第13話 観覧車にて。
「作戦成功ですね」
那瀬さんが足取りを弾ませて僕の顔を覗きこんでくる。
「なんか暮永さんに悪い気もするけど……」
「共犯ですから、もう一蓮托生ですよ」
「まじかぁ」
言われた通り後を追ってトイレに向かったところ、なぜか待ちかまえていた那瀬さんに手を引かれて流されるまま離脱することになった。勢いにつられて僕もそこまで抵抗はしなかったから、たしかに責任は負うべきなんだろうけど。
「安心してください。先ほど、わたしから謝罪を送っておきましたので」
柚月さんのほうにですが、と悪戯っぽい笑みで付け足されて、僕はぽりぽり頭を掻く。確信犯だ。
不義理はダメだと言った矢先にこれなのだから、暮永さんに叱られるのは当然として、柚月ちゃんにも呆れられてしまうだろうな。と思った。
「もうやっちゃったんですから、ここは開き直って楽しみましょう。伊庭くん」
「うん。……ちなみになんで抜け出したの?」
あとで暮永さんに弁解するときに必要だろうと思って、訊ねてみたんだけど、
「わたしとふたりでは、伊庭くんは嫌ですか?」
訊きかえされる。狙ったような上目づかいで。
やっぱり今日の那瀬さんは様子がおかしい。不自然なくらい積極的で、妙に距離は近いし、いつも以上に美少女オーラがほとばしっている。
鈍感な僕でさえ気づくくらいなのだ。これは後々のことを考えて、今のうちに那瀬さんの真意を知っておいたほうがいいかもしれない。そう判断してすぐ「あのさ、那瀬さん」と口を開く。けどタイミングが悪かった。
「あ、あのっ‼」
急に女の子から声をかけられて、那瀬さんが「はい?」と振り向く。
「な、那瀬叶葉ちゃん、だよね? 前に『CANAN』に出てた」
「は、はい。そうですが」
馴染みがない単語は雑誌の名前だろうか。女の子の顔がぱっと輝く。
「やっぱり! あたしあれ読んだの! 叶葉ちゃんもうめっちゃ可愛くて! すぐにファンになっちゃって!」
「あ、ありがとうございます」
「うわー、こんなところで会えるとか奇跡かも! てか本物! 雑誌で見たより十倍可愛い! すごい……‼」
薄っすらメイクが施された頬を上気させて、見るからにイマドキっぽいその女の子は「しゃ、写真とか、撮っても?」とスマホを取り出す。
「わ、わたしなんかと撮っても、自慢にならないと思いますけど……」
と、遠慮がちな那瀬さんだったけど、結局女の子の勢いに負けてツーショットを撮ってあげていた。
女の子がその場を去ると、なんだなんだと周りの客も視線を寄越す。よく知らなくても那瀬さんの容姿を見てなにも思わない人は少ないだろうから、すぐに芸能人がいると勘違いされて、周囲はざわざわと騒がしくなった。
「な、なんかすみません。伊庭くん」
「いいよ。べつに」
「……これでは気が休まりませんね。どこか落ち着ける場所は……」
那瀬さんの視線がさまよい、やがて上を向いたところでぴたりと止まる。
「あれにしましょう」
指差されたのは、観覧車だった。
*
長い列に並んでしばらく、僕らはようやくゴンドラに乗り込んだ。
ゴンドラは大人四人ほどが入れるくらいで狭いけど窮屈なほどではない。
那瀬さんは今までずっとそうしていたように僕のとなりに腰を下ろして、色々と話を振ってくれていた。が、どうしてか途中から借りてきた猫みたいにおとなしくなってしまって、しばらくすると急に立ち上がり「ちょ、ちょっと狭いですね……」と言い訳するように口にするや、そそくさと向かいの席へ移動した。
「あ、伊庭くんは、観覧車も初めてなんですか?」
「うん。初めてだよ。那瀬さんは?」
