第10話 那瀬さんは綺麗な女の子
放課後は部室へは寄らず、すぐ校舎を発った。
今後の予定は昼休みに聞いている。どうやら今週の土曜にまた出かけるらしい。例によってなにをするのか教えてもらえなかったけど、そこは暮永さんを信用しておこう。
相変わらず精の出るサッカー部の活動風景を横目にしながら校庭を歩き、校門をくぐってしばらく歩いていると、なんとも珍しい人に出くわした。
「……伊庭くん?」
振りかえった拍子に、少女の綺麗なセミロングがさらさら揺れる。
「久しぶりだね、那瀬さん」
那瀬叶葉さん。
我らが枯ノ島高校サッカー部のマネージャーに当たる人物だった。
「って あれ? そういえば部活は……」
「今日は体調が悪くて、休ませてもらいました」
なるほど。
確かに今日の那瀬さんはどことなく儚げな雰囲気がある。ただでさえ薄幸の美少女といったオーラをまとっている那瀬さんなのに、今は肌の白さも極まっていてなんだかもう消え入りそうだ。
「……大丈夫?」
「問題ありません。……それより、あの、伊庭くん……」
「ん?」
僕の顔をじっと凝視しながら、もじもじと続く言葉を発せないでいる那瀬さん。スカイブルーの瞳がゆらゆら揺れて、やがて逸らされた。
なんだろう。この反応。
元々よく話す間柄でもなく、だから那瀬さんのことはあまり知らない。
ただ僕と肩を並べ、わざわざ歩調を合わせて歩き始めたのを見るに、嫌われているわけではなさそうだった。なにか聞きたいことでもあるのかな。
「そういえばさ」
とくに沈黙が苦手なわけじゃないけど。
「那瀬さんって、たしかハーフなんだっけ?」
「え? あ、はい。よく知ってますね」
「有名だよ。お母さんがイギリス人なんだよね」
「お父さんがロシア人です」
「あー、そうそれ」
うろ覚えが早くも露見する。浅谷の話、ちゃんと聞いておくべきだった。
「でもすごいよね。お父さんの瞳の色だけ受け継ぐって、滅多にないことなんでしょ?」
「はい。とても珍しい症状だと聞いています」
那瀬さんは大和撫子然とした顔立ちで一見してハーフには思えない。でも色素の薄い長い睫毛に縁取られた双眸は青空を思わせる見事な碧眼で、神秘的だった。
「『生きる宝石』だったっけ?」
「そっ、その呼び方はやめてください。ほんとに……」
恥ずかしそうに頬を赤く染める那瀬さん。
なんでもとある雑誌の読者モデルとして一度掲載された際、ページにでかでかとそんな文字が書かれていたとか。浅谷が熱弁していた記憶がある。
そのときからネットではとんでもない美少女が現れたとして話題になり、那瀬さんはたちまち有名になった。どれぐらいの知名度なのかは僕が知るわけもないんだけど、みんなの反応を見るに相当な人気者で、読者モデルを辞めた今でも熱狂的なファンがついているとかいないとか。
「黒歴史です。あんなの……」
「伝説の一冊だったって、クラスのみんなは言ってたけど?」
「からかってるんですよ、みなさん。おかげで教室では針のむしろです」
「じゃあなんでモデルなんて引き受けたの?」
「そ、それは……偶然母の手伝いで足を運ばせてもらったときに、なぜかカメラマンの人に撮らせてくれって懇願されたから、断れなかっただけで……」
「急に那瀬さんみたいな子が来たら、そりゃ騒ぎになるよ」
今度はリンゴみたいに赤みを増して俯く那瀬さん。生きる宝石か。こうして間近で見ていると、あながち大袈裟な表現でもない気がする。
「この容姿のせいで昔はよく虐められたので、今の状況は正直、落ち着きません」
みんなそれぞれ事情を抱えてるものなんだな。
「綺麗すぎるのも、色々と大変なんだね」
