03 少しの光②
部屋にはテレビの音しかなく、僕と佳奈がお互いに喋らない時間が続く。
前だったら普通に話せれたのに、前はどんな話を話していたっけ……。久しぶりに一緒にゆっくりできる時間なんだから……何か話題とかないかな。
「……」
「…………」
捻れど、捻れどいい話題が思いつかない。
バイトの先輩の愚痴とか、上司のヅラがズレてたとか、居酒屋の酔っぱらいに酒を吹きかけられたとか。
(いや、全部面白くない話じゃん)
あ、そうだ。面白い……かもしれない話がある。バスの隣の席の人が怖かったって話をしよう。
「あー……、ね、佳奈。えっとさ」
「――兄さん、その……昨日はごめんなさい」
「え? いや、別に気にしてないよ」
大きなクマを抱きしめてる佳奈が、話し出してくれた。
昨日、って、えっと……佳奈が僕に謝るようなことってあったっけか。
「ほんと? 久々の会話だったのにあんなに詰めよっちゃって」
あぁ、そのこと。
「大丈夫だよ、まったく気にしてないから」
「兄さんが頑張ってるのを、私、よく分かってるのに、その……嫌な気持ちになってたりってしない……?」
「大丈夫だって」
ぎゅうっとクマを抱きしめる力が強まったのを横目で確認した。
詰め寄られただけで僕が怒ったことって前にあったっけ。そんな別に怒るような内容じゃないし。
大学に行きたいと佳奈の前で言ったことは当然ある。だけど、それは高校3年生の時までの話だ。両親がいなくなった後はその話は出してない。
「……バイトも、なんだかんだ、楽しいしさ」
これは嘘。
「今日まで二年……も経ってないくらいだけど、早かったし」
これは大嘘だ。
だけど、佳奈が何か思い詰めているのは感じ取れた。たとえ僕の言葉が嘘だとしても、他人を傷つけない嘘で事が済むなら、喜んでつく。
「……っ」
そもそも僕と一緒に大学に行って何になるんだ?
友人を作ってサークルに入るなり委員会に入るなり、バイトをして生活の足しにした方がよっぽどいい。
それに、僕にとってはもう諦めた夢だ。
「だけど……私のせいで兄さんが好きなこともできなくなって……」
「気にしなくてもいいよ、そんなのは些細なことだし」
「……わたしっ……は、頭悪いし、成績も中の下だし……なのに……」
もしかして、責任を感じてるのか……?
佳奈の言葉に耳を傾けると、僕がこの二年間善かれと思ってやっていたことが佳奈への精神的な負担につながっていたのではないか、とぼんやり思った。
佳奈は、そうか、元々は就職希望だったもんな。
それを強引に進学するように言って、そのためのお金は僕が準備すると誓ったんだ。
(重い。重すぎるな……でも、当時はそう思わなかった)
僕の残った唯一の家族のためには僕の夢なんか捨ててもいいと思えた。
将来への道を整えてあげたかった。
今思うと、僕がやっていたのを重荷と感じてもおかしくないことばかりだ。
それに、僕に似て心配性で内気な妹のことだ。「私の大学進学のために、兄さんが大学進学の夢をあきらめた。私のせいだ」とか考えているのかもしれない。
あぁ、それなら「大学に一緒に入ろう」と言ってきたことも納得がいく。
「……僕が大学進学できなくなったのは、佳奈のせいじゃないからね。進学も無理だったら大丈夫だからさ」
「……それは」
「それに佳奈は成績の事心配してるみたいだけど、大丈夫だよ。だって頑張って勉強してるし。僕のことは心配しなくていいから、親だと思って任せてくれたらいいよ。だから、佳奈が無理だって思ったら全然進路も――」
「違う! 私は迷惑かけてばっかりだし、私もなにか兄さんの力になりたくて……。進学が嫌ってわけじゃないの……兄さんに幸せになってほしくて」
「……家族だから、大丈夫だよ」
「家族だから心配してるの! 兄さんもいなくなったら……私は……っ」
佳奈の頬に涙が伝う。
頼れる人がいなくなった時の辛さは、僕もよく知っている。
母の手伝いで学び始めた料理などの家庭内の仕事。公務員だった父から学んだ礼儀作法や会話術。
そしてなにより、長男ということで「妹を引っ張っていけるように」と厳しい父に教育され、「長男だから妹を見守ってあげてね」と優しい母に教育された。
そんな日常が一瞬にして壊れたんだ。
頼れる存在がすべて消えていったんだ。
僕は今、佳奈の親代理だ。あれを経験した佳奈が僕に対して顔色伺って会話の内容を気にするのも仕方がない……のかもしれない。
◇◇◇
大学。大学、か。
昨日の今日で、そんなにまとまったわけでもないし、でも、もう、そうだな。
「……分かった。佳奈、僕……大学の話、真剣に考えてみることにしたよ」
「……え?」
「佳奈が行く大学に一緒に入ろうと思う。頑張って勉強し直してさ、時間がある時に高校……とか行って先生と大学関係の話をするよ」
クマに埋められていた佳奈の視線がこちらに向くのを感じながらも、僕は視線を前に向けたまま作り笑顔をしながら続けた。
「……それで大丈夫かな? 家計はちょっと厳しくなると思うけど」
テレビの音がその瞬間だけ無音に感じる。
普段なら言わないことまで口から次々に零れ落ちそうになるのを必死に堪えた。
二年間弱という期間で意識しないように努めてきた歪な感情。
大学進学を諦め、妹に進学するように愉し、それのためにお金を稼ぐ間に溜まりに溜まっていた感情だ。
――なにが、勝手に自分がして、勝手にたまった感情だろうが。出てくるな。
佳奈はそんな気持ちが混じった言葉を吐き出した僕を見つめ、先程の強ばった表情から緩んで安心した表情になって……笑った。
「うん……!」
「僕も、佳奈も……そろそろ報われてもいいもんね」
「うんっ!」
「二年間、色々迷惑かけちゃってごめんね」
「私も……」
「お互いに、かな?」
「……私のほうが……迷惑かけてた」
「僕の方も結構ね」
佳奈はクマのぬいぐるみを抱き寄せ、再び顔を
自分もソファにもたれかかって目を閉じた。
――僕もまだまだ子どもだな。兄失格だ。
閉じていた目を開けると、天井に取り付けられている証明が眩しく感じ、思わず目線を横に逸らすと佳奈と目が合った。
「……兄さんのために私も頑張るから!」
佳奈はまた笑って、ソファの横に準備していた着替えを持って風呂場に駆けていった。
「過保護になりすぎてたのかな」と佳奈に聞こえないように呟いた。
知らない間にあんなに成長していたんだ。
佳奈ももう守られるだけの年齢じゃないのは当たり前か。僕も僕でしっかりしないといけないな。
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