第8話 密室で異性と二人っきり(2)

 部屋に入ると程々の広さがあった。エアコンが完備されていて、早速、温度を低く設定した。これで汗を多少は抑えられるだろう。

「飲み物は何にする?」

 要は壁に掛けてあった受話器を掴んで訊いてきた。

「オレンジジュースで」

「あたしはコークハイがいいんだけど、学割にしたからコーラだな」

 受話器で注文したあと、慣れた様子で端末から曲を入れた。消毒済みと書かれた包装をぎ取り、立った状態でマイクを握る。

 僕はソファーに座ってテレビ画面を眺めた。懐かしい戦隊物の映像が流れる。要はシャウトして音割れさせながら全身で歌った。振り上げる拳を見ているだけで、こちらも熱くなる。リモコンで設定温度を一℃下げた。

 そこに若い男性店員がジュースを運んできた。要は歌をやめない。僕が本人の代わりに、すみません、と小声で謝った。

 曲が終わったので拍手を送る。

「ありがとう。喉の調子は良いみたいだ」

「子供の頃を思い出したよ」

「テレビ画面に近づきすぎてよく母親に怒られたもんだ」

 昔から変わらない要が眩しくて目を細めた。ドカッと隣に座った時は身体が勝手に反応して少し間を空けた。

「そんなに冷たくするなよ」

 僕の行動に不満を零す。唇を尖らせて間を詰めてきた。

「そんなのじゃなくて、なんて言ったらいいのか」

「体質の話だな」

「どうしてそれを? 要には言ってないと思うんだけど」

「あの日の帰りにまた森山に会ったんだよ。そしたらアイツ、自慢げに言いやがった。あたしだけ除け者扱いってひどくない?」

 今度は愛らしい少女のような声で小首を傾げる。

「わかったよ。少し離れて」

「わかればいいんだよ」

 好奇心が全面に表れた顔をこちらに向けた。観念した僕は軽い溜息のあと、口を開いた。

「この体質の始まりはわからない。生まれつきなのか。突然に効果が出始めたのか。今は、はっきりと自覚している。僕は体臭のせいで女性に嫌われるようになった」

「そうなのか? あたしは嫌ってないけど」

「なるべく汗を掻かないようにしているし、すぐにハンカチで拭き取るから影響が少ないんじゃないかな」

 半信半疑という様子で要は近づいた。顔を突き出して何度も匂いを嗅いで、んー、と考えるような声を漏らす。

「洗剤っぽい匂いはするんだけど、ほぼ無臭だろ」

「それより、気分はどう? 腹が立ってきたりしない?」

「さっきの拓光の態度にはムカついた」

「悪かったよ。本当にごめん」

 真剣な態度で謝ると要は、にかっと笑う。

「なーんてな。だけどそれ以外で別になんの不満もないんだよなぁ。どうせなら汗を掻いたあとに嗅いでみたい」

「それは、その、どうなのかな」

 迷っていると要は立ち上がって受話器を掴んだ。鉄板焼きハンバーグと激辛ビビンバを注文した。

「どうだ、これなら試せるよな」

「わかったよ」

「あとエアコンは禁止な」

 全てお見通しだった。


 チャレンジメニューが届いた。どちらも見ただけで体温が上がる。

 迷った末に僕は激辛ビビンバを選んだ。柄の長いスプーンで全体を掻き混ぜる。程々にしてとろりとした卵の黄身が溶け込んだ赤い部分をすくった。確認するように隣に目をやる。

 要はにこやかな顔で食べるのを待っていた。

 僕は一口にした。辛さよりも熱さがきて、あとから震えるような辛さが襲ってきた。全身の毛穴が一気に開き、瞬く間に汗にまみれた。

「これで試せるよな」

 要は子犬のように鼻を近づける。ムッとした顔になり、急に笑顔に変わった。

「……気分はそれほど悪くない! 許容範囲じゃないのか、これは! マジで嬉しい!」

 弾け飛ぶようにして立ち上がる。あれは嬉し涙なのだろうか。目尻から涙が零れ落ちた。

「僕も嬉しいんだけど、そこまで喜ばれると不思議な感じがする」

「ああ、そうかもな。たぶん、そうだね。これには理由があって、あれだ」

 歯切れが悪い。話を伸ばしている間に頭の中で言葉を考えているように思えた。

「そうだよな。わかった。拓光は秘密を教えてくれたんだ。あたしだけ隠したままって言うのは卑怯ひきょうだよな」

「そうは思わないよ。話したくないなら無理には聞かないから」

「ダメだ。やっぱり親友を名乗るなら対等でないと。少しスクワットをさせてくれ」

「いいけど。ハンバーグが冷めるよ?」

 声が耳に入っていないのか。要は部屋の隅でスクワットを始めた。百に近いくらいの回数をこなし、最後に気合を入れるように頬を平手で叩いた。

 小走りで戻ってきてソファーに座る。真っすぐと僕の目を見た状態で言った。

「病院で本格的に調べて貰ったことはなくてもわかる。あたしが好きになる相手は決まって女の子なんだ」

「レズビアン?」

「そうじゃない。あたしの中身は男なんだよ。性同一性障害ってヤツだと思う」

 勝ち気な顔を崩さず、最後まで言い切った。僕は先程の要の喜び方を思い出して納得した。

「あの喜びは男性だから」

「拓光のおかげで、あたしの中身は本物の男性だと、証明できたような気がして、もう嬉しくてさ」

 また目に光るものが滲んだ。

「ありがとな。拓光のおかげで、なんか告白する勇気を貰ったよ」

「相手は女性なんだよね」

「そうだ。あたしのレスリングの試合を見に来てくれる、熱心なファンみたいな人だけどね」

「それなら脈ありじゃないか」

「ま、応援してくれよな」

 要は豪快な笑みでハンバーグにかじり付いた。

 僕は激辛ビビンバに再び挑む。汗と共に流れるこれは嬉し涙に程遠い。おまけに辛さで気が遠くなった。

 その薄れる意識を要の慌てたような声が引き戻した。

「それと勘違いするなよ。レスリングは好きでやってるんだからな」

「しないよ。僕もたまにテレビで見るし。技名は知らないけど、組み合った状態で投げる技は女性であっても見栄みばえが良いよね」

「あれは、いいよな。もちろんポイント的にだぞ!」

 赤らんだ顔で言われると返答に困るんだけれど。

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