「…………伊庭くんは、なんだか不思議ですね」
「え?」
急にそんなことを言われて、僕はおもわず瞬きを繰りかえす。
「そうやって面と向かってわたしの容姿を褒める男の方は、あまりいませんから」
「そうなの?」
軽薄だったかな、と謝罪の意を込めて言うと、那瀬さんは、いえ、と首を横に振って、静かに笑った。
「ありがとうございます。嬉しいです」
「そっか」
嬉しいなら、いいや。
二人で肩を並べて歩く。
バス停の横を通り過ぎた。いつも使うバス停だ。
帰宅を急ぐ理由はない。それよりこの状況ですげなく別れたりするのは、なんとなく薄情な気がする。なにか話したいことがありそうだし、今は那瀬さんに合わせておくべきだろう。
帰路を歩く他の生徒たちからも、こころなしかちらちら視線を感じる。那瀬さんは言わずもがな、僕も暮永さん関係で色々と注目の的だ。噂が立つのは構わないけど、那瀬さんに迷惑がかかってしまったら少し申し訳ないな、みたいなことを内心で思いながら、なだらかな坂を上っていく。
那瀬さんがようやく切り出したのは、ちょうど坂を上り切ったあたりだった。
「あ、伊庭くん……」
「なに?」
「その……一つ、聞いても構いませんか?」
「うん。どうぞ」
「な……なんで、文芸部に入ったんですか」
那瀬さんはぎこちなく視線を逸らす。僕はちょっとだけ驚いた。
「那瀬さんは、そんなことが訊きたいの?」
「……は、はい。聞きたいです」
てっきりどうしてサッカー部を辞めたのか、聞かれると思ってたんだけど。
……まあ、似たようなものかも。
「わかった。歩きながら話すよ」
駅に近づくにつれ、視界に広がる街の賑わいが増してくる。
ゆっくり那瀬さんと肩を並べて歩きながら、僕は文芸部へ入部した経緯を掻い摘んで説明していく。僕が怪我をして暮永さんを頼ったこと。そこで僕が「生」への執着を失いつつあると言われたこと。僕を更生させる交換条件として文芸部への入部を提示されたこと。そして今も更生の真っ最中であること。
しかし順序立ててシンプルに説明するのは意外と難しい。僕がそれを痛感したのは、説明を聞き終わったあとの那瀬さんの感想を聞いたときだった。
「なにそれ、横暴じゃないですか!」
「え……?」
透き通るような白い頬を上気させながら、那瀬さんは、なんでだろう、ご立腹な様子だった。
「あることないこと吹き込んで、まるで詐欺師のやりかたです!」
「あ、あれ……?」
いくらか端的に説明しすぎた部分はあったかもしれない。でも基本的におとなしい那瀬さんがここまで感情を露わにするような話をしたつもりはなかった、んだけど。
「死ぬことが怖くない人なんているわけないのに……あろうことか伊庭くんを病人みたいに扱うなんて、許されません!」
こぶしを握りながら、ぷりぷりと荒ぶっていらっしゃる。
どうも那瀬さんのなかで僕は悲劇の主人公になったらしい。何度も不幸に遭う体質に目を付けられて、まんまと部員の抜けた穴を埋める人員に利用された憐れな少年という位置付けのようだ。なんでこうなったのか。
「落ち着いて那瀬さん。暮永さんにそんな他意はないから、大丈夫だよ」
さすがの僕も弁解を試みた。けど。
「伊庭くんも迂闊すぎますよ。たまたま人より不幸に遭う数が多かっただけなのに、生きることへの執着がないとか、そんな大袈裟なことを言われて、すぐに鵜呑みにしてしまうなんて!」
「や、大袈裟じゃないんだけど、それ……」
僕の声は届かない。
那瀬さんは散々僕の迂闊さを責めたあと、悪名高き暮永看鳥の悪行に怒り心頭の様子だった。意外と思い込んだら一直線なタイプなのかも。みんなから羨望の視線を向けられる美少女の知られざる一面。浅谷に教えたら喜ばれたりするかな。
