第12話 合間のふたり
午後から再びアトラクション巡りをする前に、一旦ランチ休憩を挟むことになり、僕たちは多くの客で賑わうレストランを訪れていた。
「おろ? どうしたんすか、先輩?」
お手洗いに席を外していた柚月ちゃんが、出たところで待っていた僕を見上げて首を傾げてみせる。
「ちょっと、話があってさ」
「ほぉほぉ……」
メガネ越しの大きな瞳が好奇に輝く。
「たぶん、柚月ちゃんが期待するような話じゃないと思うよ」
「なんでもいいっすから。で?」
「うん。この前のことなんだけど、放課後に下駄箱を開けたら、変な紙切れが入っててさ」
「ふむふむ」
「その紙に『暮永看鳥は危険だ』って書かれてて……」
僕がそれを言うと、柚月ちゃんは露骨に顔をしかめた。
「あー、なるほど……」
「それで後日、なんとかって名前の女の子に同じようなことを言われたんだ。暮永さんは危険だから、文芸部を退部しろって。その子が暮永さんと同じ中学だって言ってたんだけど」
「花園先輩っすねー、それ」
両手を後頭部にあげながら口をへの字に曲げる。
「そんな感じだったと思う。やっぱり柚月ちゃん知ってたんだ」
「私もおなちゅーっすからねぇ。他にも取り巻きがいたでしょ? たぶん男子がふたりくらい」
こくりと僕が頷くと、柚月ちゃんは「やっぱね」と息を吐いた。
「姉御についてあることないこと言って、馬鹿みたいな噂を広げてるんすよ。先輩も知ってるでしょ? 呪いがどうとか」
「うん」
その噂がきっかけで僕は暮永さんに出会ったのだ。もちろん知っている。
でも、そうか。
たしかに、いろいろと大袈裟な脚色がされているなと思っていたけど、それを暮永さんの知り合いが積極的に広めていたなんて、思わなかった。
「ほんと、迷惑な人たちっすよ」
「大変なんだね。暮永さんも」
僕が言うと、柚月ちゃんがむっと唇をとがらせて、
「ずいぶんと他人事みたいな言い方っすね。先輩……」
「まあ、ぶっちゃけ他人事だし」
「の割には、こうして私に教えてくれるんすねー。なんでですか?」
暮永さんが悪意にさらされていることを僕が教えようとしたのが、柚月ちゃんには不思議みたいだ。僕はややあって答えた。
「チケット代」
「うぇ?」
「払ってくれたでしょ。暮永さんがさ」
「あー……そう、っすね?」
「だから、見ない振りは薄情かなって」
遊園地のチケット代を僕は払えなかった。手持ちが足らなかったからだ。それを暮永さんは「私に任せなさい」と言ってなんと全額払ってくれた。さすがにチケット代があんなに高いとは思ってなくてさすがの僕もめちゃくちゃ恐縮したんだけど、強引に押し切られてしまったのだ。いくら僕に予定を知らせていなかったお詫びとはいえ、普通のことじゃない。
柚月ちゃんが呆れ顔で言う。
「先輩の薄情のラインがよくわかんないっす……」
「そう? まあ、不義理はよくないってだけだよ」
「じゃあなんで姉御には隠して、私にだけ言うんすか?」
「それは……」
おもわず瞬きを繰り返す。
つられたのか柚月ちゃんもぱちぱち瞬きしていた。
「……なんでだろ?」
「おい」
首をひねって唸り声を出す僕を、柚月ちゃんは半眼で見上げてくる。
「なんかごめん」
「うわー、適当な謝罪…………ま、いいっすよ。とりあえず戻りましょ」
諦めたような顏で柚月ちゃんが歩き出す。とことん呆れられてしまったか。なんだか申し訳ない気持ちになりながら、僕も柚月ちゃんの後に続く。
「ダメよ! それだけは絶対‼」
テーブル席で僕らを待っていたのは、既視感のある光景だった。
「なぜですか? 効果がないとは言い切れないですよね?」
「そっ、それは! そう、かもしれないけれど……」
那瀬さんと暮永さんがテーブルを挟んでにらみ合っている。
どうして口論になったのか、会話からは判断できないけど、暮永さんが押されぎみなのは本人の表情からも伝わってきた。
「り、理屈の話ではないわ! 私は絶対に許さないわよ!」
「看鳥ちゃんの許しが必要なことではありませんから」
澄ました顔でジュースを飲む那瀬さん。対して暮永さんはぐぎぎと歯ぎしりしながらも強くは出られない様子だ。
「おふたりとも、どうしたんですか?」
「な、なんでもないわ……」
「ええ、なんでもありませんよ」
言って、那瀬さんは立ち尽くす僕を見上げる。それは妙に含みのある視線で、僕が首を傾げていると「伊庭くん。こちらへ」と人形のような笑顔で手招きされた。
とくになにも考えぬまま僕は応じて、さっさととなりに腰を下ろすと、ぐっと那瀬さんは肩を寄せてきた。思ったより高い体温が、くっつけた肩の部分から伝わってくる。
「こちらが地図です。さて次はどこに行きますか? 伊庭くんが行きたいところはありませんか?」
「や、とくに……ていうか、なんか近くない?」
「かもしれませんね」
雑誌で『生きる宝石』とうたわれた容貌がとても間近にあった。さらさらの黒髪に整いすぎた顔立ち、真っ白な肌、そして神秘的な青い二つの瞳。本当につくり物めいた綺麗な容姿だ。おもわず凝視してしまった僕を誰が責められよう。
「んぐぐ……」
「姉御ー、顔怖すぎて他のお客さんまで怯えてるっすよー」
*
これ、なにが起きてるの?
