第3話 お祓いに必要なもの


 まずは事故の詳細を知る必要があるわ、という暮永さんの言葉を、今さら僕が拒絶できるわけもなかった。頼みに来たのはこちらなのだから、従うしかない。


「でも、知ってどうするの?」


 ただ、訊く権利くらいはあるだろう。


「魔を祓うには、こちらも準備が必要なの」


 すると、なんだかそれっぽい返答がかえってきた。


「とくに見えないものを視るのだから、強固なイメージは不可欠よ。見たところあなたに憑いているものは、なかなか強力な悪霊のようだし、こちらもそれ相応にイメージを固めておかなければならないわ」

「そ、そう、なんだ」


 頷くことしかできない。


「そうなの。わかったら、とりあえず現場に向かうわよ」

「え? 今から?」

「当然でしょ。それともなに? まさかわざわざわたしが休日を割いてあなたとデートするとでも思ったのかしら?」

「……」


 この暗い少女から「デート」なんて単語が出てくるとは思わなかった。


「行きましょう」


 もう流れに乗るしかない。僕も腹をくくった。





 暮永さんと連れ立って校舎を発つ。


 道中、校舎に残っていた生徒たちが僕たちを見てぎょっとしていたのは、たぶん暮永さんが原因だろう。悪名高き文芸部部長が、腕に包帯を巻いた男子と一緒に歩いている光景は、それなりに想像を掻き立てられるかもしれない。


「とりあえず一番最近の現場へ向かうわ。案内して」

「わかったよ」


 放課後は真っすぐ帰るようにと母さんに言われていたけど、なんだか妙なことになってしまったな。


 登校坂を降りてすぐのバス停でバスに乗ると、僕たちは二人掛けの席に並んで座った。暮永さんが窓側で、僕が通行側の席だ。すぐ近くに暮永さんの後頭部が見える。すらっとした印象の割に、暮永さんはけっこう背が低い。


「……なぁ、あれ、暮永看鳥じゃねえか?」


「うわ。マジじゃん。なんで今日は乗ってんの? てか隣の奴だれ?」


「声大きいって。目を付けられちゃったらどうすんの」


 車内では注目の的だ。


 でも暮永さんはどこ吹く風といった表情だった。


「とりあえず今までの事故について聞かせてもらおうかしら」

「……うん」


 詳細を語れということなら従うべきだろう。こちらとしては思い出したくない記憶なのだけれど、ここで嫌だと首を振ることはできない。

 頷いて、僕は口を開く。


「最初は去年の夏。ちょっと荒い運転の車と当たりかけたんだ。ギリギリ避けたから大事(おおごと)にはならなかったけど、けっこう派手に転んじゃって、膝と肩を擦りむいたかな。軽傷だよ」


「へぇ」


「次が十二月のクリスマスイブの日で、今度はバイクにしっかり撥ねられたんだ。信号無視だったかな? 足を骨折して、めちゃくちゃ謝られたよ。……それから年を越して三月に、次はタクシーと。車輪の部分が自転車と当たって、それも転倒。腰に痣ができた程度だったよ。……で、この前のゴールデンウィークの初めに、自動車と思い切りぶつかって、この有り様」


 包帯の巻かれた腕を持ち上げてみせる。


 改めて口にすると本当に異常な被害数だと思う。それこそ悪霊にでも取り憑かれていないと説明がつかない。こうして生きているのは奇跡かもしれない。


「すべて自転車に乗っている最中だったの?」

「うん。そうだよ」

「時刻は?」

「大体夜だよ。まあ、休日が多いかな」

「休日の夜に自転車に乗って、一体どこへ行くつもりだったのかしら」

「母さんの家だよ」

「母親? 一体どういうことかしら?」

「僕の中学卒業を機に、うちの親が離婚したから。時々、別居中の母さんから呼び出されるんだ。それに応じてるだけだよ」

「何度も事故が起きるような夜に息子を呼び出すなんて、なかなか身勝手な親ね。それとも可愛い子には足袋(たび)を穿かせよってやつ?」

「そんなの穿かせてどうするの……」


 旅をさせよって言いたかったのかな。


「それにしても……、今まで四度も事故に遭っておいて、本当によくその程度で済んでいるわね。あなた……」


 じとっとした視線が横から向けられ、


「もしかして……自転車に乗っているとき、ヘルメットでも付けていた?」


 と、訊かれた。


「……まあ、そんな感じかな」


「…………そう」


 小さな横顔を夕陽が照らす。感情は読めない。


 街灯柱の影が幾つも暮永さんの横顔を通り過ぎていく。やがてバスが最寄りの駅に着くと一斉に生徒が降りていき、まもなく車内は静寂に支配された。


 しばらくすると車掌のくぐもったアナウンスが目的の停留所の名を告げる。ようやくバスが停まると先に暮永さんが降車して、僕はその後に続く。


「っと……ご、ごめん」


 停留所に降り立つ寸前、階段を踏み外してしまった僕は倒れかけ、気がつくと暮永さんに抱き留められていた。小柄な身体を僕がすっぽりと覆ってしまう。「怪我人なんだから、気を付けなさい」と迷惑そうに注意された。


