02 少しの光①


 

「本当に……このままでいいのかなぁ」


 誰に当てたわけでもなく、ただ小さく呟いた言葉。

 隣に座っている不機嫌そうなオジサンが何を勘違いしたのか、じろり、と睨んでくる。


「あ、違います。その、えっと。独り言なんです」


「……けっ」


 ダラダラと冷や汗をかきながら乗っているバスの外の景色を眺めていると、次のバス停でオジサンがズカズカと降りていった。


「……怖いなぁ……」

 

 僕の名前は平野明人ひらのあきと

 明るい人になって、周りの人の先を明るくして、正しい方向に導いてあげてほしいという意味を込めて両親が付けてくれた。

 その両親も離婚してからずっと音信不通の状況。

 現在は成人済み、と言っても定職についている訳でもなく、高校二年生になった妹の佳奈の為に使うお金を稼ぐために毎日アルバイトに勤しんでる。


 と、窓の外の見慣れた景色を眺めながらまとめてみた。

 ただの自己紹介。でも必要なことだ。

 僕は今、将来のことを考えないといけない状況に面している。その為の一旦情報整理だ。

 

「これからかぁ」


 昨日の話、妹から一緒に大学進学を持ちかけられた。

 僕だってロボットじゃない。もちろん感情はあるし、欲もある。自分の置かれている環境にずっと居たい訳がない。


「……ほんと、どうしたらいいかな」


 あれこれ考える時にポロポロと口から零れる言葉たち。もちろん誰に当てた訳でもない。

 だが、いつの間にか隣に座っていた気の強そうなオバ様がこれまた勘違いをしたのか、じろり、と睨んできた。


「えっと……あはは……独り言……ひとりごと……」


「はんっ」


 なんで怖そうな人しか隣に来ないんだよ。まぁ、いいけどさ。どうせ次のバス停で降りるし。


 ……とりあえずは、もう少し考えてみようか。


 僕は席を立ち、昼からシフトが入っているファミレスの最寄りのバス停で降りた。




 ◆◇◆




 一方その頃。

 兄が次のバイト先へと向かい出したタイミングで、妹の佳奈が明日が通常よりも早めの帰宅をしていた。


「ただいまー、って誰もいないけどね」


 佳奈の容姿を一言で現すならボーイッシュ、だろうか。

 髪の毛は黒く、ヘアカタログで兄が見ていた女性の髪型(マニッシュショートというらしい!)にしている。

 友達に影響され化粧を始めたにははじめたが、先生にバレない程度。

 明人は母親似で佳奈は父親似。顔は兄妹だと言うのに似ていない。


 履いていた靴を脱ぎ、バックをソファの横に置き自室に制服をかけにいった。


「明日からテストかあ、大丈夫かな……」


 制服を片手に自分の部屋に目を向ける。

 散らかった衣類、参考書や教科書が散乱し、常に敷きっぱなしの敷布団。それらを見て顔をしかめた。


「うんむ……片付けなきゃって気になったら片付けよう」

 

 ハンガーを片手に現実から目を背けていると、制服の胸ポケットに入っている兄がくれた手帳が床に落ちた。


「あ」


 落ちた手帳を拾い上げようとすると、手帳が開き、自分の字でなぐり書きされたページが開かれていた。

 そのページはとても読めるような状態ではなく、ページ一面に言葉が書かれて余白がない状態になっている。


 ――頑張らないと、期待に応えるんだ。


 そんな文字が書き殴られている手帳。


「……………………わかってる、わかってるよ」


 表情が抜け落ちた佳奈は自分に言い聞かせる形で小さく呟く。

 手帳を拾い上げてその文字を見つめていると、昨日の兄とのやり取りを思い出した。


 ――兄さんも大学に入ればいいんじゃないかな!


 ――奨学金を借りてさ! 二人で同じ大学に入って同じサークルに入って、学食を一緒に食べてさ! 絶対楽しいよ!


「……分かってた、のに」


 昨日の自身の行動を省みて、唇を噛み、握った拳に力が籠った。

 兄が誰のために、なんのために、自分がしたいことより家計を優先して毎日アルバイトをしてくれているのかと再度頭に理解をさせる。


 それと同時に兄に詰め寄った時のことを思い出して耳が紅くなった。

 数か月ぶりの会話だったのにもかかわらず段階を飛びすぎたことを後悔したが、それよりも兄と久々に会話ができたことを喜んだ。


「……今の私は、ダメだ」


 感情が不安定な自身を元気にさせるように、頬を強めに叩いた。

 そうして脱いだカッターを片手にキッチンを通りかかろうとすると、固定電話の着信音が聞こえてきた。


「電話? 兄さん宛てだな!――もしもし? 平野です」


「あっ、出た出た! 妹さん? 中村です~」


「あぁ! 中村さん。お久しぶりです、どうしました? 兄が何か……」


 中村さんは母さんの知り合い。そして両親がいなくなったことを知っている数少ない理解者。

 中村さんは兄妹の助けになればと思い、募集が少ない深夜帯のアルバイトをわざわざ作ってくれて兄を雇った。お酒関係の知識と酔いつぶれた人の対応を教えてくれている気さくなおじさんだ。


「あぁいやいや。娘が風邪ひいちゃってさー、お休みするって伝えてくれないかな? いつも通り張り紙は貼っておくけど、そろそろ携帯の一つでも持ってくれって言っておいてほしいかな~」


