第6話 文芸部の事情
「っ……えぐっ……‼ うう‼ あ、あびがどうねぇ……ッ‼」
翌日の昼休み。
職員室に入部届を届けに来た僕は、そこでなぜか女教師が鼻水を垂らしながらぐびぐびと泣きじゃくっている光景に直面していた。
「泣かないでください。桜庭(さくらば)先生」
「えぇ、ごべんね……‼ 心配じないでいいがらねぇ‼」
「心配というか……」
主に他の教師の視線が痛いので。
桜庭弥生(さくらばやよい)先生は文芸部の顧問をしている先生で、なんでも部長である暮永さんに対する風当たりの強さにはかねてから不安を覚えていたらしい。そんなところに同級生の新入部員、それも男子生徒が入ってきてくれたのは喜ばしいことだったようだった。
「わたしうれしいッ! 看鳥ちゃんの理解者が増えてくれて……‼」
「とりあえず鼻かんでください」
ちなみに文芸部の部員は現在、必要人数に達しておらず、このままだとまもなく廃部になる予定だったのだとか。
暮永さんはその危険を回避するために、あの日僕に「入部しなさい、お願いします」と命令なのかお願いなのか怪しい口調で頭を下げてきた。
「け、けどいいの? うちの学校、兼部はできない校則なんだけど……」
「べつに。問題ないです」
「でもサッカー部、一年も続けてきたんだよね? もしあれだったら、わたしが他の先生たちに掛け合って」
「ほんと大丈夫ですよ。元々そんなに真面目にやってなかったですし」
「そう、なら良かったわ~、今年も続けられそうで……まあ、実際に活動してるのは二人だけだけど」
「残りは幽霊部員ですか」
「んー……というより、捕虜?」
穏やかじゃない単語が聞こえた気がした。
*
「失礼します」
というわけで放課後、僕は部員たちとの顔合わせのため、文芸部の門をたたいた。
「待ってたっすよ」
扉を開くと、先客がひとり。
窓辺に立つ少女の姿が、視界に飛び込んでくる。
逆光を受けて浮かび上がるシルエットは、仁王立ちだった。背丈は女子生徒の平均くらいで茶色のおさげ髪を胸元へ垂らしている。縁なしのメガネをかけていて、いかにも文学少女然とした容姿のなか、勝気な表情が妙にアンバランスだ。
「えっと、君は……」
「わたしの名前は柚月真綾(ゆづきまあや)。今年から枯ノ島高校に入学したピチピチの一年っす。以後お見知りおきを」
「ああ、ご丁寧にどうも」
「しかぁぁし!」
くわっとメガネの奥の瞳を膨らませる。
「文芸部員としては一ヶ月分先輩になるわけなので、あまり舐めた態度は取らないように‼」
とりあえず妙な後輩がいるらしいのはわかった。
新入生を示す青色のボウタイとともに胸を張る柚月ちゃんから視線を逸らし、僕はとりあえず暮永さんの姿を探す。
「姉御の行方が知りたくば、わたしを倒すしかないっすよー。先輩」
姉御って。
「もしかして暮永さんの妹さん?」
「答えはノーです。が、妹分ではあります。よってわたしには姉御に近づく者が不埒な輩でないかどうか、確かめる義務があるというわけっすね」
「はあ……でもどうやって確かめるの?」
「ふっ、簡単っすよ。一つ質問に答えてもらうだけっす」
「そう。わかった。なんでも答えるよ」
「ふふ、そうこなくちゃっすね」
柚月ちゃんは不敵な笑みでまた腕を組む。
「先輩には、姉御がどんなふうに見えてますか?」
なんか、普通の質問だった。
ただ拍子抜けする僕とは違い、柚月ちゃんの眼差しは大真面目だ。僕の人となりを見抜き、真意を読み取ろうとしている。だったら僕も慎重に答えるべきなんだろうけど、それはそれで面倒だった、ので、
「ただのいい人だよ。暮永さんは」
無難に答えた。
果たして柚月ちゃんの反応はと言えば、値踏みするようだった目を丸めて、ぱちぱちと瞬きを繰り返す、というものだった。
「……ふむ」
そしてまた急に柚月ちゃんは真顔になって、
「うん。合格!」
「ありがと。……それで暮永さんはどこなの?」
「そっちの部屋っす」
指差されたのは、部室の壁にある扉だった。
柚月ちゃんの話に寄ると、なんでもここ文芸部室は建設当初、別の目的で造られた部屋だったみたいで、準備室らしき部屋と扉を通じて繋がっているのだとか。
「そこで暮永さんは何を?」
「ふむ……先輩は口が堅いほうっすか?」
「ん? まぁ、そこそこかな」
「なら絶対に喋らないことを約束してくださいね」
柚月ちゃんは人差し指を立てながら「お静かに……」と言ってそろり扉を開けると、忍び足で室内へ入っていく。
準備室の流用である個室にも本棚はあったみたいで、ずらりと先人たちの収めた本たちが列を成して並ぶ。文集をまとめたコーナーもあった。ただそんなことより、
「…………ぅ」
なんと床に布団を敷いて寝息を立てている少女がひとり。
暮永さんだった。
「……いいの? これ?」
「法が罰せられるのは明るみに出たときだけなんすよ、先輩」
「すごく悪い顔だよ、柚月ちゃん……」
「一応、弥生ちゃんにも見逃してもらってるんで。先輩も、くれぐれもお口にはチャックで」