「うん、ほんとごめん」

「いいから、さっさと案内しなさい」


 それから歩くこと数分、事故のあった現場に到着する。


「……着いた。ここだよ」


 そこは見通しの悪い交差点だった。


 人気もあまりなく、頼りないカーブミラーだけがせめてもの安全を保障している。


「角を抜けてすぐ、横から追突されたんだ。相手は軽自動車で、運転してたのは四十歳くらいの男の人だった。助手席にも誰か乗ってたみたいだよ。寸前に急ブレーキをかけてくれたし、すぐに救急車を呼んでくれたから、大事には至らなかったけど」


「やっぱり、この場所だったのね」


「え? やっぱりって……どういう」


 僕の声が聞こえているのか聞こえていないのか、暮永さんは交差点を睨むように眺めている。ふん、と、不意に鼻を鳴らした。


「ここはね、曰く付きの場所なのよ。今まで何度も事故が発生しているわ。そのせいでとりわけ悪霊が溜まりやすくなっているわ」


 こっちのほうが気後れするほど、その口調は専門家のそれだった。


 火のないところに煙は立たない。ひょっとすると暮永さんの噂は本当に……、


「それにしても、お世辞にも安全とは言えない道ね。一体どうしてこんな道を選んだのかしら」

「今までと同じ道を通りたくなかったんだ。だから逆にこっちの道をって」

「ふっ、急いては事を仕損じる、ね」

「微妙に使い方違うよ。それ……」


 僕の視線を流して、暮永さんは交差点の真ん中に立って四方を睨む(ように僕には見える)。そしておもむろに頷いた。


「……なるほど。わかったわ」


「わかった……って、なにが?」


「後で説明するわ。ひとまず移動しましょう」


 素っ気なく返して暮永さんが歩き出す。僕は慌てて後を追いながら「あの、どこに行くつもりなの?」と訊ねた。


「近くにファミレスがあったでしょ? そこへ行くわ」


「え? な、なんで?」


 暮永さんは「そんなこともわからないの?」というふうに顔をしかめる。


「お腹が空いたからに決まっているじゃない」




 というわけで僕らは大通りに出ると、まるで待ち構えるようにして眼前に立っていたファミレスへ入店することになった。


 暮永さんはテーブル席に座るや店員を呼びつけ、メニューも開かずに幾つかの注文を告げる。僕もドリンクバーを注文した。しばらくすると注文の品がやってきて、暮永さんの前にエビの盛られたサラダとパスタが置かれる。


「そんなに食べていいの? 家で晩御飯とかあるんじゃ」


「うちは父親と二人暮らしなのだけれど、最近は父親の帰りが遅いのよ。ちょっと事情があってね。だから今日は外で食べてくるように言われているわ」


「へぇ……」


 暮永さんは器用にフォークを使ってサラダを口に運ぶ。なんというか、とても慣れた手つきだ。


「あのさ……暮永さん」


 マイペースすぎる暮永さんに、僕はとうとう痺れを切らした。


「そろそろさ、何がわかったのか、聞かせてくれるとありがたいんだけど……」


「……いいでしょう。その代わりに、あなたはわたしの分の食事代も出すこと。いいわね」


「もうなんでもいいよ。とにかく聞かせてほしい」


 ここまでもったいつけられたらさすがに僕だって落ち着かない。できる限り暮永さんから切り出してくれるのを待ったけど、そろそろ催促したっていいだろう。


「暮永さんはさっき、なにがわかったの?」


 なにせ僕はこの体質のせいでほとほと困り果てているのだ。浅谷は今にも僕を神社か霊媒師にでも連れていきそうな勢いだし、他の同級生たちもだんだん僕を腫れ物扱いするようになっているし、大怪我すると家族にも迷惑がかかるし……。


「じゃあ教えてあげるわ。……と言っても、わたしがわかったのは、ひとつだけ」


 早いところなんとかしないとそのうち他の人にだって被害が、




「——あなたがとんでもない嘘つきだってことよ」




「え……?」


 僕の口からまぬけな声が漏れる。


「……いひひ」


 口角が吊り上がり、やがて仮面のごとき冷酷な表情を象る。蜘蛛の糸に絡め取られた獲物をどう嬲ってやろうかと企む、それは捕食者の笑みだった。


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