第24話 優しいひと。


「……ねぇ。ほんとにそれ買う必要あったの?」


「お供えものも持たずに墓参りなんて非常識よ」


「でも、そんな律儀に買わなくたって」


「なによ? 妙に食い下がるわね」


「べつに、そんなことないけど」


「そんなことあるわよ。……ん……よいしょっと……! ふぅ、不義理をしたのだから、形式くらいせめて守らないといけないわ」


「形式、ね……」


 そこまで大事なものだろうか。そんなものが。


「で、さっきからなにやってるの」


「見ての通り。墓掃除よ」


 バケツの水で濡らし固く絞った雑巾を使って、暮永さんはまるで頭を撫でるように棹石(さおいし)の部分を拭いていた。雑巾が黒ずむとすぐに水で汚れを取って、また暮石をごしごし拭き始める。だらりと額を流れる汗を拭うこともせず、作業に没頭する暮永さんの姿に、僕はなんとも言えない気持ちにさせられた。


「はぁ……これでとりあえず終わりかしら」


「暮永さん、スカート汚れてるよ」


「え……うわ、最悪ね……」


 と、嫌な顔をしながらも手は止めず、暮永さんはコンビニ袋からさっき買ったプリンを取り出すと、麦茶の入ったペットボトルと一緒に供物台の上に供える。それから思い出したように麦茶のキャップを緩めると、やっと満足そうに息を吐いた。


「ふぅ~……いや~言い汗かいたわね~。よしっ。もう解散でいいわね!」


「いいわけないでしょ」


 立ち去ろうとする暮永さんの手首を掴んで引きとめる。


「忘れてないよね。さっきの話」


「わ、わかってるけど……でもやっぱり、罰当たりではないかしら?」


「罰当たりって、なにが悪いの?」


「な、なにがって、ほらっ、道徳的にっ」


「僕らに関係あるの、それ」


「う……」


 僕が引き下がらないのを見て観念したのか、暮永さんは根負けしたようにため息をつくと、その場にしゃがみこむ。それからおもむろに、祈るように手を合わせた。しばらく瞠目したのち、意を決したように暮石と向かい合う。


「え、ええと……その……あ、あの……」


「……」


「その、あれよ……だから、その……」


「なにしてるの?」


「こ、言葉がまとまらないのよ‼ わかるでしょそれくらい‼」


 逆ギレされた。なんでだ。


「大体、伊庭くんが悪いのよ! こんないきなり連れてきて! こっちにも心の準備が要るのに、そういうの全部無視して無理やりこんなところまで! わ、わたしだって、最初からここに来ること知ってたら、前日の夜から話す言葉を文面に整えてきたのに! 四百字詰め原稿用紙八十枚はくだらなかったのに!」


「それは……すごいね」


 じゃない。


 勢いに負けて妙な相槌をしちゃったけどそうじゃない。


「そもそも、本当に準備なんているの?」


「い、いるわよ! なんで」


「だって、暮永さん一年以上も我慢してるんでしょ? 夜に眠れなくなるくらいにさ。それってずっと胸に溜めてることがあるってことだよね」


「それは……」


「言いたいことを言えばいいよ、暮永さん。」


 大丈夫、と僕は続けて、


「ここにはだれもいないから」


「…………だれも?」


 暮永さんはしばらく呆然と僕を見上げていたけど、不意に、自分が掃除をして綺麗になった墓石を見やった。それからもう一度唇を小さく動かして「……だれ、も」と静かにつぶやく。


 その手が、ぎゅっとスカートを掴んだ。


「…………べつに、今さら言うようなことでも、ないのだけれど」


 それはまるで諦めたような声音で、


「最初に、あなたに告白されたとき、わたし、本当は……」


 ぽつりと、こぼすように。


「すぐに、振るつもりだったの」











 述懐は堰を切ったみたいに止まらなかった。


「だって、すごく嬉しかったから。わたしみたいな子のことを真剣に好きになってくれて、それを真っすぐ言葉で伝えようとしてくれてるんだって、感じて。だったらわたしも状況に流されずに、ちゃんと本心で向き合わなきゃって……」


「でも、ね……」


「見えちゃったのよ。建物の陰に、花園さんたちが隠れてるのが。みんなすごく必死な顔で、あなたを応援していたわね……それでもう一度、あなたのキラキラした表情を見てみたら、なんだかもう、色々と気づいてしまって」


「要するに……あなたは主人公だったのね。可哀想な少年が不幸な運命に立ち向かう、感動映画の主人公。体育館裏に呼び出したのも、友達を応援に呼んだのも、全部演出。物語のなかの出来事。だからわたしをヒロインに選んだのね? それなりに仲が良い女の子で、なにより絶対に告白を断らなそうだったから。そうでしょう?」


「あのときわたしは精一杯あなたに誠実向き合おうとしたつもり。日を改めてふたりきりになれる場所で返事をさせてほしいって。なのに……次の日登校したら、なぜかわたしたちはみんなにカップルみたいに扱われていた。あなたが言ったのよね? 付き合うことになったって。なんでそんな嘘ついたのよ」


「何度も話しかける機会をうかがったけれど、ずっとあなたはわたしを避けているし、そうこうしていたら、いつのまにかわたしがあなたをぞんざいに振ったって噂が広まるし、その後あなたはすぐに入院してしまうし……ほんと、さんざんよ」


「みんなわたしを最低な女だって言った。友達だった子たちにも避けられて、校内にわたしの味方はどこにもいなかった。わたしはひとりだったの、あの学校の、あの教室のなかで……」


「だから、わたしは……」


 赤い唇が——皮肉な形に歪む。


「暮永さん」


「ッ」


 弾かれたように暮永さんは顔を上げる。そして僕を見上げた。


 暮永さんはなんだか、とても弱弱しい眼差しをしていた。


 僕はなにも言わず、ただじっと視線を合わせる。


「……」


 暮永さんはふと足元に視線を落とすと、やがて立ち上がった。自分の両肩を抱くようにして、また墓と向き合う。


「そ、そうよ……」


 声が震える。


「あ、あなたは……」


 唇が強く引き結ばれる。


「……めいわく、だった」


 静かに息を吸うと、暮永さんはぎゅっと目を閉じた。


「あ、あなたは、とても迷惑だったのッ‼」


 叫び声は途中で上擦って、清々しくもまぬけに響き渡る。


「ぁ……はぁ……はぁ」


 暮永さんは肩を大きく上下させながら、すうぅっと鼻で空気を吸った。興奮からか、頬を上気させて潤んだ瞳で目の前の墓を見つめている。


「す、少し遅れたけれど、これがわたしの返事っ」


 それでも、だんだん憑き物が取れたみたいに頬の赤みが引いていって、両肩に入っていた余計な強張りも抜けると、ゆっくり呼吸も落ち着いていった。


「……この数年間、ずっと自分を責めるしかできなかったけれど、いい加減、これで忘れさせてもらうわ」


 晴れがましい顔で、言った。


「これ以上、わたしの足を引っ張らないで」



 

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