第18話 暮永さんと那瀬さん
残りはどこで食べようかな。
弁当の入った風呂敷を手に提げて、渡り廊下から新校舎へ戻っていく。
「……ん?」
教室へ戻る途中、遠くから言い争いの声が聞こえた。
階段を上って角を曲がると、廊下の中央に妙な人だかりができているのが見えた。
「なんでわかってくれないの⁉」
叫び声をあげるのは、赤いメガネをかけたポニーテールの少女。つい今朝、僕に暮永さんのことで注意を促してきたあの女生徒だった。名前はなんだったか覚えていないけど、おそらく間違いない。
「前に言ったよね⁉ あいつとはもう関わらないほうがいいって‼」
なんだか聞き覚えのある台詞だ。
もしかしてまた暮永さんのことだろうか。なんだかあの子はいつも暮永さんのことで騒いでいる気がする。本当にどんな因縁があるんだろうか。気になるかと言われればそこまで気にはならないけど。
「というか……」
誰と口論しているんだ?
相手の姿はここからはうかがえない。進路上、人だかりのなかに入らざるをえなかった僕は、騒然とする生徒たちの隙間から相手の姿をちらりと見やる。
モデルみたいに綺麗な女の子が、そこに立っていた。
「那瀬さん……?」
おもわず名前を呟くけど、小さな声は当然届くはずもなく。
那瀬さんはスカイブルーの瞳を細めて迷惑そうに女生徒を見つめた。
「ええ。聞きました。花園さんの助言も加味したうえで、わたしは文芸部を辞めたんですから」
「だったらなんでまた会ってるのよ!」
「それは……」
問い詰められて返答に窮する那瀬さんだけど、ややあって表情を引き締めると、花園さん(そんな名前だった)をじっと見下ろす。
「気が変わったんです。ダメですか? それが理由では」
「ダメとかそういう問題じゃ……!」
「花園さんがなんと言おうと最終的に判断するのはわたしです。そこまであなたに口を挟まれる筋合いはありません。違いますか?」
「っ……‼」
花園さんはわずかに気圧されて後ずさる。
「じゃ、じゃあなに⁉ また文芸部に戻るって言うの⁉ あんなに話すのも嫌だとか言ってたくせに、今更戻るって⁉」
「それこそ花園さんには関係ないことです」
「ま、また呪われるわよ! 最近のあいつは見境がないからね! 最近部員になった伊庭って男子は腕を怪我させられてたし、那瀬さんも今度は足だけじゃ済まないかもしれないわ!」
周囲にも聞こえるような大声で花園さんは言う。わざとなのかな。とにかく効果はてきめんみたいで、野次馬に集まったみんなが余計にざわざわとし始める。
「以前も言いましたがわたしの怪我は自己責任です。看鳥ちゃんは微塵も関係ありません。もちろん、伊庭くんの腕の怪我も同じです」
「彼は入学してから四度も事故に遭っているのよ。本当に偶然だと思ってるの⁉」
「偶然ではないですが、違うんです」
「なにが違うのよ⁉」
「だ、だから……」
よくわからないけど、僕のせいで那瀬さんが困っていた。
なんか、ごめん。那瀬さん。
「那瀬さんが暮永をかばう必要なんてないの。あいつの本性は中学からずっと変わらない。同じ学校のあたしらが、知ってるから」
花園さんは真摯な眼差しで那瀬さんを見つめ始める。
「那瀬さん。あなたは騙されてるの。あいつに」
「ッ……、またそれか」
那瀬さんが一瞬、ムッとした顔を浮かべたのが、遠くからでもわかった。
「騙されてるとかなんもわかってないとか。ほんなんばっか。馬鹿にしてんのか、ほんまに」
「え……?」
ぽつり、と突然の関西弁で吐き捨てる那瀬さん。不意に顔を上げると、鋭い眼差しで花園さんを捉えた。
「看鳥ちゃんは、絶対にあんたらが思ってるような人やない」
「那瀬、さん……?」
「わたし知ってんねんで。あんたらがみんなに看鳥ちゃんのあることないこと吹き込んで、悪い噂広げてんの。なに考えてんのか知らんけど、アホみたいに寄ってたかって女の子ひとり孤立させよう思てんなら、あんたらそうとうイカれてんで」
豹変したようにいつもと違う口調で責め立てる那瀬さんに、花園さんは結構面食らったみたいだった。けれど最後の言葉は聞き逃せなかったのか、険しい顔で那瀬さんをにらんだ。
「い、イジメみたいな言い方はやめてよ! あたしらはただ、みんなが暮永の被害に巻き込まれないようにしてるだけ!」
「人を呪い殺したとかって話? アホらし。ほんまに信じてんの?」
「事実よ! あたしらの仲間はあいつに殺されたの‼ 病気で、寿命もあと少ししかなかったのに! 貴重な時間を奪われて、あげく殺されたの……‼」
花園さんの表情は切実だった。
寿命があと少しで、そんな男の時間を奪って殺した。
