第15話 盗み撮り


 昼間からリビングのソファーに座って大きなテレビ画面とにらみ合っていると、がちゃ、と後ろの扉が開かれる音がした。


「おお、珍しいね」


 パジャマを着たボサボサ頭の父さんが、メガネの奥で目を丸くさせる。


「おはよう。父さん」


「はい、おはよう。昼間からゲームかい?」


「うん。友達に貸してもらって。テレビ譲ったほうがいい?」


「いいや、やってていいよ」


 滅多にゲームなんてしない僕がコントローラーを握っているのがおかしいのか、父さんは興味深そうな笑みを浮かべながらテーブルにつく。


 小説家なんて稀有な仕事をしている父さんとは、あまり干渉し合わない間柄だ。他人ではないだけ、という妙な距離感がある。でも僕が部活を辞めてからはこうして喋る機会が増えて、なんとなく父さんは嬉しそうな顔をすることが多くなった。


「RPGだね。それも去年発売したやつ」


「知ってるの?」


「ああ。意欲作だって聞いたねえ。荒廃した世界観が妙に美しくて、ストーリーにも力が入っていると噂の……。勧めてくれた友達はなかなか通だね。男の子?」


「女の子だよ。文芸部の、部長の」


 父さんは珈琲を一口飲んでから、


「へぇ、かわいいの?」


「んー……どうだろ」


 たしかに暮永さんは女の子で、ちょっと小動物的な意味ではかわいいかもしれないけど、怖い顔のほうが多いし、事実みんな怖がってるし。


「いいね。今度うちに連れてきなさい。挨拶したい」


「たぶん、父さんが思ってるような関係じゃないよ」


 父さんが活き活きとした顔になるから、とりあえず訂正しておいた。


 液晶画面の向こうで僕が操作する女性キャラクターが砂漠を駆けていく。やがて接敵したのか不穏なBGMが鳴り始めて、機械でできた巨大なムカデみたいなモンスターが砂のなかから飛び出してくる。


「太啓くん。なんか変わったね」


「え、どこが?」


「んー、具体的に指摘するのは難しいね」


 何度か戦っているうち攻撃パターンも読めてきたから、僕は難なく機械ムカデの猛攻をいなして着実にダメージを与えていく。


「けど、きっと前までの太啓くんだったら、女の子は誰でもみんな、とりあえず『かわいい』って答えてたんじゃないかな?」


「そう、かな」


「うん。そうでなくても、わざわざ誤解を訂正したりはしなかったと思うよ?」


「あ……」


 スティックを弾く指が滑って、瞬間、鞭のようにしなる巨大な尻尾に打たれて僕のキャラクターが大きく吹っ飛んだ。大幅にヒットポイントが削れて、ゲージが真っ赤に染まってしまう。