僕が首を九十度くらい傾げてそう思ったのは、ぐらぐらと右へ左へ揺れる潜水艇に乗って海中(もちろん現実じゃない)を冒険していたときだった。
「きゃぁああ‼」
大きなタコが吸盤を広げて襲い掛かってきて、となりの席の那瀬さんが黄色い悲鳴をあげる。ぎゅっと僕の手を握りながら。
「な、なにイチャイチャしてんのよ!」
と後ろのほうで暮永さんが叫んでいるけど、すぐにアトラクションの派手なBGMと子供たちの悲鳴に掻き消されていく。
喋る魚に案内を受けて進む潜水艇が、やがて暗い深海を抜けて、まばゆい陽が差し込む海面へ上昇していく。終了かと油断したところに、海面を貫くように姿を現したまぬけな顔をした怪鳥に捕まって、潜水艇は今度は空へと飛び立った。
「揺れてますね伊庭くん!」
「うん、揺れてるね……」
必要以上にはしゃぎながら那瀬さんが顔を近づかせてくる。
しばらくして怪鳥の拘束から逃れた潜水艇は、再び、海中に投げ捨てられる。どしゃあ! と大きな音を立てて着水した。どうやらここがゴールらしい。
何匹もの喋る魚たちに見守られ、最後に「さよなら!」と別れを告げられると、アトラクションは終了する。
「楽しかったですね」
出口から外に出た途端、那瀬さんが僕の腕に身を寄せてくる。
「う、うん。そうだね」
なんとも言えず僕は相槌を打つしかできない。
那瀬さんは、なんというか、僕にべったりだった。
それもあれからずっと。
午後はジェットコースター系のアトラクションから始まって、それから人気と言われるものを片端から巡っていったんだけど、どこにいっても那瀬さんは僕のすぐ横を陣取っていて、時おり必要以上のスキンシップを求めてくるのだ。
手を繋いだり、食べ物をあーんしたりは当たり前で、絶叫系の乗りものに乗ったときなんかは抱き着いてきたりして、とにかく落ち着かなかった。
「那瀬さん、本当にどうしたの?」
「どうもしませんよ。ただ色んなものに乗れて楽しくて、ハメを外してしまっているだけです」
「そう、なのかな」
「そうです。なのでご不快でなければ付き合ってください」
とまで言われては、僕も頷くしかできない。
ただ……、
「ああ、あんなふうに抱き着いて……‼ な、なんてふしだらな……‼」
「姉御、落ち着いてくださいっす」
背後でずっと暮永さんがすごい形相でぶつぶつ呟いているのが、なんか怖かった。
「男女七歳にして敵をうな重せせりよ……‼」
「なに言ってんすか姉御」
ほんとになにを言っているんだろう。
ただ不思議なことにあそこまで取り乱していても、暮永さんは那瀬さんの行動を咎めようとはしなかった。レストランでの話し合いでなにかあったのか。
ぐいぐい、と袖を引っ張られて、となりに向き直る。
「どうしたの?」
「耳を貸してください」
その言葉にしたがって僕は耳を差し出すように少し屈む。那瀬さんは頬をほんのり桜色に染めながら、僕の耳に囁く。
「わたし、今からお手洗いに立つので、少し経ってから伊庭くんも同じことを言ってわたしの後を追ってください」
「わかった」
逡巡なく首肯すると、那瀬さんは数秒面食らったように青い瞳を丸めたけど、すぐに花が咲くように微笑んで「……では」と頷いた。
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