第17話 部室とメモ帳
昼休みになってしばらく、僕は弁当を持って校舎をあちこちさまよったあげく、文芸部を訪れた。
本当なら教室から部室へ直行するんだけど、それだと暮永さんが気を遣って僕に世話を焼こうとするから、少し遅れてきてほしいと柚月ちゃんに頼まれていたのだ。
部室に入ると案の定、暮永さんの姿はなくて、なんかにやにや笑っている柚月ちゃんが一人で待っていた。
「あらら? 辞めたんじゃなかったっすか?」
「……なんの話?」
にひひ、と柚月ちゃんが悪戯っぽく笑う。
「姉御が言ってたっすよ~。伊庭くん、退部するって言ってたって」
「え…………あ」
もしかして、さっきの話、聞こえてたのか。
「あんなの嘘だよ。本気じゃない」
「まあ、そっすよね~」
「……暮永さんはどこ?」
「就寝中です。傷心中で」
「はぁ……」
テーブルに着いて弁当を広げる。暮永さんがいるだろう部屋の扉を一瞥して、僕は柚月ちゃんに訊ねた。
「暮永さんは、なんでいつも昼休みに寝るの?」
「姉御は基本的に寝不足なので。ここでそのぶんを補給してるっす」
「寝不足……」
「夜はうなされて眠りにくいらしいっす」
暮永さんの目元にうっすらと浮かぶクマを思い出す。あれは単なる睡眠不足ではなかったらしい。
「なんでそんなにうなされるんだろ。僕、うなされたことないからわかんないや」
「色々と事情があるんすよ……」
はぐらかされた。
まあ、いいや。と僕は思った。
「まあ、とにかく、そんな状態であの教室にずっといるでしょ? そうするともう、お昼になる頃には体力の限界が来ちゃって、ああしてすぐに眠っちゃうっす」
「……」
教室での暮永さんはどう見ても居心地が良さそうではなかった。わざと感情を悟らせないよう壁をつくる様子は、まるで見えない痛みに耐えているようにも思えた。
ずっと、ああして気を張っているのだろうか。
「ここは、姉御の唯一の居場所っす」
「ここが……」
この部室が、この校舎で唯一、暮永さんが気を休めることができる場所、なのか。
「僕が入らなかったら、廃部の危機だったって聞いたな」
「はい。だから先輩にはめっちゃ感謝してるっすよー。お礼にキスしてあげてもいいくらいっす」
「また今度お願いします」
ヒャーッ、と身をくねらせて変な声をあげる柚月ちゃん。たまには冗談でかえしてみようと思ったんだけど、この年下の女の子には通じなかったみたいだ。上辺だけの照れた反応に、僕はなんだか安心して、笑ってしまった。
「先輩に迫られてしまいましたぁん」
そんなつもりは一切ありませんが。
なぜかもだえだした柚月ちゃんから視線を外して、僕はテーブルの上に置きっぱなしにしてある暮永さんの日記を見やった。
「今日も置き忘れてあるね。これ」
「さっきまで書いてたんすよ。姉御」
柚月ちゃんはくるりと顔をこっちに向けて、にやっと、また笑った。
「……見たいっすか?」
「乙女の秘密、じゃなかったの?」
「先輩がどうしても気になるって言うなら、目をつむるっすよ?」
冗談めかした口調で言われて、僕はおもわず、じっとそれを見つめる。
「……」
無言で日記に手を伸ばす。
柚月ちゃんが「おおっ……!」となぜか興奮した声をあげた。
僕は気にせず、日記の表紙を見つめる。
真っ黒な表紙は女の子が使うにしては地味な感じがする。でもそれがなんだか暮永さんらしいとも思えた。垢抜けていないという意味ではなくて、自分のことに無頓着なところが。
「……ん?」
ふと、折り目のついたページが目につく。
なんとはなしにそこを開いた。
『観察日記。伊庭太啓くんについて。』
書き込みはそんな文字から始まっていた。
「律儀にタイトル振らなくても……」
なんだか、夏休みの自由研究みたいだ。
『彼が変わるためにはどうすればいいのか。いくら考えても妙案は出ない。ので、とりあえずは私が感動するものを彼に知ってもらおうと思う。それで彼が共感してくれるといい(感性の強要にならぬよう注意)。』