そう言うと、柚月ちゃんはその場に屈み、取り出したスマホで暮永さんの寝顔をかしゃかしゃと撮影し始めた。「わたしの秘蔵アルバムがまた更新されるっす……」とぶつぶつ言っているのは聞かないことにした。
*
暮永さんが目覚めたのは、それからしばらく経った頃だった。
「とりあえず自己紹介をしましょうか」
今はとてもすっきりとした顔でテーブルに着いている。定位置なのか、前と同じ席に座って暮永さんは部員たちの顔を見回す。
「とは言っても、必要があるのか疑わしいけれど」
「伊庭先輩はちょっとドライな人畜無害さんっす。姉御」
「柚月ちゃんは暮永さんのことが大好きな子、だよね」
「……話が早くて助かるわ」
ちら、と暮永さんは横目に僕の腕を一瞥する。「……包帯はもう大丈夫なのね」と呟くと、取り直して顔を上げた。
「あなたたちに部長のわたしを含めた三人が、現状、我らが文芸部の正規メンバーよ」
「……部員ってあと二人いるんじゃなかった?」
「ええ、いるわ。といっても彼女たちは数合わせのために籍を残してくれているだけで、うちの活動には顔を出すことはないわ」
「勝手に抜けたら呪い殺されるかも、と脅しているわけじゃないっすよ」
脅しているらしい。
「捕虜って、そういう……」
桜庭先生の言っていたことがわかった。
「人聞きの悪いことを言わないでちょうだい。呪いなんてわたしはできないし、事実、二カ月前に辞めてしまった部員も、今は楽しそうにやっているわよ」
「辞めた人もいるんだ」
噂を真に受けて辞めたのかな。想像しかできないけど。
「結局、僕が入部する必要ってあったの?」
「あなたを助ける代わりに、あなたもわたしたち文芸部が存続するのを助ける。そういう条件だと言ったでしょう? ウィンウィンな関係よ」
の割には一方的に決められてしまった気がするけど、それを言うのは野暮なんだろうな。
「つーかさ先輩……普通それ、入部してから聞く?」
柚月ちゃんが呆れ顔で言う。
「わたしが言うのも難っすけど、もっと考えるべきっすよ。前の部活辞めるのだって、簡単じゃないと思うんすけど」
「そうなの?」
「当たり前でしょ」
「んー、そうだね。柚月ちゃんが言うなら、以後気を付けるよ」
僕がそう言うと、数秒、部室が沈黙に包まれた。
「話には聞いてましたけど……、先輩、マジで末期っすね」
「でしょう?」
二人が嘆息しながら頷き合う。なんだか釈然としない。
「なんか自分の人生のこととか、微塵も考えてなさそうっすよね、先輩」
「まあ、そうだね」
僕は素直に頷く。
「そもそも、生きるってそんなに意味があることなのかな」
「な、なんですって」
「だって、意味があるのは『生まれる』ことのほうでしょ? 生んで、生まれてが生き物の摂理なら、僕らはもう生まれたときにその目的を達成してるんじゃない?」
「そう、かもしれないけど……」
「その目的を達成した余波? で僕らは生きてるだけよ。要するに」
「人生要すんなよ……」
柚月ちゃんはもはや憐れむような顏だ。
でも暮永さんは不意にとても神妙な顔になって、
「生きることは、素晴らしいことよ。伊庭くん」
「そうなのかな」
「今はそれでいいわ。いずれ、きっとわかることだから。いえ……わからせるわ」
暮永さんはふと俯き加減になる。表情がうかがえない。なんだろうと僕が下から覗きこむと「い、いひひ……ひひ」と暮永さんは不気味な声とともに凶悪な笑みを浮かべていた。大釜で毒の汁を茹でる魔女もびっくりの形相である。
「僕、もしかして人体実験でもされるのかな……」
「姉御は嬉しいとき、楽しいとき、そしてモチベーションが上がったときに、この顔になっちゃうっす」
柚月ちゃんは補足を入れると「姉御ー、いつもの顔になってますよー」と声をかける。すると暮永さんは「う、うそ? ほんと?」と顔を戻して、両手で頬をぐにゅぐにゅと揉み始める。
暮永さんが悪い人だと噂される原因の一端がわかった気がした。
*
帰っていいわよと言われたので文芸部を後にする。
旧校舎を発って長い渡り廊下を歩いていく。
覚えのある掛け声が聞こえて振り向くと、馴染みのあるサッカー部員たちが校舎の外周を走っている。浅谷の姿も見えて、頑張ってるなあと他人事のように思った。
遠くから漏れる吹奏楽部の演奏を聞きながら生徒用の玄関へ。
並ぶロッカーから自分の靴箱を見つけて開くと、
「ん……?」
二足の靴の上に、紙片が置いてあった。
『暮永看鳥は危険だ。
すぐに退部しろ』
ノートの切れ端を使って作られた紙片には、大きな文字でそんなことが書かれてあった。
「……」
紙片を手に取ってためつすがめつ……、他に何も書かれていないことを確認すると、それを制服のポケットに入れて僕は校舎を発つ。
「暮永さんが、みんなに嫌われてるのって……」
まだ、なにか事情があるのかもしれない。
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