「わたしは家族で何度か。でも高い所は、そこまで得意ではありません」
「そうなんだ」
「はい」
那瀬さんは気を取りなおすように深呼吸すると、綺麗に姿勢を正す。
「い、伊庭くん。なにか、わたしに質問はありませんか?」
「質問? 那瀬さんに?」
「はい。なんでもどうぞ」
なんでも……。
無理やり沈黙を埋めようとしてくれているのかな、と一瞬思ったけど、なんかどうも違いそうだった。真意は知るべくもないけど、まあ厚意には違いない。
「じゃあ、那瀬さんは……」
「はい」
「なんで文芸部、辞めちゃったの?」
質問と言われてすぐ思いついたのはそれくらいだった。
けれどやっぱり予想外の質問には違いなかったみたいで、那瀬さんは「え?」と驚いた顔をして固まってしまった。
「……どうして、そんなことが知りたいんですか」
「んー、暮永さんとすごく仲が良さそうに見えたから、かな」
「わ、わたしと看鳥ちゃんが?」
「うん。……え、違うの?」
「違いますよ! なんでそんなふうに見えるんですか!」
「だって那瀬さん、暮永さんと喋ってるときが一番素の表情に見えるからさ」
僕から見た那瀬さんはクールでおとなしくてどこか大人びている感じだった。間違っても誰かと感情的に口論するような人じゃなかったのだ。
そんな旨のことを伝えると、那瀬さんは首を振った。
「ふ、普段はそうですよ。普段は……でも、看鳥ちゃんと話してると、なんか……」
「ムキになっちゃうの?」
「……はい」
ややあって那瀬さんは述懐し始める。
「だって、看鳥ちゃんが悪いんです。いつもわたしに嫌なこと言ってくるし、上から目線だし、馬鹿にしてくるし…………笑うと怖いし」
わかる。とくに最後に付け足されたのが一番共感できた。まあ本人は愛想のつもりらしいけど。
「でも暮永さんって基本優しいよね? 今更言ってもあれだけど、たぶんほとんど憎まれ口なんじゃない?」
「わかってますよ」
那瀬さんが顔を背ける。昼下がりの陽光が綺麗な横顔を照らす。
「わかってるから、嫌なんです」
「はあ」
よくわからなかった。
今は辞めてしまったけど、那瀬さんは一年間も文芸部に在籍していた。だからきっと僕の知らない暮永さんのこともよく知っているんだろう。とりあえず僕はそうやって納得することにする。
ゴンドラが揺れる音が響く。また沈黙が降りる。
「……ほ、他になにかありませんか?」
「質問? そうだな……んー……」
顎に手を当てて思案するけど、すぐには見つからない。
「なんでもいいですよ。わたしの初恋の相手とか、好みのタイプとか、す、スリーサイズとかだって‼ 今なら特別に……!」
「そんなの訊いてどうするの……」
どうも今日の那瀬さんは空回りしているというか、無理をしているというか。
とにかく僕が困惑しているのが伝わってしまったのか、那瀬さんはいっそう平静を欠いてあたふたし始めた。
「こ、こんなにアプローチしてるのにっ、伊庭くんは、な、なんでそんなに冷静なんですか!」
「落ち着いて。那瀬さん」
「おかしいですよ、絶対っ。そ、それともあれですか、もっと大人なことを求めちゃう的な思春期特有のあれこれってことですか⁉」
「ごめん。意味がわからないよ……」
「……い、いいですよ。わかりました! 伊庭くんがその気ならわたしも覚悟を決めます! わ、わたしだって、生半可な気持ちで看鳥ちゃんに啖呵を切ったわけではありませんから‼」
ただごとでないオーラを発しながら那瀬さんが立ち上がった。そのまま僕との距離を徐々に詰めてくる。
「那瀬さん? や、ちょっと……」
「……ま、まだ本気ちゃうから」
なにその口調……?