それから、あらかじめ決めてあった予定が続く。
『とりあえず朝はお気に入りのあの場所に伊庭くんを連れていこう。胸が空くようなあの絶景はきっと彼の胸を動かしてくれるはず。』
『昼は遠出して映画を観に行こう。見るのはあの泣ける作品がいい。ゴールデンウィークに見た私のお気に入りの作品だが、伊庭くんにとってはどうだろう。同じように感動してくれたら嬉しい。』
『その後は未定。柚月に聞いて一緒に考えてもらおう。』
次からは当日のメモ書きだろう。筆跡が少し乱れていた。
『街の景色
→伊庭くんはあまりピンとこなかったようだ。少し寂しいがしかたない。次だ次。』
『映画鑑賞
→失敗。気がつくと伊庭くんが寝ていた。頭をすっきりしてもらおうと朝から運動をしたのが裏目に出た。しかもそれにわたしが拗ねて、空気が悪くなってしまった。反省。』
『水族館(柚月提案)
→これもダメ。わたしは海の生き物はいつも神秘的で見惚れてしまう。けど、伊庭くんの琴線には触れなかった様子。でもくらげは気に入っていたかも。私の勘違いかしら』
『一日頑張ってみたけど効果はなし。次に期待だ。
引き続き頑張ろう。』
「……」
僕は、ややあって、次のページを開く。
『妙案は今回も出ない。でも時間を無駄にしたくはないので、今週末は遊園地へ連れて行こう。我ながら苦し紛れだが、とにかく伊庭くんが楽しんでいるところを見てみたい。』
『当日。
叶葉さんが現れた。どうして? 以前はしかたなく追い出してしまった形になったからまた会えるのは嬉しいけど、なにも今日じゃなくていいのに。
色んなアトラクションを巡った。が、伊庭くんに変化はなし。フォールタワーなんてびっくりするくらい無反応だった。私は顎が外れそうだったのに、ある意味伊庭くんはすごいかもしれない。
その後伊庭くんを見失った。原因は叶葉さんだ。伊庭くんが叶葉さんに興味を持っているという話だったが、本当だとしてもそのやり方は賛成できない。やはり叶葉さんは要警戒だ。
それで結局、叶葉さんの言っていたこともただの勘違いだったらしく、反省しているようだ。
なんにせよ予定は台無しになった。しかたない。切り替えよう。
次の週末で挽回する。伊庭くんの心に届くものが、まだどこかにあるはず。』
メモ書きは次のページにも続いていて、どうも僕に貸してくれたゲームのことや他にも色々書かれているみたいだったけど、最後まで読む前に僕は顔を上げて、無意識に息を漏らした。
「……ふぅ」
「どうだったっすか?」
柚月ちゃんに訊かれるけど、なんて言えばいいか、わからなかった。
「……僕のことばかり、書いてある」
「羨ましい限りっすね~」
僕は日記を閉じるとそれを元の位置に戻す。
「暮永さんは、なんでこんなに他人のことを考えられるんだろう」
「姉御は優しい人っすからね~」
「優しい人は、たくさん知ってるよ」
でも暮永さんは、それとはちょっと違う気がする。
「普通はここまでしない、と思う」
「その通りっすねえ」
柚月ちゃんはいつもの調子で言う。
「姉御の優しさは、普通じゃないんです」
「……」
「だから普段は無意識に嫌味なことを言ったりして、バランスを保ってるんすよ。きっと」
「バランスって……なんの?」
「さあ」
「さあって……」
いつまでも飄々としている柚月ちゃんから視線を逸らし、僕はとなりの部屋へ続く扉に視線を向ける。
「やっぱり僕、戻るよ」
「教室は居づらかったのでは?」
「うん。でも……起こしちゃ悪いから」
僕がそう答えると、柚月ちゃんはなんだか含みのある笑みを浮かべて「了解っす。ではまた~」と軽く手を振る。
僕は頷いて、部室をあとにした。
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