第23話 言うべき相手は


「ね、ねぇ……」


目的の駅に到着してしばらく。


人通りの少ない道を黙々と歩いていると、暮永さんがおずおずと声を出した。


「なに?」


「い、いえ、その……この道って、もしかして……」


 億劫な足取りで暮永さんは周囲に視線をさまよわせる。


「なんだ、知ってたんだ」


「って、ことは……や、やっぱりっ」


「うん。まあ、そういうこと」


「っ……!」


 目的地を悟ったのか、暮永さんのまなじりが吊り上がった。


「な、なんでなの……⁉ というか、一体誰から……⁉」


「柚月ちゃんにね。ちょっと」


 といっても、おおまかな道順を教えてもらっただけだから、今はこうしてスマホの道案内アプリを頼りに歩いているわけだけど。


「い、一体どういうつもりなの……」


 暮永さんはその場に立ち止まると鋭利な眼差しで僕を射抜いてくる。いつもは子ぎつねの警戒くらいのものなのに、今は狼の威嚇くらいの迫力がある。


「そんな顔しないでよ。べつに騙すつもりはなかったんだ」


「なんにも教えられずこんなところまで連れてこられただけで、十分裏切られた気分よ」


「怒ってるの?」


「あたりまえじゃない!」


 そっか。怒ってるのか。


 思えばだれかに怒りを向けられるのは初めてな気がする。物ぐさな母さんは怒るなんて疲れる真似はしたくないだろうし、お人好しな父さんは少し叱るようなことはあっても、大きな感情を露わにすることはなかったから。


「理由(わけ)を話して。とにかく話はそれからよ」


 僕は学校でも当たり障りない立ち振る舞いが常で、こうして他人の領域に踏み込んだことは一度もなかったのだ。たぶん。


「話さないのなら、わたしは帰るわ」


 それがなんで今回ばかりはこうまでして踏み込んでいるのか、自分のことなのに全くもってわからない。一体どうしてしまったんだろう。僕は。


 ただ、とにかく。


 少し前から、胸のあたりがずっとむずむずして、落ち着かないから。


「中学生の頃から、ちゃんと眠れてないって、聞いた」


「え……?」


「柚月ちゃんが言ってたよ。暮永さんは中学でのことをずっと引きずってて、今もよく、うなされるんだって」


「だ、だからなに……」


「僕に優しくするのは、償い?」


 虚を突かれたみたいに、暮永さんは大きく目を見開いた。


「むかしのことを後悔してるから、その人を僕に重ねて、罪滅ぼししてるの?」


「……ち、ちがっ」


 喉が痙攣したように、その声は震えていた。


「違うわ! そんなつもりじゃない!」


「じゃあ、なんで僕を助けようとするの?」


「だ、だからっ……! あ、あなたに死なれたら、寝覚めが悪いから、でっ……」


 上手く喉が動かないのか、暮永さんは切実な眼差しで訴えかけてくるけど、僕には判断がつかない。結局ただ見つめ合うだけになってしまう。


「や、やめなさいよその顔!」


「普通の顔だよ。いつもどおりの」


「う、嘘よ! わたしのこと、責めている顔だわ!」


「そんなことないって」


「あるわよ! 絶対いつもと違うもん!」


「後ろめたいことがあるから、そう見えるんじゃない?」


「んぐ! や、やっぱり責めてるじゃないのっ!」


 歩道のまんなか、アスファルトの上で堂々巡りの口論を繰りかえす。自転車を漕ぐ男の人が不審そうな顔で僕らの横を通り過ぎていくけど、たぶん暮永さんは気づいていない。


「そもそもわたしはあの頃のことは微塵も後悔もしてないわ! 柚月になにを聞いたのかわからないけど、それは大きな勘違いよ!」


「じゃあ夜うなされてるっていうのは?」


「それも柚月の勘違い! わたし寝つきはいいほうだし!」


「の割にはいつも目元にクマつくってるけど」


「お、遅くまでソシャゲしてるのよ! 寝る前にログボだけもらおうとしたらついやり始めちゃうのよ! ゲーマーの性なのよこれは!」


「ごめん。なに言ってるかわからない」


「あああもー! なんでよ! わかりなさいよぉ‼」


 頭を掻き乱して悲嘆の声を上げ始めた。怖い。


「わからないよ。暮永さんのこと。なにも」


「ならどうしたらわかってくれるのよ……」


 暮永さんは顔を歪めてアスファルトに視線を落とす。


「後悔してないんだったら、そう言ってよ」


 僕は歩み寄りながら言う。


「ちゃんと、言うべきなんだ」


「だ、だからわたしは、さっきから」


「言う相手は、僕じゃないよ」


「え……?」


 また数秒、僕らは見つめ合う。


 風が吹く。街路樹がさらさらと枝葉を揺らす。


 木洩れ日がアスファルトに踊って、暮永さんの身体を優しく包み込む。長い黒髪が柔らかに翻って、尻尾みたいに毛先が跳ねた。


「わかるでしょ?」


「……」


「そのために、ここまで来たんだ」


 僕の真意が伝わったのか、暮永さんはわずかに息を呑む。弱弱しく瞳を揺らして、やがて自信なさげにうつむいてしまう。


「……わ、わかったわよ」


 けどしばらくしてから、囁くような小声で了承してくれた。


「でもその前に、ちょっとコンビニ寄らせて」


「なに? 喉でも乾いた?」


「ち、違うわよ。なにも準備しないで行くのは失礼でしょう」


 暮永さんはかつかつと怒ったように歩き出した。






 それなりに傾斜の大きい坂をふたりで上り切った。


 生ぬるい風が頬を撫でる。かすかに線香の香りが鼻腔をくすぐった。


 丘の上に切り開かれた場所には四角い形の石がいくつも並んでいる。どことなく壮観で、なんとなく大きい声を出すのがためらわれる、そんな厳かな空気の漂う場所。


 いわゆる墓地だ。


 それ以外の呼び方は知らない。


「……バケツ、あるかしら」


 駅の近くで話してからずっとむっつりとした顔で喋らない暮永さんは、初めに駐車場の近くにあった屋根付きの道具置き場っぽい建物に寄って、青いバケツに蛇口で水を汲むとそれを持ち、ふらふらと危なっかしい足取りで出てきた。


 横から奪うように僕が代わりに持ってあげると、暮永さんは「フン」と不機嫌そうに鼻を鳴らす。おかしい。感謝されると思ったのに。


「えっと……たしか、隅っこのほうって……」


「こっちよ」


 僕が立ち止まって柚月ちゃんから教えられた位置と実際の景色を照らし合わせていると、暮永さんがさっさと先導して歩き出す。そのまま淀みない足取りで墓の間を縫っていくものだから、おもわず僕は訊ねた。


「なんか、慣れてない?」


「……直前までは、何度も来たわ」


「そうなんだ」


 先を行く暮永さんの背中からなんとも言えない感情が見え隠れしている。こんなところまでやって来て、直前で引きかえす。そんなことを何度も繰りかえしてきたんだろうか。


 それは一体どんな気持ちだったんだろう。見当もつかない。


 ——タン。


 と、靴音を響かせて小柄な背中が立ち止まる。表情はうかがえない。


 向こうに聞いていた名前が掘られた墓があった。


 あれが、彼の墓なんだろう。


「暮永さん」


「……ハイハイ」


 僕が名前を呼んでうながすと、暮永さんは億劫な足取りで前へ歩みを進めた。


 細い腕に提げられたコンビニ袋が、右に左に揺れた。



 

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