第16話 教室での暮永さん


「復習忘れんなよー」


 教師の言葉で授業が締められると、僕は席を立つ。


 一時限目と二時限目の隙間時間、ほんの十分程度しかないけど、簡単な用事を済ませるだけなら都合がいい。


 暮永さんのクラスは二年六組。僕の属する三組とは階段を挟んだ反対側で、こっちの廊下にはあんまり足を運んだことがない。


 移動教室で別棟へ向かう生徒たちとすれ違いながら、時おりまた顔を刺されながらさっさと歩いていく。


 まもなく二年五組のプレートが掲げられた教室に到着した。


 扉は開いている。


「どこかな」


 入口から覗きこむと、その姿は一瞬で見つかった。


 単に目立つからじゃない。黒板に近いところの席に座り、じっと本を読んでいる暮永さんの近くに、不自然なくらい生徒がいなかったからだ。


 中休みですら敬遠されているのか、クラスメイトたちは暮永さんから一定の距離を置いて、普通に談笑している。僕のときみたいに、ちらちらと視線を向けられたりするわけでもない。まるでそれが習慣のように、ただルールを守っているような自然さで、みんなが暮永さんを避けているような。


 暮永さんもそれを受け入れているのか、つとめて外側から意識を遮断するかのように視線をひたすら手元の本に固定していた。イヤホンをしているわけじゃないのに、大きな声で呼ばないと気づいてもらえないような気がする。


「なんか……いつもと違うな」


 部室でばかり会っていたから、教室でどんなふうに暮永さんが過ごしているのか僕は知らなかった。想像もしたことなかったと思う。


 ——こんな感じなんだ。教室では。


「暮永さん」


 近づいて名前を呼ぶ。とたん教室がざわめく。


「……」


 でも思った通り暮永さんは気づいてくれず、依然として無表情で本を読みながら、ぺら、とページをめくった。


 僕はもう一度「ねぇ、暮永さん」と声をかける。


 すると、なんだかゆらりとした動きで首が動いて、淀んだ瞳とばっちり目が合った。まるで機械みたいな、無機質な動きだ。それから、ちょっとの時間を置いて、ゆっくり暮永さんの瞳に光が灯っていく。


「……え? あれ?」


「おはよう。暮永さん」


「伊庭、くん……? な、なんで……」


 おもしろいくらい急に表情筋が動き、ぎょっとした顔をつくる。


 その瞬間、



「ねぇ、あれ……」

「うわ、暮永に喋りかけてるじゃん」

「あの男子ってたしか……」

「あれだよ。暮永に脅迫されてた……」



 ざわめきの波が押し寄せてきた。


「っ……!」


 周囲の反応に暮永さんも気づいたのか、まるで視界の端っこで教室の様子をうかがうようにすると、慌てて表情を取りつくろって、意地の悪い笑みを浮かべた。


「ふっ、珍しいわね。こんなところまで来るなんて」


「うん。いきなりごめんね」


「謝罪はいらないから、さっさと要件を言いなさい」


 不遜な態度で言う暮永さんに、僕は首を傾げながらも言った。


「週末、また集まる予定だったでしょ? 僕、その日母さんに会いに行くことになっちゃって。いけなくなったんだ」


「ああ、そう」


「本当は昨日、言っておくべきだったんだけど」


「ハッ、そんなどうでもいいことをわざわざ言いにくるなんて、あなたって相当暇なのね。それとも、メール機能を忘れるほど馬鹿なのかしら?」


「……あー」


 それはたしかに。


 誰かと連絡を取ることがほとんどないから、つい忘れてしまっていた。


「あきれた。本当に考えなしなのね」


 暮永さんは、ひらひら、と素っ気なく手のひらを振って、


「用件は聞いたわ。さっさと帰りなさい。目障りよ」


「……うん。わかった」


 と返事しつつ……僕はじっと暮永さんの顔を見つめてしまう。


「な、なによ……?」


「や、その」


「まだなにか言いたいことがあるの?」


「ううん、べつに」


「じゃ、じゃあなんで突っ立ってるのよっ」


「なんでかな。わからない」


 言いながら、僕はなんとなく、暮永さんのとなりの席に腰を下ろす。少しだけ首を回して、ざわざわ、ひそひそと僕らを見て騒がしい教室の様子を見回すと、また暮永さんに向き直った。


「大丈夫?」


「な、なにがよ?」


「うーん、僕も、わからないんだけどさ」


 ちょっと身をかがめて、今度は暮永さんの顔を下から覗きこみながら、僕は「大丈夫?」と同じように訊ねる。


「だっ……大丈夫よっ。大丈夫だからっ」


「そっか。ならいいんだ」


 さっと席を立つ。


「な、なんなのよ……」


 呆然とする暮永さんを置いて踵をかえす。教壇のあたりで桜庭先生とすれ違う。次の授業は国語だったのか、教科書を抱き締めながら先生は驚いた顔をしていた。


 生徒たちの遠慮のない視線にさらされながら、僕は教室をあとにする。


「ちょっと」


 でも、簡単には出られなかった。


 教室のドアの近くで、見覚えのある女子に話しかけられたのだ。


「えっと、君は……」


「花園かすみよ。前会ったでしょ」


 女子は赤縁メガネ越しの鋭利な眼差しで僕をにらむ。


「……あー」


 そうだ。以前、僕に退部を勧めてきた子だ。


「そう、花園さんだ。うん」


「あんた、今まで忘れてたんじゃ……」


「そんなことないよ。で、なにかな?」


 早く戻らないと次の授業が始まっちゃうんだけど。


「……あんた、この前、退部するって言ったわよね?」


「え? そうだったっけ?」


「そうよ!」


 まるで覚えがなかった。もしかしたら、その場しのぎのために適当に返事でもしたのかもしれない。あのときはたしか、ほかにガタイのいい男子生徒が二人くらいいた気がするし、面倒に巻き込まれるのを嫌ったんだろう。


 それにしたって、この子をこんなに不機嫌にさせるような真似をした心当たりもないんだけど。


「あいつは危険だって言ってんのに! なんでまだ部にいるのよ! しかも一緒に遊んじゃったりして、あんたも那瀬さんも、なに考えてんの⁉」


「んー……」


 頭を掻く。なんと答えるべきか。咄嗟に思いつかない。


「ま、まさか那瀬さん……、また入部するってんじゃないわよね?」


「さあ。それは本人に聞かないと」


「そんなのわかってるわよ!」


 顔を赤くして大きな声をあげると、次いで花園さんは頭を抱えてしまった。


「…………やっとあいつを一人にさせたと思ったのに、くそっ……! 変な後輩は入ってくるし、那瀬さんもまた関わってるし、意味わかんない!」


「ごめん、なんて?」


「な、なんでもないわよ‼」


 なんでもない。本当かな。


 僕が首を傾げてみせると、花園さんは焦ったような声で言った。


「と、とにかく‼ 暮永は本当に危険なの。うかうかしてるとあんた、本当に呪い殺されるわよ」


「そんな、殺されるって……」


「あたしはこれ以上被害者が増えてほしくないの!」


 どうも花園さんは平静を欠いているみたいだった。これは下手に反論したりすると余計面倒なことになるかもしれない。


 そう判断して、僕は頷いた。


「わかった。今度こそ辞めるよ」


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