学校の廊下で耳にするには、あまりにも悲惨な内容だったと思う。まるでドラマか映画の話みたいだ。どこまで本当なのかは僕にはわからないけど、少なくとも暮永さんの噂に怯えている生徒たちは騒然とし始める。
那瀬さんは、譫言を聞くようなあきれ顔を浮かべていた。
「それでもあいつは知らない振りして! あいつは、そういう女なのよ‼」
「まだそんなこと言うてんのか……」
「事実だよ! 本当に!」
「信じるわけないやろ、そんなん。人殺しとか、看鳥ちゃんがするわけない」
「なんでよ‼」
ほとんど絶叫に近い声だった。後ろに控えていた背の高い男子が、大きく呼吸を乱す花園さんの肩に手を置いて落ち着かせる。
騒然としていた場が、あまりに真に迫った花園さんの叫びに静まりかえる。
だからだろう、その声はよく響き渡った。
「なにも知らないくせに、ずいぶんと勝手なことを言っているのね」
かつかつ、とローファーが廊下を蹴る音が聞こえ、すぐに止まった。
人だかりが、そろそろと廊下の両脇に寄っていく。モーセの海割りだっけ。まさにそんな具合で見事に生まれた空間に、ひとりの少女が立っている。
暮永さんだった。
「看鳥ちゃん……」
安心したみたいに那瀬さんが名前を呼ぶ。
「く、暮永……」
「フン……」
腕を組みながら、不機嫌そうに鼻を鳴らす暮永さん。さっき部室で寝ていたはずだったけど……あんまり眠れなかったのかな、と僕はぼんやり思う。
「な、なにが勝手なことよ‼ 自分のこと棚上げして……‼」
「あなたに言ったのではないわよ。花園さん」
暮永さんの暗い眼差しが見据えるのは——那瀬さんだった。
「花園さんが言っていることはすべて事実よ。勘違いしてるのはあなたなの。那瀬叶葉さん」
「え……は……?」
酷薄な笑みが、その口元に浮かんでいる。
「わたしは人殺しなの。あなたと友達ごっこをしてるのも、ただの遊び。残念だったわね」
冷たく言い放つ。突き放すように。
那瀬さんは「なん、で……」とかすれた声で茫然と立ち尽くす。
「暮永、あんた……」
「ということだから、花園さん? これ以上子供みたいに騒ぐのはやめにして、さっさと戻りなさい。あなたの声、煩わしくて聞いていられないの。他の人たちにも迷惑でしょう?」
「なによその言い方……那瀬さんはあんたをかばってたのよ‼」
「勝手にやってるだけでしょう。頼んだ覚えはないわ」
その冷たい物言いに、花園さんだけじゃなく、それを見ていた人のなかでも信じられないといったふうに眉をひそめる生徒が何人かいた。
「あまり聞き分けがないと、本当に呪うわよ?」
不気味に笑ってみせる暮永さんは、脅しでなく本当に人を呪えそうな雰囲気を漂わせている。
なるほど。噂が消えないわけだ。
「なんで、そんなこと言うの?」
僕が声を発すると、暮永さんが嫌な表情のまま振りかえった。
「ふふ、なんのことかしら? 伊庭太啓くん?」
「似合ってないよ。その口調」
近づいて言うと、暮永さんの瞳の奥がかすかに揺れる。
そのとき不意に誰かに肩を掴まれた。僕は振り向く。
花園さんの後ろに立っていた、あの男子生徒だった。
切れ長な冷えた眼差しが、僕を間近で見下ろす。
「……なに?」
「無関係な奴は引っ込んでろ」
「僕は暮永さんの友達だよ?」
「ハッ」
なぜか鼻で笑われた。
「利用されてんだよ。おまえ。あっちは友達とも思ってねーぞ」
「そうなの?」
「当然だ。おまえみたいな鈍感そうな奴。利用するには打ってつけだろうしな」
馬鹿にされてるのか。でも言っていることは事実だ。僕は鈍感だから。
ただそんな鈍い僕でも、なんとなくならわかることがあったりする。
「花園さんのこと、好きなの?」
「なっ……‼」
小声で言うと、男子は顔を真っ赤にする。やっぱり。
なら話は早い。
僕はその隙に顔を近づけて、耳元で囁いた。
「ッ……⁉」
途端、男の顔が怒りに染まって、僕の肩に置かれた手にぐぐっと力が入ったのがわかった。
凄い形相で僕をにらみつけると、片方の拳を大きく振り上げる。左利きか。ちょっと好都合かも。
「ちょ! 颯真(そうま)‼」
花園さんに名前を呼ばれても止まらず、男は感情任せに僕の頬を殴りつけた。
僕は勢いよく吹っ飛んで、廊下の窓ガラスに後頭部から叩きつけられる。パキッ、とガラスの割れる音がして、何人かの女子の悲鳴が響き渡った。
「ぇ……? や、俺はそこまでは……」
「伊庭くん‼」
暮永さんが慌てて駆け寄ってくる。
僕はとりあえず目を閉じて、気絶したふうに倒れ込んだ。
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