なぜかムキになった表情でちょっと息を乱す那瀬さん。目元が熱をはらんだように赤みを帯び、青い双眸はぎらぎら揺れる。明らかに我を忘れていた。
迫力に押されて僕はおもわず身を引くけど、座った状態では無意味だ。おもむろに右の太ももに那瀬さんの手が置かれて、僕は肩をびくりとさせる。もう一方の手のひらも僕の手を包み込んで、ほっそりとした指先からじんわりと体温が伝わってきた。
「あたしのこと、舐めたあかんで。伊庭くん」
吐息が鼻先に当たるくらい至近距離で囁かれて、背筋のあたりがぞぞっと震える。
ゴンドラが揺れて、かすかに鼻先が触れ合う。「ん……」と那瀬さんから悩ましげな声が漏れる。すぐそこで赤く濡れた唇が震えていた。
「ふぅぅ……よ、よし。いくで。伊庭くん」
いやなにが。
「ちょ、ちょっと待って。たぶん那瀬さん、なにか勘違いしてると思う」
「こ、この期に及んでなに言っとんねん。男なんやったら据え膳食わんとあかんで、伊庭くん」
「なに言ってるかわからないのはこっちだよ……」
僕がそう言うと、那瀬さんは形のいい眉をひそめて困惑の表情を浮かべた。やっぱりなにか誤解があるみたいだ。
那瀬さんの勢いが削がれたのを見て、僕はすかさず訊ねた。
「そもそも那瀬さんはなにをしようとしてるの?」
「そ、それをあたしに言わすんか? 意外と鬼畜やな伊庭くん……」
「そういうのでもなくて、本当にわからないんだよ、僕」
「んん…………そ、そんなん! い、伊庭くんが、あたしにしてほしいって思ってることに、決まってるやろ」
してほしい……僕が……?
「なんの話?」
「や、せやから、伊庭くんがあたしと男女のたしなみ的な……ねっ、ねんまくせっしょく? みたいなさ、そういうぶちゅっとしたあれやこれやを……」
「…………あー……」
なんとなくわかった。
「やっぱり勘違いだよ。それ」
「へ?」
「僕、そういうの求めてないから」
那瀬さんは、なんだろう、鳩が豆鉄砲を食らったあとに狐につままれたあげくたぬきに化かされたみたいな、とにかく色んな驚きが混ざった顔で瞬きを繰りかえした。
「はぁ⁉」
そして最後に叫んだ。
「そ、そんなわけないやろ‼ そんな、あほな」
「逆になんでそう思ったの?」
「だ、だって言うたやん! あたしのこと綺麗やって! 言うてくれたやん!」
「まあ、そりゃあみんな言ってるし。那瀬さんが綺麗なのは事実だから。でもべつに僕はそういうつもりで言ったんじゃないよ」
「は、はぁ……? で、でもそんなん」
「本当だから。嘘じゃないよ」
「えぇ……じゃ、じゃあ……あたしに興味、ないの?」
「ないよ」
ここははっきり言っておこう。これ以上誤解のないように。
「え……や……は……」
ぱくぱくと金魚みたく赤い唇を開閉させる那瀬さん。あまりにも唖然とした表情で固まるものだから、どうしてそんなに驚くのだろうと僕もちょっと考えてしまって、そのせいで気がついた。
「那瀬さん、僕が興味あるものを知ってる、って言ってたの、ひょっとして……」
「い、言わんといて‼」
ものすごい勢いで那瀬さんが後ずさっていく。
やがて、ベタンッ‼ とベンチに尻餅をついた。
「じゃあ、あたし……今までずっと…………? ……っ! う、嘘やん……」
「な、那瀬さん?」
「……こんなん、あたし……はぁ……? ほんまに言うてる………?」
耳まで真っ赤になった顔を両膝にうずめながら、「は、恥ず……」那瀬さんは胎児のように縮こまってしまう。
「もう、嫌や……誰か殺して……」
「ええと……」
なんて言ってあげればいいんだろう。
とりあえず励ましてあげるべきか。でも僕がそれをやるともっと傷口に塩を塗りこんでしまう気がする。……うーん。
と、そこで僕のスマホが鳴った。ポケットから取り出す。
「あ……」
液晶画面に映るのは――『暮永さん』の文字。
「……も、もしもし」
「あなたたち、なにをやっているの?」
おどろおどろしい低音ボイスだった。
「えっと……ちょっとはぐれちゃってさ。ちょうど僕らも暮永さんたちを探してたところで」
「下を見なさい」
「え? な、なんで」
「いいから」
底冷えするような口調は有無を言わせぬ迫力に満ちている。僕はなかなか高いところまで来ていた観覧車の窓ガラスから眼下を見おろす。
「……あ」
観覧車前の広い空間に暮永さんの姿があった。となりには柚月ちゃん。二人ともどこから取り出したのか、望遠鏡のようなものを覗きこんでいる。距離が遠すぎて表情はわからなかったけど、暮永さんがどんな形相でいるのか、僕にはなんとなく想像ができてしまった。
「ふたりとも。降りてくるまでじっとしていなさい」
「……はい」
選択肢は、なかった。
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