「……看鳥ちゃん。なんも変わっとらんやん」
「え?」
聞こえた声に僕はおもわず周りを見回す。
信号待ちに立ち止まる人々の顔を一人ひとりうかがうけど、今しがた聞こえた声の持ち主らしい者は見当たらなかった。聞き慣れない口調だったけど。空耳だったかな。
歩行者信号が青く灯る。少しづつ怒りが収まってきたのか、声を潜めてぶつぶつ呟きながらも那瀬さんは横断歩道を渡った。途中で向かいから歩いてくる大人の女性と鞄同士がぶつかり、すみませんと頭を下げていた。
「那瀬さん、僕こっちだから」
渡り切ったところで僕が言うと、那瀬さんは顔を上げて、
「あ、はい……。そうだ。いい機会ですから連絡先、交換しませんか? 伊庭くん」
「うん、そうだね」
「待ってください。いま、スマホを……」
と、そこで那瀬さんが動きを止める。
「あれ……? ない。鞄に入れておいたのに、あれ…………」
もしかして……、と那瀬さんが後ろを振りかえって、すぐ顔を青ざめさせた。
横断歩道の中央あたりに青いケースのスマホが落ちていた。さっきぶつかったときに落としたのか。すでに信号の色は変わり、自動車の群れが右に左に行き交っている。新型は頑丈だって聞くけど、さすがに車に踏まれたらひとたまりもないんじゃないだろうか。
「待ってて」
「えっ? あ、伊庭くん! ちょっと……!」
那瀬さんの焦った声を背に、僕は横断歩道へ飛び出す。車を縫うように、なんて器用なことはできないから、さっさと歩いてひょいとスマホを拾う。
「伊庭くんッ‼」
一際大きな那瀬さんの叫び、とともに近くでクラクションが鳴った。
顔を上げると艶のある黒い車が迫ってきていた。血の気が引いた顔でドライバーがハンドルを切ったのが見える。僕はすかさず「那瀬さん!」と叫んで、スマホを彼女のもとへ放り投げる。咄嗟にしては正確なコントロールで、立ち尽くす那瀬さんの両手にぽんと収まってくれた。ほっと僕は胸をなでおろす。
瞬間、悲鳴みたいなブレーキ音が鼓膜をつんざき、黒い自動車が僕の身体すれすれを抜けていった。
車体は勢いを殺して交差点の中央あたりで止まる。
「あぶねえだろうがぁ‼」
「ごめんなさい」
頭を下げてもう一度、横断歩道を渡って那瀬さんのもとへ。
「大丈夫? スマホ壊れてない?」
「え? あ、はい……」
那瀬さんは呆けたような顔だった。唖然として、開いた口を塞げずにいる。
「どうしたの? ぼーっとして」
「え? いや、だって、今……」
僕の顔を凝視しながら、今度は愕然とした表情で息を呑んだ。那瀬さんはいつも表情の起伏に乏しいから、それはなんだか新鮮な変化だった。僕はよくわからず、こてりと小首を傾げてみせる。すると、那瀬さんはわずかに、目を見開いた。
そして不意に俯いて「…………なるほど」と呟く。
「ん? なにがなるほど?」
「今、納得しました。看鳥ちゃんが言っていたこと」
「はあ……そう、なんだ?」
よくわからないけど、誤解が解けたみたいだった。不幸中の幸いってこういうことを言うのかな。僕が感心しながらじっと立っていると、那瀬さんは続けて、
「伊庭くん。確かさっき、土曜に看鳥ちゃんたちと一緒に出かけるって、言ってましたよね?」
「うん」
……ん? 看鳥ちゃん?
妙な呼び方に気づいた僕の前で、那瀬さんがぱっと、顔を上げる。
意を決したような真剣な眼差しが、僕の顔を貫く。
それもまた、僕の知らない那瀬さんの表情だった。
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