第2話 噂の文芸部部長さん

 文芸部、と聞いてイメージされるのは大抵の場合、静かで大人しい部活とか、難しい奴らが集まる部活とか、その程度のものしかない。


 でも、我らが枯ノ島(かれのしま)高等学校ではとある人物が真っ先にイメージされる。


「なんでここで文芸部が出てくるんだよ?」


 渡り廊下をぐんぐんと進む浅谷の背中に僕は言う。


「おいおい、まだ辿り着けねーのか? 俺の崇高な考えによ」

「浅谷の考えてることがわかった試しがないよ」

「そうか。なら考えてみろ。なあに、流石のお前も知ってはいるだろ? ……悪名高い文芸部部長様の噂についてはよ」

「……まあ、それなりに」


 万物に対して基本無関心な僕でも、彼女の噂ぐらいは知っている。


 ――暮永看鳥(くれながみとり)。


 文芸部部長にして校内きっての有名人。


 彼女についての噂は、枚挙に暇がない。


「……『話しかけると呪われる』だったっけ? あとは『学園中の生徒の弱みを握っている』とか『中学時代に同級生を呪い殺した』とか……」

「おまえにしちゃあ、なかなか知ってるじゃねーか」

「みんな知ってることじゃないの?」

「だな。けど……大事なやつが抜けてるぜ」

「大事なやつ?」 


 おもわず首を傾げると、浅谷は得意げに言った。


「文芸部とは仮の姿でな、『その実体はオカルト部であり、放課後は部室に魔法陣を引いてこの世ならざる者と日夜交信している』って話だ」

「怪しすぎる……」


 一体どんな部活なのか。全くもって想像がつかない。


 けど、噂の真偽はともかくとして。


 僕は浅谷の真意が読み取れた気がした。


「ねえ、まさかなんだけどさ、浅谷、もしかして……」

「おう。そんな部長様だったら、きっと御祓いも朝飯前だってことだ‼」 

「今すぐ戻ろう」


 僕はすかさず伝えた。


 でも浅谷は昔から考えたら猪突猛進なタイプで、僕の話になんて聞く耳を持つはずもなく、ぐんぐんと廊下を進んでいくのだった。




 旧校舎二階のどん詰まり。


 やけに埃っぽい廊下を進んだ先に、文芸部の部室はあった。


「くっ、なんつーオーラだ。まるでボス部屋だな。扉の隙間から怪しい瘴気が漏れ出してやがるぜ……」

「そう? 僕には普通の扉に見えるけど」


 それはともかくとして。


「浅谷、考え直そう。そもそも御祓いって普通の女の子がやるものじゃないよ」

「だから普通じゃない女子に頼むんだろ? 蛇の道は蛇から。魔を祓うには専門家ってな。さあ、太啓。いいぞ。思い切って行ってこい!」

「すごくノリノリだね……というか浅谷は一緒に来ないの?」

「俺はまだ命が惜しいからな」


 僕は一体なにをしに行くんだ。


「いいから行けって!」


 ガラガラッ、と浅谷は勢いよく扉を開けると、強引に僕の背中を押し込む。僕が怪我人であることを完全に忘れているみたいだ。勢いそのまま僕はたたらを踏み、背後で扉が閉められる音を聞いた。


「骨は拾ってやるからな!」


 声が遠ざかる。


「絶対面白がってるな……」


 悪友に呆れるのも、束の間、


「——だれ?」


 静謐な声が届く。


 僕は振り向き、少し息を呑んだ。


 文芸部室は、不気味だった。


 照明が点いていないのか、本棚が並んだ狭い部屋は仄暗く、外界から閉ざされたかのように音が無い。ワックスの行き届いた木張りの床が夕焼けを反射して、部屋を赤黒い色に染め上げている。まるで鮮血が飛び散ったかのような、禍々しい、赤。


「お客様?」


 そして少女は、血染めの世界の中心で本を読んでいた。


「えっと、僕は、その……」


「それとも、また冷やかしかしら?」


 髪が長い。まるでしだれ柳のよう。


 垂れる前髪から覗く赤い瞳が、一度僕を捉えて、すぐに逸らされる。伏せがちの睫毛もかなり長かった。すらりとした上半身に、下は長いスカート、黒を基調とした制服は今ばかりは喪服のようにすら見える。


「残念だったわね――魔法陣、なくて」


 それは、とても異質な空気を纏う少女だった。存在感がとてつもなく、なのにどこか気配は薄い、まるでこの部屋に棲みつく地縛霊のような……。


「君が、暮永看鳥さん?」

「他の誰かに見えるの?」


 ぱたり、と閉じられた文庫本がテーブルに置かれて、


「冷やかしでないなら、さっさと要件を言いいなさい。忙しいの、わたし」

「本を読んでただけじゃ……」

「部外者に構ってあげる暇は無いってこと」

「ええ……」

「ええ、じゃないわ。まったく、なんなのよ——」


 僕が立ち止まっているのに焦れたのか、再び暮永さんは顔を上げる。


 長い前髪の隙間から流し目でこちらを一瞥して、それから包帯が巻かれた僕の腕を見やると、わずかに目を見開く。


「……その腕」

「ああ、捻挫だよ。車に轢かれたんだ。それで、その……」


 都合のいい流れだ。話してしまおう。


 僕は今自分が見舞われている不幸と、文芸部に訪れた経緯を掻い摘んで語る。


 暮永さんは相槌も打たず、けれど無関心ではない顔で僕の話に耳を傾けていた。


「なるほど。それで、ここにね」

「うん。暮永さんなら、御祓いとかもできるんじゃないかって、友達が」

「へぇ……」


 薄っすらとクマの浮かんだ目に、僕の姿が映り込んでいる。厭世を思わせる眼差しは淀んだ湖のようで、見つめていると背筋がひやりとする。


「ねえ? あなた、どこかで会ったことあるかしら?」

「え? や、ないと思うけど……」

「本当に?」

「う、うん」

「……そう」


 同じ学校に過ごしているのだから、既視感があってもおかしくないけど。今の問いは少し不安を煽った。


 暮永さんは僕を凝視している。でも目が合った気にならないのはなぜだろう。まるで僕の背後に浮かぶ『ナニカ』とアイコンタクトを取っているかのような、そんな不可解な間が置かれて、やがて…………、


「……いひひ」


 不気味に笑った。


 僕は、動けなくなった。まるで蜘蛛の糸に四肢を絡め取られたような感覚に陥って、後退ることもできなくなった。


「な、なに。なんで笑うの」

「いいえ。なんでもないわ。なんでも」


 ——話しかけると呪われる。


 くだんの噂が唐突に脳裏を過ぎった。


「そ、そっか。ごめんね。じゃあ、僕はこれで……」

「待って」


 危険本能に従って逃げようとするけど、すぐに呼び止められる。


 振りかえると、暮永さんはコホンと咳払いを挟んだのち、


「できないとは、言ってないわ」

「え? なにを?」

「なにをって……あなたもそれが目的でここへ来たんでしょう?」



「――御祓いよ」




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