあ、どうする? そう、問われているような気さえした。もし、小金井を逃したら、そのときは、次はお前だ。今、口パクで多分、そんな感じのこと、言ってたよね?
鳥肌が立つ。冷や汗がだらだら流れる。
村人、モブキャラ、特技なし、取り柄なし、何も出来ない平凡以下な俺の人生……今日、変わりすぎじゃね?
いや、いやいやいや……俺にはなんも、出来ないって。
「うわぁあぁあああああ!? なんだよ、何してんだよお前ら! まさか……俺が眠ってる間にッ!」
意識が覚醒して状況を飲み込めたのか、小金井は発狂する。
「ゔ、ぁ!?」
腹を思い切り蹴飛ばされ、思わず手を離しそうになる。けれど、ぐっと堪えた。だめだ、ごめん、ごめん小金井、俺、まじで、ごめん、殺人犯にだって、なれるかも、己の為なら。
小金井ががむしゃらに腕をふる。胴体を担当していた瀬川が背中をぶん殴られ、悲鳴を上げた。
「離すなッ!」と咄嗟に叫んだのが功を奏したのか、瀬川は涙をだらだらとめどなく流しながら、もはや抱きしめる勢いで小金井を押さえつけた。
「ひぃ、ぶぅ、ぁぁ、ひぃ、ひぃ」と、田村は限界もいいところで、必死だ。
暴れまくる小金井を三人で必死に押さえつけて、残り100mそこらを駆ける。無能、無力な陰キャ三人、今までの人生、スポットライトなんて当たってこなかった脇役三人の、全てを賭けた全力ダッシュ。
星のような輝きをまとい、走り出した3つの生命。灯火のように燃える、きらめく小金井くんの
「うわぁあぁああああああ!!」
小金井くんが顔をグシャグシャにして叫ぶのを見ながら、俺も同じように「うわぁぁあぁああ!」と叫んだ。
「うわぁぁあぁあああ!」と、瀬川も。
「ぶひぃぃいいいいいいい!」と、田村も一緒だ。
「てめぇら、陰キャが! 分かってんだろうな! まじで、どうなっても知らねえぞ!」
あと50m。
「離せよ! 人殺しだぞ、分かってんのかッ! くそ、くそくそくそっ!」
あと40m。
「やだやだやだ、頼むって、なぁおいっ! おいってばぁああああ! 助けて、頼むからぁぁああッ!」
あと30。
「なんで、なんでお前らみたいなゴミ野郎に……」
「ごめん、ごめん、ごめん、ごめんっ!」
謝って、なんになる。手から重たい感触が離れていく。ふわりと生贄の彼は宙を舞い、開きっぱの扉の奥にある暗闇へと羽ばたいていく。
瀬川がきらめく太陽のような汗粒を弾けさせ、翡翠色の瞳で羽ばたいていく彼をぼーっと見つめていた。田村もまた俺と瀬川の少し先、最もあの場に近い特等席で遠のいていく小金井を見ていた。
「行ってらっしゃい」あくどい笑みで、愉快そうに田村が満面の笑みを浮かべた。「無限の塔へ」
小金井は顔をぐしゃぐしゃにして無重力の空でダンスをすると、「絶対、絶対ぶっ殺す、ぶっ殺す! 鴨川ぁ、日町さん、どうなっても知らねぇからなぁッ!」だのなんだの叫んで、暗闇に飲み込まれた。
あっけない静寂だけが残る。
「ごめん……」
ぽつり呟いた言葉は、軽かったせいか、ふわりとすぐに霧散した。
謝って、なんになる。
尻餅をつくようにその場に座り込むと、どっと身体から力が抜けた。
ごめんなさい、日町さん。……俺、どんな顔をして、君に会いに行けばいいかな。今飛び込んだら、許してくれる? ……ごめん。どちらにせよ俺、そんな勇気、ないです。
振り返った瀬川が、磨けば光る原石のような、くすんだ笑みを浮かべた。
「僕ら、なっちゃったね、殺人犯」
暮れなずむ空の真ん中で、大きな塔の影の下で、俺たちは大きな罪を犯した。
それが、俺の一度目の犯行だった。
ClassmateFile.02――――――――
相良颯太の友達。サッカー部レギュラー。チビ(157cm)。仲間思いだが身長と同じく気も短く、気に食わないことがあればすぐに暴力を振るう。足が速く、コート上を駆け回る様は圧巻。顔は中の下。そばかすが特徴的。高校生になってからおねしょを漏らし、一人で泣きながら布団を洗濯したという過去を持つ。
◯Status
[力]D [速度]A [判断力]E [迷宮適性度]D [チビ度]S
――――――――――――――――
【あとがき】
いつタイトルの『投票』を始めるんだ、とそろそろお思いになられているかと思います。具体的には、この小金井の一件が終わったところから始まりますので、もう少し辛抱してくださるとありがたいです。(あと2,3話で始まります)
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