「おー、すごい吹っ飛んだね」


 父さんは呑気に言って、それから急に真面目な顔つきになって、


「まるで、車に轢かれたみたいだね」


「……」


「キャラクターは死なないけど、普通は死んでる」


 と言って、また珈琲カップを傾ける。


「勘弁してね。もう」


 最後まで飲み干すと、立ち上がってキッチンへ向かった。


 僕はほとんど瀕死状態になった自分のキャラクターをじっと眺めると、おもむろに回復アイテムを使って体力を回復させた。コントローラーを膝のうえに置く。


「そういえば、梧子(ひろこ)さんが呼んでたよ」


「母さんが?」


「ああ。また近いうちに顔を見せに行ってあげて。休日の、昼にでも」


「うん」






『——早いわね』


 外が暗くなってきた頃、ようやくゲームをクリアした僕はスマホで通話をかけた。もちろん相手は暮永さんだ。


「そうかな? けっこう時間かかっちゃったと思うけど」


『もしかして、朝からずっとやっていたの?』


「うん、まあ。ちょっと攻略も見ちゃったけど」


『ふぅん……もしかしてハマったのかしら?』


 ほんのり期待を寄せた声がスピーカーから漏れる。


「んー……暮永さんが言ってくれたから、一応最後までやってみたんだけど、正直あんまりピンとこなかったかも」


『やれと言われて、最後までプレイできるのね……』


 期待があきれに変わる。どうしてだろう。


『……ゲームは映画やマンガとは違って、自分で物語を進めていくものだから、特別なおもしろさがあるのよ』


「前も言ってたね」


『くわえて今回はわたしがやったなかでも一番おもしろかったものを勧めたのだけれど、そう、ピンとこなかったのね……』


 深いため息が聞こえた。


「なんか、ごめんね」


『謝らないでくれるかしら。余計へこむわ』


「そんなに好きだったんだ……暮永さんって意外とゲーマー?」


『シナリオゲー専門よ。アクションは苦手だけれど、今回のは操作も簡単だし、雰囲気もいいから、一番気に入っているのよ』


「へー……」


『あなたわかってないでしょ』


 バレた。


『はぁ……いいわ。ゲームはダメ、と』


 かすかにペンを走らせる音が聞こえる。


「暮永さん?」


『次はまだ考えてないから。追って知らせるわ。とりあえず今週末は空けておいてくれるかしら?』


「う、うん」


『じゃあ今日はこれで』


「わかった。色々とありがとね」


『……フン』


 ぷつ、と音を立てて通話が切れる。


 直後、僕は失念に気づいた。


「……そういえば、言うの忘れてたな」


 今かけなおせば間に合うかな。


 ちょっと考えるけど、すぐにかぶりを振った。


「明日でいいや」


 僕は立ち上がってぐんと伸びをした。






 週初めの月曜は重たい雲が空を覆っていて、いつ雨が降ってもおかしくないような、どんよりとした天気から朝が始まった。


 僕は登校してすぐ、肌を刺す多くの視線に気がつく。


 そういえば僕は今、暮永さんに入部を脅迫された可哀想な文芸部員であると噂されているのだった。しかも話しかけると暮永さんの呪いが伝染(うつ)るとして、現状、誰もが僕を遠巻きにしている。


 教室に入ってもそれは同じで、誰も僕に話しかけないのに、ちらちらとこちらに目をやっては、ひそひそと何事か囁き合っていた。


「なんか、増えてる?」


「あたりめーだ」


 振り向くと、あきれ顔の浅谷が立っていた。


「浅谷、おはよう」


「呑気に挨拶してる場合か。おまえ、暮永看鳥とどっか遊びに行ってただろ。先週の日曜」


「あれ、なんで知ってるの?」


「写真が出回ってんだよ。お前らが仲良く遊園地を歩いてるところがよ」


 ほれ、と差し出されたスマホの画面を僕も覗きこむ。


 それは僕も知ってる写真共有サービスの投稿の一つだった。人々が密集するなか、誰かが盗み撮りしたのか、なんとも綺麗に僕たちみんなが画角に収まっていた。『叶葉ちゃんこんなところにいた‼』という文字を見るからに、投稿者はうちの学生じゃなく、那瀬さんのファンのようだった。


「なーんでおまえが那瀬さんと手ぇ繋いでんだよ」


「え、そこなの」


 たしかに写真では僕は那瀬さんに手を引かれているけど。


「那瀬さんが元文芸部なんは有名な話だからな。で? なんでなんだよ?」


 じとーっと湿った眼差しで見られて、僕はひらひら手を振った。


「浅谷が思っているような関係じゃないよ。あれは那瀬さんが僕に気を遣ってくれてるだけ」


「……ならいいが。今ちょっとした騒ぎになってっから、注意しとけよ」


 やっぱり浅谷はいい奴だった。


 けれど渦中の僕とこうして話していたら、そのうち浅谷まで巻き込まれてしまうかもしれない。しばらくは距離を置く必要があるだろう。僕はそう思った。


「……なあ、マジで那瀬さんとはなんもないんだよな? ひょっとして手を繋ぐ以上のこととか、その……」


「それは大丈夫。未遂だったし」


「そうか……………………って、未遂⁉」


 そのとき口が滑ったことを後悔したのは、数十分に渡る浅谷からの質問攻めが終わったあとのことだった。

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