「分かりました。娘さんお大事になさってください。伝えておきます。」


「ごめんなぁ、じゃあよろしくね」


 急いでいたのかガチャンと電話を切られた。

 だがそんなこと気にせず、ソファに腰かけてクマのぬいぐるみを両手で持ち上げ、笑みをこぼした。


「ふへっ、そっかぁぁっ……。」


 佳奈は連日で兄と話せる時間に喜びを感じながら、クマのぬいぐるみを左右にぶらぶら揺らした。

 そして何か思いついた様子で冷蔵庫まで駆け足で行き、冷蔵庫の中のモノを確認する。


「明日からテストって理由で、久々に兄さんに料理頼んでみよう~。ふむふむ、鶏肉……、卵が残ってて……なるほどなるほど!!」


 鶏肉と卵で今食べたい料理を頭に思い浮かべる。


「チャーハンじゃない……なんだろ、卵……親子丼? でもないしなぁ……」


 腕組みをし悶々と考えていると炊飯器が目に入り、開けてみるとおそらく兄が炊いていてくれたご飯がまったく減ってないことに気が付く。


「そっか、私結局昨日コンビニ弁当とかにしちゃったんだっけ。大量のご飯を……いっぺんに片付けれる食べ物、美味しい、鶏肉、卵」


 そこで佳奈の頭上で豆球が光った。


「オムライスだ!!!!」


 兄が返ってきたらオムライスを作ってもらおうと決めた佳奈はスキップをしながら、洗濯機に向かっていった。

 



 ◆◇◆




 時刻は五時。

 僕は学校帰りの学生たちとすれ違いながら、歩いて10分ほどの距離にある居酒屋まできた……はずなのだが。


「本日は臨時休業……?」


 居酒屋の前まで歩くと、入り口に張り紙がしてあり『申し訳ありません。本日は店主の娘が風邪をひいてしまい。その看病のため店を臨時休業させていただきます』と書いてあった。


「娘が風邪で臨時休業?? って家には連絡がいってるんだろうなぁ……。こういう時に不便なのか? ガラケーでもいいから持っておくべきかな……」


 高校生の時まではガラケーを持っていたのだが、両親の離婚の後に解約した。それが原因で友人との連絡手段も消え、仲が良かったはずの友人からはそれ以降あったことがない。

 いや、でも臨時休業するお店ってここくらいだし……。


「って……雨降ってきたな」


 ぽつぽつと商店街の屋根に雨が当たる音が聞こえたと思えば、段々と勢いが増してきた。


「……早く帰るかぁ」


「――見つけた」


 帰ろうと思って踵を返した時にかすかに聞こえた女性の声。

 驚き、体を跳ねらせ、振り返って周りを見渡した。


 周りを見渡しても、遠くにこれから呑みに入る若い大学生のグループや、カッターシャツにネクタイの大人達しか見あたらない。

 耳をすましてみても、雨の音が商店街の中で響く音しか聞こえない。


「僕を……見つけた……?」


 全く状況が理解できないまま、その場で待っていたら声の主が出てくるかと思い、数秒たちどまって見ても一向に出てくる気配がなかった。


「…………なんだったんだ」


 多少の不気味さに駆られ、人の波を避けて今の場所から背中を押されるように家に向けて歩き出した。




      ◇◇◇


 


 帰宅までの道の間、あの声が聞こえることはなく、何事もなく家まで帰ってくることができた。


「……聞き間違いだったのか……?」


 鍵を開けて玄関に入ると佳奈の靴が置いてあるのが見えた。


(あれ、佳奈が帰ってきてる?)


 高校ってこれくらいの時間に終わるっけ。


「あっ!! 兄さんお帰り!!」


「ただいま。今日は居酒屋が臨時休業らしいから早めに帰ってきたよ」


「うん!! 久々に兄さんと一緒に夕ご飯が食べれるね!」


 ぴょんぴょんと跳ねながら、僕のバックと上着を受け取ってくれた。


「僕もうれしいよ。じゃあ今日は佳奈が料理を作ってくれるのかな?」


「ふふーーーん! 今日は私が腕によりをかけて……でも私が作るより兄さんが作った方がおいしいよ!」


 通常運転でNOだった。

 いつか妹の気まぐれで料理が出てくるかもしれないと信じて一応聞いているが……待て、そもそも佳奈は料理が作れるのか?


「あはは、分かったよ。だけど少し休憩してから作っていい? なんか疲れちゃってさ」


「いいよ! さっき冷蔵庫の仲見たら卵とか鶏肉とかあったから……」


「じゃオムライスかな? 佳奈のためにファミレスで鍛えた腕を披露するよ」


「さっすが私の兄さん、いやさすがです。よくご存じです」


 ぱちんと指を鳴らすとソファに戻っていき、テレビの続きを見始めた。


 僕はアルバイトをずっとしているから、それなりに料理ができると思っている。

 他人と比較したことはないが、佳奈が言うに「ファミレスとか給食とかお店で出てくる料理よりおいしい!」らしい。

 オムライスなら簡単に作れるからまだ下準備とかもいらないか。だったら僕も久しぶりにテレビを見ようかな。


 僕がソファに腰を掛けようとすると、隣でテレビを見ながら明日のテストの範囲の確認をしていた佳奈が少し横にずれてくれた。

 テレビに映っているのは見たことがないお笑い芸人がキャスターを務めている番組。最近はこういう人が人気なのだろうか? テレビを見ないからだれがだれかわからない……あ、あの人は見たことがあるな。


 久々のゆっくりした時間に自然と肩の力がぬけ、先程聞こえた声のことなんて、すっかり頭から消え去っていた。



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